#271 原爆から人間を問う ―「平和に生きる」を考える文学読書会レポート
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8月14日に福岡市城南区にある出版社・里山社で開催された読書会「平和に生きる」のレポートです。テーマは「原爆から人間を問う」。
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ナビゲーターは、美学・哲学を専門とする西南学院大学の柿木伸之先生。聞き手は里山社代表の清田麻衣子さんでした。
日本国憲法を読む上で、法や制度を学ぶだけでは届かない、戦争や人権の問題を我がこととして感じるための回路として文学を選んだ、というのがこの読書会の趣旨です。
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課題図書は、原民喜の『夏の花・心願の国』(新潮文庫、大江健三郎解説)。併読図書として、大田洋子の『屍の街・夕凪の街と人と』、林京子の『祭りの場 ギヤマン ビードロ』、そして大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』が挙げられていました。原爆文学の中でも、書かれた年代も、書き手の立場も異なる作品を並べて読む体験をしました。
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原民喜の『夏の花』は、彼が広島で被爆した1945年の秋から冬にかけて綴った「原爆被災時のノート」がもとになっています。柿木先生によると、この作品はもともと手帳に、カタカナと漢字でメモのように書きつけられたもので写真を見せていただきました。文庫本よりも一回り小さい、インクの薄れかけたページを見ると、これが本当に、あの日その場で書きつけられたものなのだと衝撃的でした。
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タイトルの「夏の花」とは、原が亡くなった妻の墓に手向けた黄色い花のこと。墓参りの2日後に原爆に襲われ、壊滅していく街をさまよいながら、無数の死を目の当たりにしていきました。その後、書き残すために1年だけ生き延びようと自分に言い聞かせながら書き続け、結果として6年近く書き継いだのち、1951年に自ら命を絶ちました。「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのために生きよ」という言葉が、作品の中で繰り返し語られています。
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作品終盤にカタカナと漢字だけで書かれた詩があります。柿木先生いわく、当時カタカナ表記自体は珍しいものではなく、手帳に素早く書きつけるための実際的な理由もあっただろうと前置きしたうえで、同時に、これまで体験したことのない世界がそこに開かれてしまったという感覚が、この表記に込められていると解説くださいました。確かに現実だけれど現実ではないところに連れていかれるような、異界に触れるような錯覚に陥ります。
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大田洋子は爆心から北に離れた住宅地で被爆し、8月のうちに『屍の街』を書き始めました。壊滅した広島で人が死んでいくさまを、科学的な観察も交えながら見つめている。同じ女性として、無残な姿になった人々の描写に耐えきれないと感じる場面がある一方で、被爆をまぬがれ薄化粧までしている女学生を見て、自分がみじめに思えてしまうという記述もあり、原民喜とはまったく異なる角度から、あの日の広島が描かれています。
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林京子の『祭りの場』は、長崎で被爆した体験をもとに、被爆から30年後に書かれた作品です。
上海からの引き揚げを経て長崎高等女学校に通っていた林は、1945年8月9日、兵器工場での学徒動員中に、14歳で被爆しました。小説は、著者自身をモデルにした主人公が、炸裂した原子爆弾の光と爆風の中を生き延び、火の海と化した街を自宅へと向かって歩く体験と、30年後の現在とを行き来しながら描かれます。
道中で目にした、皮膚を焼かれ水を求めながら息絶えていく人々。命からがら再会したはずの女学校の友人や教師たちが、その後次々と原爆症で亡くなっていく凄惨な姿。それらが、長い歳月を経て、生き延びた者としての深い葛藤とともに、冷徹なまでに抑制された筆致で回想されていきます。ようやく言葉にできた哀悼のかたちでした。
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時間のかかった作品として話題になっていたのが、原民喜の詩に作曲家の林光が曲をつけた合唱組曲『原爆小景』でした。1958年に一曲が作られてから、完結までに実に40年以上の歳月がかかったといいます。歌としてだけでなく、語りが折り重なるような構成で、YouTubeでも聞くことができます。
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大江健三郎が、この新潮文庫版の原民喜選集を編んだ経緯についても話がおよびました。若い世代が出会うべき現代文学の書き手として原民喜を位置づけたこと、そして原爆の経験こそが現代文学のもっとも避けがたいテーマのひとつであると考えたこと。この二つの理由から、大江は原爆以前の作品をあえて外し、時系列を並べ替えて編集したといいます。1973年という出版のタイミングを思うと、原爆の記憶が少しずつ遠ざかっていく時代の空気に対する、ひとつの抵抗だったのかもしれません。
