Voicy Journal

「やめ方の流儀」やめ方が分からない時にはどうすればよいかー澤円

「やめ方の流儀」やめ方が分からない時にはどうすればよいかー澤円

澤円さんが「やめ方の流儀」をご紹介。続けることで生み出される価値と、やめるタイミング。そのバランスの取り方とは?

この記事は、Voicyパーソナリティ澤円さんの放送をもとに書き起こした記事です。
音声でも聴きたい方は、記事最後の再生プレーヤーからお楽しみください!

可処分時間を取り合う時代に必要な「やめ方の流儀」

今日はオンラインサロンメンバーからもらったリクエストに応える形でお届けしようと思うんですけれども、これは「やめ方の流儀」です。何かをやめるという方法というのが、今すごく取りざたされてるんじゃないかなと思います。

なんでかというと、可処分時間、つまり24時間という一日の割り当てというのは変わらないんですけど、それを周りにいろんなビジネスだったりとか様々なサービスというものが取り合いをしている状態なんですよね。ですのでどんどんどんどん時間が奪われているというか、減っていくと。最終的には、例えば睡眠時間とか食事の時間とか、本来生命維持のために必要な時間を削ってしまう人も中にはいるのかもしれないですよね。

Clubhouseなんて、もうこれ完全に寝不足人間製造マシンになってるんじゃないかと思うんですけれども、僕もまあその状態になってるんですけどね。それはともかく、何かをやめるというのは、人生を豊かに生きていくうえで、非常に重要なポイントなのかなと思います。

ちなみに僕は、辞めるのが超苦手な人間なんです。何かを始めるとアホみたいに続けてしまうというタイプの人間で、例えばこのVoicyも今日でもう1050回です。ということで、一度始めたものっていうのはなかなかやめないというのが、僕のある意味特徴になっています。それそのものは僕は全然悪いことだと思ってなくて。というのは、やらされているものを続けているというのはないんですね。自分が始めたものっていうのをなかなかやめないということなので、これは別にそんなに悪いことではないかなというふうに考えています。

そして、無理しているつもりはあまりないんです。周りからすると充分無理してるように見えるのかもしれないんですけど、僕はそんなに無理をしているという気はなくて、自分のペースで、その自分のペースが異常なペースに見える場合もあるかもしれないんですけども、僕が決めたペースにバカ正直にひたすら続けるということをしています。そしてじゃあ何もかもやめないのか、どんどん足していくのかというと、そんなことはないんですね。あっさりとやめてしまう場合もあります。

一旦やめてみようというマインド

僕の場合は一旦やめてみようっていうマインドでやめることが多いです。ですので、完全にもう2度とやらないとか、絶対に再開はないとかっていう不退転の決意を持っているか、そこまではあんまり考えてなくて、一旦これは休止状態にしようっていう、そういうやり方っていうのが割と多いかなと思います。

それの典型は実はスキーなんです。僕、正指導員まで持っているので、相当スキーには時間とお金をつぎ込んだんですけれども、実はこの3シーズン、スキー滑ってないですね。一度もスキー場に行っていません。去年はコロナの騒ぎもあったから仕方がないとして、昨年もですね、何だかんだいって土日にものすごくたくさんの仕事が入ってしまって、週末も使えなかったんでスキーに行かなかったんですけれども、今年は、会社も辞めて時間の自由がかなり効く状態なんで、行こうと思えば行けるんだけれども、あえて僕は行っていないですね。

というのも、なんとなく夢中になれない状態になっているなって自分で感じたのと、あともう1つが、何のためにやっていたかっていうのを考えると、途中から完全に資格取得のためにやっていた状態だったんですよね。その正指導員を取るのにものすごい時間がかかったんで、それを取るまではこれやめられないなあっていうふうに思って、必死こいてやってたんですけれど。10年くらい前だったかな、資格を取ったんですけれども、取ったら割とどうでも良くなっちゃったんです。

ただ、せっかく取得したのでそれを活かしてしてみようかなと思って、スキースクールでインストラクターをやらせてもらったり、会社のスキークラブのほうでちょっとクラスを持たせてもらったりとかして、充分にやり尽くしたなーっていう感じもしているので。とりあえず一旦休止にしようかなと思って、今お休みしてる状態なんです。

