#254 「無知の知」と「不知の自覚」ー プラトン「ソクラテスの弁明/クリトン」レジュメ
13:15
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熊本大学の教育哲学者、苫野一徳先生のゼミで作成したレジュメを一部レポートします。
今回の指定図書は、プラトンの『ソクラテスの弁明』と『クリトン』。この本が扱っているのは「知っていることと知らないこと」「信念に従って生きること」という、誰にとっても身近なテーマです。
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プラトンの初期に書かれたと考えられている作品で、私が読んだのは1964年出版の岩波文庫。一冊に、短い作品が二つ収められています。
一つ目の「ソクラテスの弁明」は、裁判にかけられたソクラテスが、法廷で自分の生き様を堂々と語る場面を描いたもの。「クリトン」は、死刑判決を受けて牢獄にいるソクラテスのもとに、旧友のクリトンが逃げようと説得しにきた時の対話です。
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どちらも紀元前399年、古代ギリシャのアテナイという都市国家で実際に起きた事件がもとになっています。書いたのはソクラテスの弟子であるプラトン。ソクラテス自身は本を一冊も書き残さなかったので、私たちが知るソクラテスの姿は、すべて弟子たちの手による記録を通したものです。
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■なぜソクラテスは裁判にかけられたのか
ソクラテスの罪状は、国が認めていない神を信じさせ、若者を堕落させたというもの。でも実際のところは、もっと人間くさい理由があったようです。
ソクラテスは、賢いと評判の政治家や職人の元に次々と訪れて話しかけ、対話を重ねていきました。すると多くの人たちが、知っているつもりで実はよくわかっていないということが、対話の中で明らかになっていきました。これをやられた人たちのプライドはめちゃくちゃ傷つくし、当然恨みも買う。この積み重ねが裁判という形で噴き出したというのが、実情に近いようです。
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さらに、当時アテナイは戦争に負けた直後で、一時的に独裁政治が敷かれ、それが崩れてまた民主制に戻るという、政治的にとても不安定な時期でもありました。ソクラテスの言動が、権力を握る人たちにとって都合が悪かったという背景も指摘されています。
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■裁判の結果と、プリュタネイオンでの食事
裁判の結果、ソクラテスは本当にわずかな差で有罪になります。当時のアテナイの裁判では、有罪が決まった後に検察側と被告側がそれぞれ刑罰を提案し、陪審員がどちらかを選ぶという仕組みでした。検察側は死刑を求刑。
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一方、被告のソクラテスは、自分にふさわしい刑として「プリュタネイオンでの食事」を提案したのでした。プリュタネイオンというのは、オリンピックの優勝者など、国家に多大な貢献をした人物を国費で手厚くもてなす特別な食事のこと。つまりソクラテスは、「私は罰を受けるどころか、この国に最も貢献した人間として、むしろ表彰されるべきだ」と言い放ったことになります。煽りまくり。当然ながら、陪審員の心証を著しく損ないました。
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実際、多くの研究者はこの場面も、ソクラテスが本気で減刑を勝ち取ろうとしていたわけではなく、自分の生き方や信念そのものを一切曲げないという態度を最後まで貫いたものだと解釈しています。結果的に、彼は死刑判決を受けました。
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■なぜ信念を曲げなかったのか
哲学をやめるなら命を助けてやると言われても、ソクラテスはそれに従わない。なぜなら彼にとって本当に恐ろしいのは、死ぬことではなく、自分の信念を裏切って生きながらえることだったからです。不正を行うことや、自分の使命を放棄することの方が、死よりずっと恥ずべきことだと。
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死は実のところ、いいものなのか悪いものなのか、誰にもわからない。いわば未知のものに過ぎない。それなのに、それを恐れて信念を曲げるのは、知らないことを知っていると思い込む愚かさそのものだ、というのがソクラテスの考えでした。それを恐れることそのものが、実は知ったかぶりの一種であると。
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■プラトンにとっての、この二作品
この本を書いたプラトンは、当時まだ20代後半の若い弟子でした。しかも彼の親族は、その独裁政治の中心人物で、プラトンは本来、権力側に近い立場に生まれた人だったのです。しかしこの独裁政治は暴力的に失敗に終わり、代わりに復活した民主政は尊敬するソクラテスを死刑にしてしまいます。プラトンは、独裁政治も民主政治も、どちらも本当の正義を実現できなかったという深い失望を味わい、この経験が、プラトンを後の哲学者プラトンへと押し上げていくのでした。
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ソクラテスの言葉を後世に伝えるために、プラトンは対話編という、まるで会話をそのまま書き起こしたような文章スタイルで執筆しました。『ソクラテスの弁明』と『クリトン』は、その中でも最も初期に書かれた作品とされていて、実際の裁判や獄中でのやり取りが比較的忠実に描かれていると言われています。つまりこの二つの作品は、プラトンにとって、不当に処刑された師への弔いであり、名誉回復の書でもありました。間違っていたのはソクラテスを裁いたポリス(都市国家)の側だと、後世に伝え残そうとしたのでした。師への思いの深さと痛みが、そのまま作品の動機になっています。
