#222 カラオケでルビコン川を渡った日
08:23
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先日、子供とカラオケに行って、K-POPを一曲入れました。
「ついにルビコン川を渡ってしまった」と言っても過言ではない気持ちでした。
ルビコン川を渡るとは、後戻りができない決断を下すという意味です。古代ローマの将軍カエサルが反乱を決意して、ローマ本国との国境であるルビコン川を渡ったことから来ている言葉です。
カラオケでKPOPを一曲入れることが、そこまでの話かと笑われそうなのですが、私にとってはそれくらいの出来事でした。
(ファンの方には本当に申し訳ないのですが)
私はK-POPや元ジャニーズのような若年のアイドルがとても苦手でした。
何故かをリフレクションしてみると、まず深いところに家父長制での女性を支配したり評価するための「若さ」、従順さ・生殖能力と結びつけられることへの嫌悪感があります。
生まれてからさらされてきた、そのエイジズムへの怒りや傷があるにもかかわらず、自分が傷つけられてきたということを自覚できていなかった。その傷が「若いアイドル」を見るたびに刺激されていたのだと思います。
だから一番怖いのは、その「若さを消費する構造」に自分が乗ってしまうこと。消費される側だった私が、今度は同じ構造の中で「若いアイドル」を消費する側に回る、加担する。自分がずっと嫌だと感じてきたものの共犯者になるんじゃないかという、恐れがありました。
ただ同時に、これはもしかしたら「女性は欲望を持ってはいけない」という別の規範に縛られている可能性もあります。「はしたない」そういう言葉で女性が欲望を持つこと自体を封じるような社会的な空気を、自分の中で作り出している可能性もある。
人を道具として扱うことは絶対にしたくない。
何が自分本来の感覚で、何が社会に植え付けられたものなのか、その境界がわからなくなっていたことが、ずっとのモヤモヤの正体だったんだと思います。
そのモヤモヤを少しずつほどいてくれたのが、私のネイリストさんでした。40代の彼女は長年のK-POPオタクで、ネイルの施術中の2時間の間、タブレットで推しグループのミュージックビデオをずっと見せられる…いえ、見せてくれます。
最初はちょっと嫌だなと思いながらも、だんだん慣れてきて、ついに私の「若さを消費することへの嫌悪感」を聞いてもらうようになりました。
彼女はとてもフラットに話を受け止めてくれる人で、「私にとってアイドルは若さの搾取というより、お腹空いてないかな、豚汁作ってあげたいなみたいな、みたいなオカンですよ」と笑いながら、「でも、出てくるアイドルは全部年下になっちゃうから、同世代で推せる人がいたらもっと楽しいだろうなと思う」とも言ってくれました。
彼女とのやりとりが、不思議と私の中にある苦しさをゆるめてくれました。「消費」という言葉でひとくくりにしていたものの中に、応援したり、自分を振り返ったり、誰かの表現に純粋に感動したりする、もっと豊かな関わり方があることを教えてもらいました。誰かを「推す」ということは、必ずしも搾取ではない。そこに愛情や尊重があるなら、それは一つの人間的なつながりの形なんだということを、だんだん受け入れられるようになってきました。
おかげで最近はYouTubeで、BIGBANGやBTSをぽつぽつと見るようになりました。BTSはまだ3人ぐらいしか見分けがつかないのですが、素直に「素敵だな」と思えるようになってきました。
そんなこともあって、カラオケで一曲入れたわけです。
子供は私のこの業、私の苦しみを知っていたので、
「ママが」「KPOPを」「カラオケに入れた」と言って、ちょっと震えていました。フィッシュ系の歴史が変わった瞬間でした。
結果的にハングルは歌えなくて、結局子供と二人で画面を見ながらギャーギャー笑っていただけでした。なんだか恥ずかしいような「やっちまった」という気持ちもありつつ、どこか清々しいような不思議な気持ちでした。
後日この話をある方にしたら、「どうしてその川を越えられたんですか?」と聞かれました。私の答えは「フリータイムだったからです」。6時間あって、持ち歌を全部歌い切って、2時間も余して、ふと思いついて入れてみた。それが正直なところです。
でも、時間的な余白、余裕ってとても大事だなと思いました。時間が余っていなかったら、多分川を越えていなかったと思います。時間と、ネイリストさんとの対話と、見守ってくれた子供の存在と、そういったものが重なって、ようやく渡れたんだなと思います。
渡ったからといって、何かが劇的に変わったわけではありません。でも、自分の中にあったザワザワの正体を知ることができて、それが少し収まるような気がしました。女性として生きてきた自分の傷や怒りが、少しケアされたのかなとも思います。