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当時原子爆弾という言葉自体が、占領下では公にできなかったといいます。GHQの検閲のもとで、原爆がどのような被害をもたらしたのかということ自体が、長く伝えられずにいた。『夏の花』も、初出の際にはいくつかの箇所が自己規制の形で削除されていたのだそうです。ことばにすること自体が、当時すでに困難を強いられていたのでした。
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締めの言葉として柿木先生がこんなことを語ってくれました。例えばイスラム圏のサラーム、韓国のアンニョン。どちらも「平和」という言葉で、これ以外にも挨拶として「平和」が世界中で使われています。平和は私たちが生きていくうえでの大前提なのだということ。そして原爆文学を読むという行為は、遠い過去の記憶をたどることではなく、いま自分がどう生きるかを問い直すことなのだと。
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この読書会を通して、私自身「平和」という言葉が、いつのまにかとても概念的なものになってしまっていたとショックでした。被爆した国である日本に生まれ、日本人として育った以上、このことを知らずに生きていくことはできないはず。しかし例えば学校教育の中では、夏休みに一日だけ登校日が設けられ、一年に一度だけ原爆について考える程度になってしまっている。被爆体験を語ってくれる語り部の方々も、年々少なくなる中、だからこそ、こうした文学を通して知っていくことが、平和について考えるうえで欠かせない体験だと感じました。
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子ども時代にインパクトのあったマンガ「裸足のゲン」が、子どもたちが怖がるからという大人の配慮で図書館に置かれなくなったというニュースを耳にしたことがあります。しかし痛くても、苦しくても、悲しくても、残酷であっても、目を背けられない。これを知らずに今を生き、平和について考えることなどできないのではないかと、強く感じました。
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私は原爆文学というジャンルがあること自体、今回初めて知ったのですが、柿木先生は今年の8月6日に広島へ足を運んだといい、もう一人別の参加者も同じことをおっしゃっていました。なぜこの日に広島へ向かうのか、これらの本に触れてその理由が少しわかった気がします。来年の8月6日は、私も広島へ行きたいと思いました。
8月14日に福岡市城南区にある出版社・里山社で開催された読書会「平和に生きる」のレポートです。テーマは「原爆から人間を問う」。
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ナビゲーターは、美学・哲学を専門とする西南学院大学の柿木伸之先生。聞き手は里山社代表の清田麻衣子さんでした。
日本国憲法を読む上で、法や制度を学ぶだけでは届かない、戦争や人権の問題を我がこととして感じるための回路として文学を選んだ、というのがこの読書会の趣旨です。
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課題図書は、原民喜の『夏の花・心願の国』(新潮文庫、大江健三郎解説)。併読図書として、大田洋子の『屍の街・夕凪の街と人と』、林京子の『祭りの場 ギヤマン ビードロ』、そして大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』が挙げられていました。原爆文学の中でも、書かれた年代も、書き手の立場も異なる作品を並べて読む体験をしました。
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原民喜の『夏の花』は、彼が広島で被爆した1945年の秋から冬にかけて綴った「原爆被災時のノート」がもとになっています。柿木先生によると、この作品はもともと手帳に、カタカナと漢字でメモのように書きつけられたもので写真を見せていただきました。文庫本よりも一回り小さい、インクの薄れかけたページを見ると、これが本当に、あの日その場で書きつけられたものなのだと衝撃的でした。
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タイトルの「夏の花」とは、原が亡くなった妻の墓に手向けた黄色い花のこと。墓参りの2日後に原爆に襲われ、壊滅していく街をさまよいながら、無数の死を目の当たりにしていきました。その後、書き残すために1年だけ生き延びようと自分に言い聞かせながら書き続け、結果として6年近く書き継いだのち、1951年に自ら命を絶ちました。「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのために生きよ」という言葉が、作品の中で繰り返し語られています。
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作品終盤にカタカナと漢字だけで書かれた詩があります。柿木先生いわく、当時カタカナ表記自体は珍しいものではなく、手帳に素早く書きつけるための実際的な理由もあっただろうと前置きしたうえで、同時に、これまで体験したことのない世界がそこに開かれてしまったという感覚が、この表記に込められていると解説くださいました。確かに現実だけれど現実ではないところに連れていかれるような、異界に触れるような錯覚に陥ります。