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■責任と誠実さ
脱獄を勧める旧友クリトンに対して、ソクラテスはこんな理屈で断ります。
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「私を育て、教育し、これまで守ってくれたのはこの国の法律だ。私は生涯このアテナイにとどまり続け、その恩恵を受け取ってきた。それは、いわば黙って交わした約束のようなものだ。今それが気に入らないからといって、一方的に破って逃げるのは失礼なことだ」
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これは「悪法もまた法なり」、つまり法律には黙って従えという単純な意味に受け取られがちですが、実際の議論はもう少し丁寧で、自分がずっとその恩恵を受けてきた共同体に対して、都合の悪い時だけ約束を破るのはフェアではないという、責任や誠実さについての議論として読むこともできます。
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興味深いのは、プラトン自身は民主政アテナイに強い不信感を持っていたはずなのに、作品の中のソクラテスには国法への忠実さを語らせているという点です。政治のやり方(民主制か独裁か)と、共同体への責任・正義を、プラトンは分けて考えていたのかもしれません。
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■ 「無知の知」の来歴
今回のゼミで、苫野先生が特に長い時間とどまっておられたのが、この本を象徴する言葉として知られる「無知の知」についてでした。実は、ソクラテス自身はこの言葉を一度も言っていないのです。
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ソクラテスが実際に語っているのは「世間で賢いと言われる人たちを訪ね歩いたら、みんな知らないことを知っていると思い込んでいた。自分はせめて知らないということを知っている分、彼らよりもマシなのかもしれない」ということです。
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ここから「無知の知」という四字熟語が生まれたということになっていますが、実はこの言葉は昭和初期の日本語生まれの言葉で、ソクラテスとは無関係の言葉でした。
15世紀の思想家ニコラウス・クザーヌスに『学識ある無知について』という著作があります。この翻訳語として、大正時代の日本の哲学辞典に「無知の知」という言葉がついていましたが、その時点では、ソクラテスとは一切結びついてはいませんでした。
それを初めてソクラテスと結びつけて解説したのが、昭和4年(1929年)、日本の哲学者・高橋聡美という人物だったといいます(哲学者・納富信留先生の研究による)
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このわかりやすいキャッチフレーズが広まって、いつのまにか「ソクラテスといえば無知の知」という形で、世界史や倫理の教科書にも載るほど定番として定着してしまったようです。納富先生は、「無知の知」ではなく「不知の自覚」という言葉を使うべきだと主張しています。
「知」という言葉には、愚かであるというマイナスの価値基準がだいぶ含まれている。しかし「不知」は、単に知らないという事実を指すだけで、いいも悪いもない。ソクラテスが気づいたのは、自分は愚かだということではなく、単に知らないことがあるという事実だった。この違いを大切にするならば、「不知の自覚」の方がソクラテスの実際の視線に近い、というのが納富先生の主張です。
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■消費される言葉
ディスカッションの中で私が感じていたのは、「無知の知」という言葉そのものに、ある種のねじれ、ちょっと自己満足的な響きがあるな、ということだった。「私は何も知らない」と言いながら、その実、知らないと知っている点であなたより優れているという、一周回った優越感の構造があるような気がします。
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四字熟語として完結した美しさ、キャッチーさというのが、かえってこの優越感を強めてしまっているような感覚があります。実際のソクラテスの姿というのは、本当は苦しくて居心地の悪いものだったはず。だから自分の不知の自覚に安住したのではなく、それを街の人たちの前で実践し続けたことが、彼を死刑に処されるところまで導いた。痛みを伴う代償的なプロセスだったはずなのに、なんだかこう悟っているような、全てを知って、知らないことを知っているということが、すでに知っているみたいな、そういう違った意味に捉えかねない。
この「無知の知」という完結したように見える言葉だけが一人歩きすると、痛みの部分が切り離されてしまって、座右の銘やビジネス上の格言として消費されてしまうような、都合のいい言葉に変わってしまうような、そんな恐れがあるなと感じました。
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当たり前に知っているような言葉、当たり前に使っている言葉も、実はその意味がどこから来ているのか、本来はどういう意味だったのかを改めて知ることで、世界の見え方が変わる。自分の言葉の置き方が変化していきますね。
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次回取り上げるのは、プラトンの『ゴルギアス』の予定です。
