#203【レポート】第4回 哲学対話・本質観取「人を信じるとは何か」
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#203【レポート】第4回 哲学対話・本質観取「人を信じるとは何か」
https://r.voicy.jp/jwmYoRg5V1a
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4月5日(日)、中洲昼スナにて第4回哲学対話・本質観取を開催しました。(毎月1回開催)
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本質観取とは、私たちの身の回りにある出来事や概念について、「これがなければそれとは言えない」という不変の特徴=本質を、参加者同士の対話によって浮かび上がらせていくプロセスのことです。
フッサールの現象学をベースに、教育哲学者の苫野一徳さんが体系化した手法で、説得や説明ではなく、その場における共通の了解をつくることを目的としています。
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物事の本質が見えると、課題解決のヒントが得られます。知的好奇心を満たすためだけでなく、全員が納得する合意形成を助け、一人ひとりが主体的に動いていくための手がかりとして、本質観取には大きな可能性があります。
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■お題は「人を信じるとは何か」。
まず参加者それぞれからテーマ候補を出してもらいました。
よい遊びとは何か、愛とは何か、成長とは何か、幸せとは何か、お金とは何か……さまざまな候補が並ぶなか、「どうしても今日扱ってほしい」という困りごととして2つが提案されました。
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ひとつは「人を信じるとは何か」。
仕事でプロジェクトに人をアサインする立場にある方からで、信じて送り出したのに結果がうまくいかないことが続き、自分の「信じる力」そのものに疑いが生まれているとのことでした。
もうひとつは「掃除とは何か」。通信制の学校で、生徒が掃除するのか教員がするのかを決めかねているという教員からのご相談でした。
多数決の結果、今回は「人を信じるとは何か」を扱うことになりました。
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■対話から浮かんできたこと
次に、参加者それぞれが「信じる」にまつわるエピソードを語ります。
印象的だったのは「信じるとは相手ではなく、自分の対応力ではないか」という言葉。変化し続ける状況に対して、自分がどれだけ適応できるか——そのレジリエンスこそが問われているのではないか、という意見でした。
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またこれは私の経験なのですが、かつての職場にいたパワハラ上司が、よく「信じています」という言葉を使っていたが、それは実質には「自分の言った通りにやれ」というプレッシャーでした。これらの話から「本当に信じているなら、わざわざ『信じている』と言わないのでは」「信じるということは、自分と相手、両方が含まれているはず」という気づきが生まれました。
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さらに、信じられるのは自分に余裕があるとき、相手との価値観が近いと感じられるとき——という声や、「信じるという行為には、自立していることが前提なのでは」という意見も出ました。
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■編み出した本質
最終的にこんな言葉が生まれました。
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「人を信じるとは、主観から相手との未来を選択し続けることである」
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信じる・信じないは条件がそろったら自動的に決まるものではなく、自分が決めるもの、だから主観である。
私たちは瞬間瞬間に変化し続けているから、信じるという行為が固まって動かなくなった瞬間、それは死んでしまう。信じることも、その都度、選び続けることによって生きている。
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このお題を出した方は「自分の信じる能力が低い、いつも間違ってしまう」と自分を責めていたといいます。でもこの結論にたどり着いたとき「(責任をふくめて)今この瞬間、信じるかどうかは自分が決めていいことなんだ」と感じ、自分に力が戻ってくるような気がしたと話してくれました。
また常連の香りさんはご自身のブログで 「信じる 意味が少し変わった日」というタイトルで レポートしてくれていました。20代の頃、お父様に1人暮らしを反対された経験が、父が自分を信じてくれなかった出来事だと思っていたけれど、実は 自分が立ち直ることを信じてくれていた、お前の居場所はここだと伝えたかったのかもしれないと感じたという素敵な感想をシェアしてくれました。
対話によってそれぞれが新たな意味を見つけ出すことができる、これも本質観取の素晴らしい力だなと思います。
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次回は 5月9日(土)11:00〜 開催予定です。
どなたでも、小学生でも参加できます。お気軽にどうぞ。
https://honshitsukanshu05.peatix.com
#203【レポート】第4回 哲学対話・本質観取「人を信じるとは何か」
