TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第475話 何を残し、何を引くか?【本質を見きわめる】15:00 4月9日 88再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次情報過多の時代に「本質」を見極めるコンマリ流「ときめく」片付けの魔法十二単衣に学ぶ「秩序」と「余白」の美日本の美意識に宿る「物への敬意」とは忙しい日々こそ「余白」で本質を際立たせるAI文字起こし(β版) # 美しさは足し算では生まれない 日々気づき頼り佐藤美奈子です。今日もお聞きいただきありがとうございます。このチャンネルでは日本文化に携わる私が、気づき感じる心の在り方を日々の暮らしに優しく重ねてお届けしています。 今日のテーマですけれども、本質だけを残して余白を整えるというお話です。 私たちは毎日気がつくとずいぶんたくさんの物で満ちていますよね。満たされすぎているという感じも最近はあるかもしれません。 物もそうですし、あとは情報もそうです。やるべきこと、考えるべきこと、人との関わり方もそうですよね。 以前の話の中で、この情報量の話をした時に、平安時代の一生というのは、私たち現代の3日分の情報である。 逆を言えば、私たちの3日分の情報量というのが、平安の世の人たちの一生分の情報量である。 そう考えると、それはもう頭はパンパンですし、目まぐるしく変わって疲れるのもわかるなと思いますね。 いつの間にか、ちょっと心の中までぎっちり満タンになってしまって、本来は見なきゃいけないこと、大切なものというのが見えにくくなることがあります。 皆さんはどうでしょうか。でも本当に大切なもの、つまり本質というものは、たくさん詰め込んだ中で輝くというよりは、 むしろ余計なものが、整えられた先にやっと立ち上がってくるもの、スーッと目の前に現れてくるものなのではないかなと思います。 いっぱいいっぱいやったからといって、そうではなくて、やった中で気づくこと、それで不要なものも出てくるかもしれない、 そういうことを見極めて整理をしていった後に、ニョキニョキと出てくるもの、そんな感じがします。 私は日頃、着付けや絵文堂の世界に長く身を置いています。 その中で何度もそんな思いをしてきました。 美しさというのは、いっぱいいっぱい足し算をして生まれるということではない。 例えば、すごく簡単な表現で言うと、いい化粧水をつけて、いい美容液をつけて、いいクリームをつけたとしても、 結局はバタバタバタと寝不足だったりとか、洗顔もしないで化粧水を塗るとか、高いものばかり塗り重ねていたとしても、 それが肌にとっていいかと言ったら、逆にそうでもないんですよね。 じゃあ何が大事かと言ったら、そういうことよりも、まず自分の体を整えるために、睡眠を少したっぷりとるだとか、食事に気を使うだとか、 そういうことを整えた後に、自分の中で本当に大事なスキンケアを考えるということも、足し算で生まれてくるとは限らないということです。 むしろ、何を残して何を引くか、どこに間を置いて、どこを静かに丁寧に整えるか、 そこにその人らしい品が出たりとか、深みが現れるようになっていくなと思います。 以前、片付けを通して世界中の人に心を整えることの大切さを伝えた方がいらっしゃいました。 今も今現在も伝え続けていらっしゃる。その方が示した物差しというのはとてもシンプルです。 それは、触れた時に自分の心がときめくかどうかということ。もう皆さんお分かりですよね。 この心がときめくかと言って片付けといえば、コンマリことコンドーマリエさんです。 私はこの考え方に、ただの片付け以上のものを感じますね。皆さんもそうだと思います。 人間関係が良くなる、夫婦関係、家族、いろんなことが整っていく。 私もネットフリックスの番組が大好きで見ているんですけれども、本当にその方の人生を変えてしまうし、 過去の人生も塗り替えられていくという様を画面越しで見ています。 それは、自分にとって何が本当に大切なのかというものを見極める。 そのすごく深いところですけれども、自分に問いかけるということだからですね。 たくさん持っていることが豊かさなのではなくて、自分にとって本当に必要なものを知っているということ。 それが心の落ち着きだったりとか、自分らしさにつながっていって本当の自分が出てきて、 心が素直になって内溶けてきて、夫婦仲が良くなっていくとか、何かはっきりともやもやとしたものがクリアになっていく。 それが本当に片付けの魔法という本が出版されているように、 これも精査して精査して見えてきたものの本質が浮かび上がってきた、もう一つの例かなと思います。 これは着物ですとか、十二単絵などの小族の世界にもどこか通じるところがあって、 十二単絵というのはもう幾重にも幾重にも重なる美しさというものがありますよね。 だからこそ一つ一つの色目ですとか、重なりの意味とか季節とか、いろんなこと、見せ方には理由がやはりあります。 でもただ多ければ良いというわけではなくて、そこには秩序がある、意味がある、整えられた美意識があるということです。 これは昔々本当に平安の世の時に道永さんのお嬢さんが少し贅沢ざんまいで、十二単絵を二十枚も重ねてという記述が残されています。 古い文献に。ドラマでも再現されています。 けれどもやはりそこは、だから綺麗だねではなくて、周りの庶民の暮らしを思えば本当に切り詰めて生活している中で、 あなただけそんな風に贅沢をしてはならぬと、そういう風なお咎めがあったわけですけれども、やはりそこは秩序ですよね。 周りを見て本来あるべき姿を見極めて、そこに心を傾けていけばいいわけであって、 ただどんどんどんどん綺麗だからといって重ねているというものではないということです。 余計な乱れがあると、その美しさは濁ってしまうし、逆に整えられた重なりというのは、見ている人の心がすごく整っていく。 