今回の指定図書は、プラトンの『ソクラテスの弁明』と『クリトン』。この本が扱っているのは「知っていることと知らないこと」「信念に従って生きること」という、誰にとっても身近なテーマです。
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プラトンの初期に書かれたと考えられている作品で、私が読んだのは1964年出版の岩波文庫。一冊に、短い作品が二つ収められています。
一つ目の「ソクラテスの弁明」は、裁判にかけられたソクラテスが、法廷で自分の生き様を堂々と語る場面を描いたもの。「クリトン」は、死刑判決を受けて牢獄にいるソクラテスのもとに、旧友のクリトンが逃げようと説得しにきた時の対話です。
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どちらも紀元前399年、古代ギリシャのアテナイという都市国家で実際に起きた事件がもとになっています。書いたのはソクラテスの弟子であるプラトン。ソクラテス自身は本を一冊も書き残さなかったので、私たちが知るソクラテスの姿は、すべて弟子たちの手による記録を通したものです。
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■なぜソクラテスは裁判にかけられたのか
ソクラテスの罪状は、国が認めていない神を信じさせ、若者を堕落させたというもの。でも実際のところは、もっと人間くさい理由があったようです。
ソクラテスは、賢いと評判の政治家や職人の元に次々と訪れて話しかけ、対話を重ねていきました。すると多くの人たちが、知っているつもりで実はよくわかっていないということが、対話の中で明らかになっていきました。これをやられた人たちのプライドはめちゃくちゃ傷つくし、当然恨みも買う。この積み重ねが裁判という形で噴き出したというのが、実情に近いようです。
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さらに、当時アテナイは戦争に負けた直後で、一時的に独裁政治が敷かれ、それが崩れてまた民主制に戻るという、政治的にとても不安定な時期でもありました。ソクラテスの言動が、権力を握る人たちにとって都合が悪かったという背景も指摘されています。
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■裁判の結果と、プリュタネイオンでの食事
裁判の結果、ソクラテスは本当にわずかな差で有罪になります。当時のアテナイの裁判では、有罪が決まった後に検察側と被告側がそれぞれ刑罰を提案し、陪審員がどちらかを選ぶという仕組みでした。検察側は死刑を求刑。
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一方、被告のソクラテスは、自分にふさわしい刑として「プリュタネイオンでの食事」を提案したのでした。プリュタネイオンというのは、オリンピックの優勝者など、国家に多大な貢献をした人物を国費で手厚くもてなす特別な食事のこと。つまりソクラテスは、「私は罰を受けるどころか、この国に最も貢献した人間として、むしろ表彰されるべきだ」と言い放ったことになります。煽りまくり。当然ながら、陪審員の心証を著しく損ないました。
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実際、多くの研究者はこの場面も、ソクラテスが本気で減刑を勝ち取ろうとしていたわけではなく、自分の生き方や信念そのものを一切曲げないという態度を最後まで貫いたものだと解釈しています。結果的に、彼は死刑判決を受けました。
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■なぜ信念を曲げなかったのか
哲学をやめるなら命を助けてやると言われても、ソクラテスはそれに従わない。なぜなら彼にとって本当に恐ろしいのは、死ぬことではなく、自分の信念を裏切って生きながらえることだったからです。不正を行うことや、自分の使命を放棄することの方が、死よりずっと恥ずべきことだと。
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死は実のところ、いいものなのか悪いものなのか、誰にもわからない。いわば未知のものに過ぎない。それなのに、それを恐れて信念を曲げるのは、知らないことを知っていると思い込む愚かさそのものだ、というのがソクラテスの考えでした。それを恐れることそのものが、実は知ったかぶりの一種であると。
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■プラトンにとっての、この二作品
この本を書いたプラトンは、当時まだ20代後半の若い弟子でした。しかも彼の親族は、その独裁政治の中心人物で、プラトンは本来、権力側に近い立場に生まれた人だったのです。しかしこの独裁政治は暴力的に失敗に終わり、代わりに復活した民主政は尊敬するソクラテスを死刑にしてしまいます。プラトンは、独裁政治も民主政治も、どちらも本当の正義を実現できなかったという深い失望を味わい、この経験が、プラトンを後の哲学者プラトンへと押し上げていくのでした。
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ソクラテスの言葉を後世に伝えるために、プラトンは対話編という、まるで会話をそのまま書き起こしたような文章スタイルで執筆しました。『ソクラテスの弁明』と『クリトン』は、その中でも最も初期に書かれた作品とされていて、実際の裁判や獄中でのやり取りが比較的忠実に描かれていると言われています。つまりこの二つの作品は、プラトンにとって、不当に処刑された師への弔いであり、名誉回復の書でもありました。間違っていたのはソクラテスを裁いたポリス(都市国家)の側だと、後世に伝え残そうとしたのでした。師への思いの深さと痛みが、そのまま作品の動機になっています。
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■責任と誠実さ
