#81 「多様性とは混沌である」分かる(分ける)ことで失われるもの~理解不能な他者と共にどう生きるか
12:50
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先日、ある会議に参加していたときのこと。
場に多様性を取り入れるアイデアとしてLGBTQ当事者の講演が提案されていたのですが、その扱われ方に悲しみを感じました。
多様性とは「他者を理解すること」以上に、自分たちの前提や無意識の枠組みを問い直すことではないかと思います。
そこを飛ばして“わかりやすいパッケージ”に飛びついてしまうと、結局は当事者の語りを「消費して」自分たちの正しさを演出することになりかねません。
LGBTQや発達特性、宗教、文化的マイノリティ…といった枠組みに当てはめることで
「制度に合う多様性」だけが扱われ「はみ出す存在」は見えにくくなる。
そこにあるのは「わかるようにされた違い」であって「わからないままの違い」ではない。
例えば、莎子の『應帝王篇』に登場する混沌。
その存在は、目も耳も口もない未分化の存在として描かれる。
南海の帝と北海の帝は、善意から混沌に世界を知る穴を開けてやろうとする。
7日間穴を開け続けた結果、混沌は死んだ。
「便利にしよう」「理解しよう」という善意が命そのものを壊してしまった。
ダイバーシティも「理解」や「支援」の名のもとに、その人の存在や命を脅かしてはいないだろうか。
「分かる」ことの安心感に飛びつきそうなときほど、注意する必要がある。
多様性とは、分かりたいと思いつつ、分からなさに耐える力なのではないか。
分けず、整えず、名づけず、そのまま他者と共にあること。
昼スナが探求しているのは、そういうことなんだと思っています。
場に多様性を取り入れるアイデアとしてLGBTQ当事者の講演が提案されていたのですが、その扱われ方に悲しみを感じました。
多様性とは「他者を理解すること」以上に、自分たちの前提や無意識の枠組みを問い直すことではないかと思います。
そこを飛ばして“わかりやすいパッケージ”に飛びついてしまうと、結局は当事者の語りを「消費して」自分たちの正しさを演出することになりかねません。
LGBTQや発達特性、宗教、文化的マイノリティ…といった枠組みに当てはめることで
「制度に合う多様性」だけが扱われ「はみ出す存在」は見えにくくなる。
そこにあるのは「わかるようにされた違い」であって「わからないままの違い」ではない。
例えば、莎子の『應帝王篇』に登場する混沌。
その存在は、目も耳も口もない未分化の存在として描かれる。
南海の帝と北海の帝は、善意から混沌に世界を知る穴を開けてやろうとする。
7日間穴を開け続けた結果、混沌は死んだ。
「便利にしよう」「理解しよう」という善意が命そのものを壊してしまった。
ダイバーシティも「理解」や「支援」の名のもとに、その人の存在や命を脅かしてはいないだろうか。
「分かる」ことの安心感に飛びつきそうなときほど、注意する必要がある。
多様性とは、分かりたいと思いつつ、分からなさに耐える力なのではないか。
分けず、整えず、名づけず、そのまま他者と共にあること。
昼スナが探求しているのは、そういうことなんだと思っています。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:261.
タイトルコール
- 07:182.
多様性=LGBTQって乱暴すぎませんか(^^;)
- 04:293.
混沌マーク 専門化やセクショナリズムに対して不断の警戒を示すデザイン
- 00:374.
ちょっとだけスッキリ
コメント

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多様性って、ある意味人の数だけ存在すると思っていて、性善説では語れないこともあると思います。
すでにそこに存在するはずなのに、相手を理解して把握できたと安心したいがために、その枠組みを広げようとしているだけでは?と疑問を持っていました。
混沌を耐えるだけの忍耐力、、、
難しい話ではありますが、少しスッキリできました。
ありがとうございました🙏