「ついにルビコン川を渡ってしまった」と言っても過言ではない気持ちでした。
ルビコン川を渡るとは、後戻りができない決断を下すという意味です。古代ローマの将軍カエサルが反乱を決意して、ローマ本国との国境であるルビコン川を渡ったことから来ている言葉です。
カラオケでKPOPを一曲入れることが、そこまでの話かと笑われそうなのですが、私にとってはそれくらいの出来事でした。
(ファンの方には本当に申し訳ないのですが)
私はK-POPや元ジャニーズのような若年のアイドルがとても苦手でした。
何故かをリフレクションしてみると、まず深いところに家父長制での女性を支配したり評価するための「若さ」、従順さ・生殖能力と結びつけられることへの嫌悪感があります。
生まれてからさらされてきた、そのエイジズムへの怒りや傷があるにもかかわらず、自分が傷つけられてきたということを自覚できていなかった。その傷が「若いアイドル」を見るたびに刺激されていたのだと思います。
だから一番怖いのは、その「若さを消費する構造」に自分が乗ってしまうこと。消費される側だった私が、今度は同じ構造の中で「若いアイドル」を消費する側に回る、加担する。自分がずっと嫌だと感じてきたものの共犯者になるんじゃないかという、恐れがありました。
ただ同時に、これはもしかしたら「女性は欲望を持ってはいけない」という別の規範に縛られている可能性もあります。「はしたない」そういう言葉で女性が欲望を持つこと自体を封じるような社会的な空気を、自分の中で作り出している可能性もある。
人を道具として扱うことは絶対にしたくない。
何が自分本来の感覚で、何が社会に植え付けられたものなのか、その境界がわからなくなっていたことが、ずっとのモヤモヤの正体だったんだと思います。
そのモヤモヤを少しずつほどいてくれたのが、私のネイリストさんでした。40代の彼女は長年のK-POPオタクで、ネイルの施術中の2時間の間、タブレットで推しグループのミュージックビデオをずっと見せられる…いえ、見せてくれます。
最初はちょっと嫌だなと思いながらも、だんだん慣れてきて、ついに私の「若さを消費することへの嫌悪感」を聞いてもらうようになりました。
彼女はとてもフラットに話を受け止めてくれる人で、「私にとってアイドルは若さの搾取というより、お腹空いてないかな、豚汁作ってあげたいなみたいな、みたいなオカンですよ」と笑いながら、「でも、出てくるアイドルは全部年下になっちゃうから、同世代で推せる人がいたらもっと楽しいだろうなと思う」とも言ってくれました。
彼女とのやりとりが、不思議と私の中にある苦しさをゆるめてくれました。「消費」という言葉でひとくくりにしていたものの中に、応援したり、自分を振り返ったり、誰かの表現に純粋に感動したりする、もっと豊かな関わり方があることを教えてもらいました。誰かを「推す」ということは、必ずしも搾取ではない。そこに愛情や尊重があるなら、それは一つの人間的なつながりの形なんだということを、だんだん受け入れられるようになってきました。
おかげで最近はYouTubeで、BIGBANGやBTSをぽつぽつと見るようになりました。BTSはまだ3人ぐらいしか見分けがつかないのですが、素直に「素敵だな」と思えるようになってきました。
そんなこともあって、カラオケで一曲入れたわけです。
子供は私のこの業、私の苦しみを知っていたので、
「ママが」「KPOPを」「カラオケに入れた」と言って、ちょっと震えていました。フィッシュ系の歴史が変わった瞬間でした。
結果的にハングルは歌えなくて、結局子供と二人で画面を見ながらギャーギャー笑っていただけでした。なんだか恥ずかしいような「やっちまった」という気持ちもありつつ、どこか清々しいような不思議な気持ちでした。
後日この話をある方にしたら、「どうしてその川を越えられたんですか?」と聞かれました。私の答えは「フリータイムだったからです」。6時間あって、持ち歌を全部歌い切って、2時間も余して、ふと思いついて入れてみた。それが正直なところです。
でも、時間的な余白、余裕ってとても大事だなと思いました。時間が余っていなかったら、多分川を越えていなかったと思います。時間と、ネイリストさんとの対話と、見守ってくれた子供の存在と、そういったものが重なって、ようやく渡れたんだなと思います。
渡ったからといって、何かが劇的に変わったわけではありません。でも、自分の中にあったザワザワの正体を知ることができて、それが少し収まるような気がしました。女性として生きてきた自分の傷や怒りが、少しケアされたのかなとも思います。
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刺激されていたのは若さを消費する構造に自分が乗ることへの嫌悪感。
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