またふとした瞬間に再開するかもしれないんですけれども、そのときには正指導員というもうある意味これ呪縛です。呪縛、呪いみたいなものなんで、そしてその資格そのものに僕多分、それほど価値感じてないんです。なんか色々やった結果としてただ取得をしたということに関しては、これは一つ誇りに思ってもいいことかもしれないので、それはそれとして置いといて。その上でですね、自分のペースでスキーが楽しめればいいかなと思って、一旦休止というそういう状態になっています。

自分に必要じゃないと思ったらやめる

他にも、いくつかやめたものっていうのがあるかなと思って考えてみたらですね、ずーっと前ですけれども、もう25年位前にタバコをやめたんですよね。数年だけ吸ってたんですけれども、やめてみました。何故かというと、あんまり体質に合ってなかったっていう、もうそれだけですね。吸うとなんとなくスッキリしたような気はしたんですけれども、やっぱりそれ以上に体調悪くなったりとか咳き込んだりとかなんか食べ物美味しくなくなっちゃったりとかっていうほうが気になっちゃったんで、これはさくっとやめたんです。これは体に悪いからというよりも、自分にあまり必要じゃないなと思ったからやめたっていう感じでしたね。

タバコを吸ってると、タバコを軸にしていろんな人間関係ができたりとか、会話が生まれたりとかっていう、そのコミュニケーションツールとしての側面というのもあったんですけれど、ただそのためにわざわざあまり美味しいとも感じないタバコを吸うっていうのは必要ないなと思ったので、やめてみました。

他には、つまらない人間との付き合い。これもいくつもやめたものがあります。ずっと顔を出していたコミュニティに顔を出さなくなったり、あるいはさっきと同じような形で、ちょっと一旦間を置こうかなっていう感じでお付き合いが一回途切れている人たちとか、そういったものもあります。

そういう付き合いが途切れてしまうと、もう復活できないんじゃないかって思うかもしれないんですけど、もしそれが復活できないんだったらそれまでなんです。要するにその程度のものだったっていうふうに再認識することができると思うので、いろいろ考える前にまずやめてみる。正確に言うと、距離をとってみるというのが効率的なんじゃないかなと思います。

距離を置いてみると見えてくることがある

まずはそうやってちょっと距離を置いてみて、そしてどういう変化が起きるのかというのが、これやってみないとわからないので、だからやめるということをポジティブに、積極的に、アグレッシブにトライしてみるという、そういう考え方もいいのかななんて思います。

質問いただいた方は、自分のしていることが継承できないかも、破壊になるかもっていうふうに思ってやめることができないと思う機会がどうやらあるらしいですね。ですけど、やめてみて、それを観察すればいいんじゃないかと思うんです。そして自分がずっとそれを続けないと継承できなかったものっていうのは、そもそも立て付けが脆弱だったんじゃないですかという、そういう考え方もできるわけです。その時には誰かに委譲しているとか、何かに予め共有するっていう事が必要だったという。それだけの話ですよね。

そしてそれが仮に何か破壊されたとしても、別にそこに対してすごく責任を感じなければならないというものでもないんじゃないかと僕は思っています。これはもう何もかも背負っちゃうとですね、本当に自分の時間を使いすぎてしまいますので、まず自分の時間は有限であるということと、その時間の使い方っていうのが、自分の人生に確実にプラスになっているっていう実感を持てるかどうかというのが、これが価値判断としてはすごく大事になってくるかなと思います。

続けることそのものが、価値を生む場合ももちろんありますし、僕がそれによっていろんな成功体験というのを得てはいるんですが、ただあまりにも続けることが目的になりすぎてしまって、自分が削られていっているっていうそういう感覚になっちゃったら、これはもう人生あんまり楽しんでない状態ですから。避けた方がいいんじゃないかと思うんです。ですので、とにかく自分の時間をトッププライオリティーで考える。これも本当にいつも言っていることですけれども、何かやってる最中って忘れがちなんです。

その時にはやめるというのを、例えば投げ出すとかですね、ぶっ壊すとかですね、そういうネガティブなワードに変換されるようなやめ方ではなくて、一旦休止とか。あるいはリズムを変えるというのでもいいかもしれないですね。

例えば、今までは毎日やってたんだけれども、これは一年に一回にしてみよう。これは一旦休止と言っても良いかもしれないですし、リズムを変えたとも言えるわけですよね。そうやることによって、自分の時間っていうのが増えて、結果的にハッピーになったんだとしたら、それはそれで大いに結構ということになるのかなと思います。

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