TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第540話 教える側も、受講生さんから教わっている08:26 6月13日 29再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次教える立場で気づく「伝える」の難しさ「なぜ?」に潜む受講生からの学び感覚的な知識を言語化するプロセス受講生との間で生まれる成長の循環「教わる」視点を持つ指導者の心得AI文字起こし(β版) # チャプター 1 日々気づき頼り佐藤美奈子です。 今日もお聞きいただきありがとうございます。 このチャンネルでは、エモン道や日本文化の学びを通して感じた 心の在り方や人との向き合い方を 仕事や暮らしに優しく重ねてお届けしています。 今日のテーマですけれども 教える側も受講生さんから教わっているというテーマでお話をします。 私は日頃、受講生さんに着付けやエモン道をお伝えしています。 立場としては教える側なわけですよね。 でも長く講習を続けているといつも感じることがあります。 教えているようで、実は私もたくさん教わっているということです。 受講生さんと向き合っていると毎回同じことは起こりません。 受講生さん、それぞれ曜日によって来る方も違うし 毎月お会いできる人もいるし、2、3ヶ月に一度お会いできる人もいる。 多い方だったら月に2、3回お会いするという方もいらっしゃいますけれども 同じ内容をお伝えしてもつまずいてしまう場所が違いますし 理解の仕方も違います。不安になる言葉も違っています。 そしてそのたびに私は考えるのですが この方にはどの言葉なら届くだろう。どこで声をかけるのがいいのかな。 その問いかけそのものが私にとって大きな学びになっています。 この方にどのタイミングでどの言葉を届くだろうと考えること そのものが私の学びだということです。 教えることはもっと直感的に考えていたというのでしょうかね。 あまりそこまで深く考えずに 覚えて欲しいことを直線的に言った方がいいのでしょうか。 そういう風に考えていたんですね。昔は。 知っていることを伝えれば相手は分かると思っていたところがあったわけです。 でも実際にはそんなに単純なことではないわけですよね。 人はそれぞれ歩いてきた道も体の使い方も これまで受け取ってきた言葉というものもみんなみんな違います。 だから同じことを伝えても同じようには届かないんですよね。 一つの言葉をあの方に話しかけたら うわぁそうなんですよという風に それそれって感じで受け取ってくださる方もいれば あまり響かないでさらっと受け流されたということもありますからね。 そのことに気づかせてくれたのもやっぱり受講生さんたちです。 受講生さんたちの質問にハッとすることが日々あります。 なぜこの手順なんでしょうかねとか なぜここに立たなきゃいけないんでしょうかとか なんでこういう力加減でやらないとうまくいかないんですかねということなんですよね。 そんなストレートに問われるうちに 私って感覚でやってきたことっていうのを 言葉にしそびれているというか 感覚でやっていることを言葉にし直す必要があるなという風に思いました。 長年試練にやってきたことを 初めて学ぶ方に分かる形に整えるという必要性も感じたわけです。 その作業を通して私自身もすごく理解が深まっていくわけです。 先日リリースした えもん堂の本当の入り口の講座を作ったのもその実は一見があったからなんですよね。 どうして前えもん者は座るのかどうして立つのか 私はただ前えもん者は失礼のないように座りましょうとか 後ろの人は物を持ってくるから立ちましょうという感じで 最初の頃は聞かされましたし習いましたしやってたんですけど はてさてなんででもそもそも座るんだと 失礼のないようには分かるけれども もっともっとすごく根本的なことというか深いところに何かあるんじゃないかなって 思った時にやっぱり前えもん者の吐く息というかその呼吸ですよね それそのものもこの前えもん者としてお方様に吹きかけてはならぬという そこまでの深いところを考えている末にやはり 膝をついて行うのではないかなというところに私は行き着いたわけですよね だからそういうことを動画にしたわけです。スライド式の だからこう聞かれたことに対して そんなことわからないとかめんどくさいとかね 自分で調べなさいとかっていうことって私はできない 証文でして聞かれたことに対してそうだよなと思ってとことん調べちゃうタイプなんですよね でも調べたことをやっぱり伝えるには一つやっぱりコンテンツとしてまとめておく方がいいだろうと思って 生み出されたのが先日のえもん堂の入門文化講座でした そして受講生さんにいろんな成長を見させていただいて とっても毎日幸せなんですけれども 最初不安そうだった人がですね 少しずつ手を動かせるようになっていて 前よりも少し自信を持って立っていらっしゃる そういう姿を見るたびに 私すごくこの人のこの姿見たかったんだなと思ったりとか 少しずつ変わっているんだなっていうのを見て私もすごく励まされています 教える仕事っていうのは完成した知識を渡すだけの場所ではないですよね 受講生さんの存在があるから私は技術を見直せるし 存在があるし疑問もある 疑問があるから私は言葉を磨き続けなければいけない でもそれはめんどくさいわけじゃなくて好きなんですよ 疑問があるからこそどういう言葉でこの人に伝えれば ピタッと一回でわかるかなっていうことを考えるだけでワクワクするんですよね 受講生さんたちが変化があるから教えることの意味を何度も何度も考え直す そういうことができてきている 講習の場所っていうのは一方通行ではないんですよね 私から言ったものがそちらの耳に入って そのままではなくて帰ってくるんですよとても 私が言ったことに対して動いてくれて 動いた時にまた何か問題点があった時にポーンと私に返ってきて そして私もまた研ぎ澄ませてその方に渡すというすごくキャッチボールができているので お互いに成長していく場所なんだなというふうに思っているし そういう場所にしていきたいなと思っています 皆さんも誰かに何かを教える立場になることがあるかもしれませんよね もしかしたらもうなってらっしゃるし 後輩の方、若いスタッフの方に教える、指導する立場になられている方も多いかと思います その時に教える側が上、教わる側が下という見方ではなくて この人から私は何を教わっているのだろうと見てみると 少し関係性が変わるかもしれませんよね 教えることは相手を育てるということでもあります でも同時に自分も育ててもらうことでもあります その感覚を忘れずにいたいといつも私は思っています 今日もお聞きくださってありがとうございます 今日も目の前の方から学ぶ気持ちを大切に丁寧に向き合っていきましょう それではごきげんよう もっと見る #教育 #教わる力 #言葉のキャッチボール #教わっている 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ08:261.チャプター 1コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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