https://r.voicy.jp/jwmYoRg5V1a
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4月5日(日)、中洲昼スナにて第4回哲学対話・本質観取を開催しました。(毎月1回開催)
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本質観取とは、私たちの身の回りにある出来事や概念について、「これがなければそれとは言えない」という不変の特徴=本質を、参加者同士の対話によって浮かび上がらせていくプロセスのことです。
フッサールの現象学をベースに、教育哲学者の苫野一徳さんが体系化した手法で、説得や説明ではなく、その場における共通の了解をつくることを目的としています。
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物事の本質が見えると、課題解決のヒントが得られます。知的好奇心を満たすためだけでなく、全員が納得する合意形成を助け、一人ひとりが主体的に動いていくための手がかりとして、本質観取には大きな可能性があります。
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■お題は「人を信じるとは何か」。
まず参加者それぞれからテーマ候補を出してもらいました。
よい遊びとは何か、愛とは何か、成長とは何か、幸せとは何か、お金とは何か……さまざまな候補が並ぶなか、「どうしても今日扱ってほしい」という困りごととして2つが提案されました。
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ひとつは「人を信じるとは何か」。
仕事でプロジェクトに人をアサインする立場にある方からで、信じて送り出したのに結果がうまくいかないことが続き、自分の「信じる力」そのものに疑いが生まれているとのことでした。
もうひとつは「掃除とは何か」。通信制の学校で、生徒が掃除するのか教員がするのかを決めかねているという教員からのご相談でした。
多数決の結果、今回は「人を信じるとは何か」を扱うことになりました。
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■対話から浮かんできたこと
次に、参加者それぞれが「信じる」にまつわるエピソードを語ります。
印象的だったのは「信じるとは相手ではなく、自分の対応力ではないか」という言葉。変化し続ける状況に対して、自分がどれだけ適応できるか——そのレジリエンスこそが問われているのではないか、という意見でした。
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またこれは私の経験なのですが、かつての職場にいたパワハラ上司が、よく「信じています」という言葉を使っていたが、それは実質には「自分の言った通りにやれ」というプレッシャーでした。これらの話から「本当に信じているなら、わざわざ『信じている』と言わないのでは」「信じるということは、自分と相手、両方が含まれているはず」という気づきが生まれました。
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さらに、信じられるのは自分に余裕があるとき、相手との価値観が近いと感じられるとき——という声や、「信じるという行為には、自立していることが前提なのでは」という意見も出ました。
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■編み出した本質
最終的にこんな言葉が生まれました。
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「人を信じるとは、主観から相手との未来を選択し続けることである」
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信じる・信じないは条件がそろったら自動的に決まるものではなく、自分が決めるもの、だから主観である。
私たちは瞬間瞬間に変化し続けているから、信じるという行為が固まって動かなくなった瞬間、それは死んでしまう。信じることも、その都度、選び続けることによって生きている。
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このお題を出した方は「自分の信じる能力が低い、いつも間違ってしまう」と自分を責めていたといいます。でもこの結論にたどり着いたとき「(責任をふくめて)今この瞬間、信じるかどうかは自分が決めていいことなんだ」と感じ、自分に力が戻ってくるような気がしたと話してくれました。
また常連の香りさんはご自身のブログで 「信じる 意味が少し変わった日」というタイトルで レポートしてくれていました。20代の頃、お父様に1人暮らしを反対された経験が、父が自分を信じてくれなかった出来事だと思っていたけれど、実は 自分が立ち直ることを信じてくれていた、お前の居場所はここだと伝えたかったのかもしれないと感じたという素敵な感想をシェアしてくれました。
対話によってそれぞれが新たな意味を見つけ出すことができる、これも本質観取の素晴らしい力だなと思います。
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次回は 5月9日(土)11:00〜 開催予定です。
どなたでも、小学生でも参加できます。お気軽にどうぞ。
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昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 09:382.
「人を信じるとは、主観から相手との未来を選択し続けることである」
- 02:563.
香りさんからの素敵な感想
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