脱獄を勧める旧友クリトンに対して、ソクラテスはこんな理屈で断ります。
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「私を育て、教育し、これまで守ってくれたのはこの国の法律だ。私は生涯このアテナイにとどまり続け、その恩恵を受け取ってきた。それは、いわば黙って交わした約束のようなものだ。今それが気に入らないからといって、一方的に破って逃げるのは失礼なことだ」
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これは「悪法もまた法なり」、つまり法律には黙って従えという単純な意味に受け取られがちですが、実際の議論はもう少し丁寧で、自分がずっとその恩恵を受けてきた共同体に対して、都合の悪い時だけ約束を破るのはフェアではないという、責任や誠実さについての議論として読むこともできます。
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興味深いのは、プラトン自身は民主政アテナイに強い不信感を持っていたはずなのに、作品の中のソクラテスには国法への忠実さを語らせているという点です。政治のやり方(民主制か独裁か)と、共同体への責任・正義を、プラトンは分けて考えていたのかもしれません。
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■ 「無知の知」の来歴
今回のゼミで、苫野先生が特に長い時間とどまっておられたのが、この本を象徴する言葉として知られる「無知の知」についてでした。実は、ソクラテス自身はこの言葉を一度も言っていないのです。
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ソクラテスが実際に語っているのは「世間で賢いと言われる人たちを訪ね歩いたら、みんな知らないことを知っていると思い込んでいた。自分はせめて知らないということを知っている分、彼らよりもマシなのかもしれない」ということです。
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ここから「無知の知」という四字熟語が生まれたということになっていますが、実はこの言葉は昭和初期の日本語生まれの言葉で、ソクラテスとは無関係の言葉でした。
15世紀の思想家ニコラウス・クザーヌスに『学識ある無知について』という著作があります。この翻訳語として、大正時代の日本の哲学辞典に「無知の知」という言葉がついていましたが、その時点では、ソクラテスとは一切結びついてはいませんでした。
それを初めてソクラテスと結びつけて解説したのが、昭和4年(1929年)、日本の哲学者・高橋聡美という人物だったといいます(哲学者・納富信留先生の研究による)
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このわかりやすいキャッチフレーズが広まって、いつのまにか「ソクラテスといえば無知の知」という形で、世界史や倫理の教科書にも載るほど定番として定着してしまったようです。納富先生は、「無知の知」ではなく「不知の自覚」という言葉を使うべきだと主張しています。
「知」という言葉には、愚かであるというマイナスの価値基準がだいぶ含まれている。しかし「不知」は、単に知らないという事実を指すだけで、いいも悪いもない。ソクラテスが気づいたのは、自分は愚かだということではなく、単に知らないことがあるという事実だった。この違いを大切にするならば、「不知の自覚」の方がソクラテスの実際の視線に近い、というのが納富先生の主張です。
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■消費される言葉
ディスカッションの中で私が感じていたのは、「無知の知」という言葉そのものに、ある種のねじれ、ちょっと自己満足的な響きがあるな、ということだった。「私は何も知らない」と言いながら、その実、知らないと知っている点であなたより優れているという、一周回った優越感の構造があるような気がします。
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四字熟語として完結した美しさ、キャッチーさというのが、かえってこの優越感を強めてしまっているような感覚があります。実際のソクラテスの姿というのは、本当は苦しくて居心地の悪いものだったはず。だから自分の不知の自覚に安住したのではなく、それを街の人たちの前で実践し続けたことが、彼を死刑に処されるところまで導いた。痛みを伴う代償的なプロセスだったはずなのに、なんだかこう悟っているような、全てを知って、知らないことを知っているということが、すでに知っているみたいな、そういう違った意味に捉えかねない。
この「無知の知」という完結したように見える言葉だけが一人歩きすると、痛みの部分が切り離されてしまって、座右の銘やビジネス上の格言として消費されてしまうような、都合のいい言葉に変わってしまうような、そんな恐れがあるなと感じました。
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当たり前に知っているような言葉、当たり前に使っている言葉も、実はその意味がどこから来ているのか、本来はどういう意味だったのかを改めて知ることで、世界の見え方が変わる。自分の言葉の置き方が変化していきますね。
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次回取り上げるのは、プラトンの『ゴルギアス』の予定です。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 06:492.
ソクラテスは「無知の知」と言っていなかった
- 06:103.
次回はプラトン「ゴルギアス」
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