だから多分十二単絵のおふくあげを皆さんにご覧いただいて、皆様のすごく清々しい顔というか、 いやー、こういう感じを本当に初めて見ました。本当にこういう世界はいいですね、という風にご感想を本当にその場で私に伝えてくれるんですが、 そここそ本当に秩序があって、意味があって、整えられた美意識がその十二単絵の襟元に宿っているという、本当にここだろうなと。 本質を見極めることと余白を整えていること、それは実は一つのこと、同じことなんです。 # 物への敬意、場への敬意 例えば、日本の美意識の中には、昔からすべてを埋めてしまわない、いろんなものをぎゅうぎゅうにしないという考え方、考え方に美しさを見出すというか、そういう感覚があります。 床の間もそうですよね。掛け軸があって、そしてそこのお軸の下に何を置くかとか、花を置く場合もあるし、いろんなものを置く場合もあるけれども、空間があるからといってぎゅうぎゅうに詰めているわけではないですよね。 和室における床の間の位置もそうです。本当に床柱を何の木にするかということも、やっぱりその一つだと思います。 あとは、お茶の世界、茶道の室内もそうです。季節の花を一輪だけ飾るような感覚にも、その心というのが現れています。すべてを埋めないということですよね。 たくさん飾るのではなくて、あえて開けておくとか、あえて語りすぎないとか、あえて静けさを残しておく、リーンとした感じを残しておくという、その余白があるからこそ置かれた花も、掛けられたお軸も、その場の空気までも生きてくるというのが、この余白ですね。 また、日々使う道具の中にも美が宿るという考え方もあります。使いやすくて、無理がなくて、飾りすぎないでけれど、どこかリーンとしているもの、皆さんの周りにありませんか。 私はこういうものに触れるたびに、これは整えられた余白というよりは、そのものに対する敬意そのものなんだなというふうに思います。その一輪の花に敬意を払う、だからこそごちゃごちゃさせないとかね、そういうことかなと思います。 何もないのではなくて、大切なものを大切に見せるために静かに整えておく、その背景にはやはり物への敬意もあるし、場への敬意もあるし、そして相手への敬意はもちろんですけれども、やはり敬意というものを感じること自体が、心も整うし場も整うということにつながるわけです。 着付けというと、帯結びの華やかさだとか、形の美しさにどうしても目が行きやすいですよね。派手であれば派手であるほどバズっていくとか、すごく人気が出るとか、そういうふうに思いがちなんですけれども、 本当に心に残る着姿というのは、飾り立てたというものよりは、どこか凛としたものがある、整然とした静けさがあるというものが、私はすごく美しいなと思います。これは人によって感覚というものは違うと思いますが、私はそうです。 例えば襟元が整っている、衣紋の抜きが無理なく美しい、あまり首をぐっと抜いて肌が見えすぎないというものもいいものですよね。あとは裾に重みを感じる、ストーンと落ちているとか、動いたときに乱れない、見る人がなぜかほっとする。 それはただ技術があるわけだから、そういう仕上がりになったというわけでもなく、やっぱり急ぎすぎないとか、バタバタしない、こちら側がですよ、支度をする側が。 あとは詰め込みすぎない、あれもやりましょう、これもやりましょう、じゃなくて、これを活かすためにこれは控えめにするとか、そういう感覚ですよね。 あとは相手を思うための間合い、そういうことがあるから、こういう風に美しく感じる、飾り立ててなくてもそこに美を見出せるのではないかなと思います。 お方様に十二単位をお召しいただくときも、やっぱり私たち英文者の都合で急ぐわけでもないわけですよね。 相手が心地よいか苦しくないか、安心して立っていられるかということを思いながら動く。 そして動きと動きの間にある間、タイミングというか間、これがとても大事です。 この間というのは何もしていない時間ではもちろんないです。 相手を感じ取って場を整えて次の動きに心をすっと寄せるための時間です。 次はこれ、次はこれというのをトントンやりすぎないで、ちょっとひとこきを送るということもやはりあります。 余白というのは決して空っぽではないし、思いやりがすごく満ち満ち溢れているような、そういう空間なんだろうなと私は思っています。 皆さんも忙しい毎日、4月始まって忙しい毎日を過ごしたと思います。私も本当にこの4月に入ってあっという間でした。 予定を埋め尽くすことが充実しているということではない。少しだけでも深呼吸ができる時間を残す。 考えを整理する時間も作る。手を止める時間も大事にする。そして季節を感じる時間というものも持ちたいものですね。 そういう余白があるということが本当に大切にしたいものが見失わずにいられるのかなと私は感じていますが、皆さんいかがでしょうか。 本質を残すこと、そういうことというのは何かを削ることではなくて本当に大切なものを丁寧に際立たせるということ、そんなお話でした。 美しいこととか思いやりをする思いやりを相手に伝えるためには逆に足しすぎないというでしょうかね。見極めて整然とお客様の前で凛とした状態で立てる。自分たちでいたいなと思います。 皆さんの中で大切なものが無理なくけれどもしっかりしっかり伝わっていく。そんなヒントを明日も皆様にお届けできるように大いにネタをたくさん考えておきたいと思います。 今日もお聞きいただきありがとうございました。それではごきげんよう。 もっと見る #余白を作る #間合い #引き算の美学 #十二単 #衣紋道 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ08:041.美しさは足し算では生まれない06:562.物への敬意、場への敬意コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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