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大田洋子は爆心から北に離れた住宅地で被爆し、8月のうちに『屍の街』を書き始めました。壊滅した広島で人が死んでいくさまを、科学的な観察も交えながら見つめている。同じ女性として、無残な姿になった人々の描写に耐えきれないと感じる場面がある一方で、被爆をまぬがれ薄化粧までしている女学生を見て、自分がみじめに思えてしまうという記述もあり、原民喜とはまったく異なる角度から、あの日の広島が描かれています。
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林京子の『祭りの場』は、長崎で被爆した体験をもとに、被爆から30年後に書かれた作品です。
上海からの引き揚げを経て長崎高等女学校に通っていた林は、1945年8月9日、兵器工場での学徒動員中に、14歳で被爆しました。小説は、著者自身をモデルにした主人公が、炸裂した原子爆弾の光と爆風の中を生き延び、火の海と化した街を自宅へと向かって歩く体験と、30年後の現在とを行き来しながら描かれます。
道中で目にした、皮膚を焼かれ水を求めながら息絶えていく人々。命からがら再会したはずの女学校の友人や教師たちが、その後次々と原爆症で亡くなっていく凄惨な姿。それらが、長い歳月を経て、生き延びた者としての深い葛藤とともに、冷徹なまでに抑制された筆致で回想されていきます。ようやく言葉にできた哀悼のかたちでした。
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時間のかかった作品として話題になっていたのが、原民喜の詩に作曲家の林光が曲をつけた合唱組曲『原爆小景』でした。1958年に一曲が作られてから、完結までに実に40年以上の歳月がかかったといいます。歌としてだけでなく、語りが折り重なるような構成で、YouTubeでも聞くことができます。
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大江健三郎が、この新潮文庫版の原民喜選集を編んだ経緯についても話がおよびました。若い世代が出会うべき現代文学の書き手として原民喜を位置づけたこと、そして原爆の経験こそが現代文学のもっとも避けがたいテーマのひとつであると考えたこと。この二つの理由から、大江は原爆以前の作品をあえて外し、時系列を並べ替えて編集したといいます。1973年という出版のタイミングを思うと、原爆の記憶が少しずつ遠ざかっていく時代の空気に対する、ひとつの抵抗だったのかもしれません。
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当時原子爆弾という言葉自体が、占領下では公にできなかったといいます。GHQの検閲のもとで、原爆がどのような被害をもたらしたのかということ自体が、長く伝えられずにいた。『夏の花』も、初出の際にはいくつかの箇所が自己規制の形で削除されていたのだそうです。ことばにすること自体が、当時すでに困難を強いられていたのでした。
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締めの言葉として柿木先生がこんなことを語ってくれました。例えばイスラム圏のサラーム、韓国のアンニョン。どちらも「平和」という言葉で、これ以外にも挨拶として「平和」が世界中で使われています。平和は私たちが生きていくうえでの大前提なのだということ。そして原爆文学を読むという行為は、遠い過去の記憶をたどることではなく、いま自分がどう生きるかを問い直すことなのだと。
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この読書会を通して、私自身「平和」という言葉が、いつのまにかとても概念的なものになってしまっていたとショックでした。被爆した国である日本に生まれ、日本人として育った以上、このことを知らずに生きていくことはできないはず。しかし例えば学校教育の中では、夏休みに一日だけ登校日が設けられ、一年に一度だけ原爆について考える程度になってしまっている。被爆体験を語ってくれる語り部の方々も、年々少なくなる中、だからこそ、こうした文学を通して知っていくことが、平和について考えるうえで欠かせない体験だと感じました。
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子ども時代にインパクトのあったマンガ「裸足のゲン」が、子どもたちが怖がるからという大人の配慮で図書館に置かれなくなったというニュースを耳にしたことがあります。しかし痛くても、苦しくても、悲しくても、残酷であっても、目を背けられない。これを知らずに今を生き、平和について考えることなどできないのではないかと、強く感じました。
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私は原爆文学というジャンルがあること自体、今回初めて知ったのですが、柿木先生は今年の8月6日に広島へ足を運んだといい、もう一人別の参加者も同じことをおっしゃっていました。なぜこの日に広島へ向かうのか、これらの本に触れてその理由が少しわかった気がします。来年の8月6日は、私も広島へ行きたいと思いました。
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フィッシュ 明子
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タイトルコール
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8/6に広島に行く意味
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