年間250回以上のプレゼンテーションに登壇し、「プレゼンの神様」としても知られる澤円さんが、正しい話し方よりも大事なことをご紹介。正しい日本語を使うことよりも、こだわるべきポイントとは?
この記事は、Voicyパーソナリティ澤円さんの放送をもとに書き起こした記事です。
音声でも聴きたい方は、記事最後の再生プレーヤーからお楽しみください!
目次
「〜させていただく」は間違った日本語?
Twitterを見ていたら、文春オンラインさんのある記事が話題になっていて、これは興味深いなと思ってちょっと見てたんです。これは何かというと、「させていただく」ということが、これがちょっとおかしいんじゃないかというか、要するに「間違った日本語として定着しちゃってるよね」みたいな、そういった話題だったんです。
正確に言うと、これは間違った日本語という定義よりは、またちょっと違う言い方を言語学者の方がしていたんですけども、本来「させていただく」っていうのは、恩恵性があったときに使いましょうねと言われています。例えば「会議室を使わせていただきます」とか、「何々さんの本を読ませていただいた」とか、こういったものっていうのは恩恵性があるので、これは「させていただく」という表現が適しているという、そういう話みたいです。
正しい日本語にどのくらいこだわっていますか?
僕は、実際にはここら辺はそんなにこだわりはないんですね。僕が使うかどうかというとあんまり言わないかな、ぐらいです。ただ、ついつい言ってしまっている場面もあるかなと思いますし、無意識のうちにこっちの方が適しているかなと思って、あえて「させていただく」みたいな表現をしていると思います。
これ、SNSを見ていたら、なんとなくこの「させていただく」という言葉を使っているだけで、人格否定をするようなことをおっしゃっている方もいたんで、ちょっとびっくりしました。正直、誤用とか、よく日本語の乱れとかっていうことを指摘する人いるんですけれども、言葉っていうのは生き物なので、結構変化していきます。例えば「ら抜き言葉」。「食べれる」とかそういうやつですね。そういうのを一時、ものすごく叩く風潮があった記憶があるんですけれど、今や使う人は使うし、使わない人は使わないと、ある意味定着してきているような感じもしますね。
自分はあんまり好きじゃない表現だから、言い回しだから使わないよというのは、僕は全然構わないと思うんです。その手の言葉は、洗練された話し方を身に付けておくと、すごくいろんなところで役立つのも事実です。
洗練された話し方は色々な場面で役立つ
というのも、「させていただく」とか、「ら抜き言葉」を使うとかいうのは、例えばプレゼンテーションをする時に、そういった言い方をすると気にする人は気にして、本当に聞いてほしいところに意識がいかなくなっちゃう可能性があるんです。そうすると、プレゼンテーションそのものが無駄になってしまうことになるので、これはコントロールして、自分でちょっと言い回しを洗練させておいたほうが結果的にはプラスに働くことが多いかなと思うんですね。
これはマナー云々の問題でもなければ、日本人なんだからこうしましょうみたいな「べき論」みたいな話でもないんですね。ただ、1つのテクニックとして使ってもいいんじゃないかなという程度の、そういう位置づけで僕は考えています。このちょっとしたことっていうのは、人の思考を濁らせると思ってるんです。それよりももっと大事なことっていうのは、言葉の本質、要は伝えたいと思っている内容に耳を傾けることができるかどうかという、そういった部分かなと思うんです。
こういう言葉尻だったりとか、言い回しっていうところばっかりをものすごく気にする人っていうのは、人の話を聞く気がないんじゃないの?っていう。これまた僕は違う見方をしちゃうんです。実際、そんなことないと思いますよ。実際そんなことないと思うし、それも決めつけなので、ある意味これも偏りのある考え方であることは重々承知なんですけれど、今みたいな考え方と対立することになりますよね。
ですので、もちろん自分自身は「させていただく」とか「ら抜き言葉」とかなんか違う謙譲語とか丁寧語とかの誤用みたいなものはしないぞと決めて、自分がそういう話し方をするのはいいんだけれども、ほかの人が使っているから、それを直さなきゃとかっていうのは、はっきり言ってしまうと余計なお世話だと思います。
他人の乱れた言葉遣いを治すのはお節介
ある人が「自分のチームメンバーの若い人たちがそういう言葉遣いをしているから直したい」って言ってたんですけど、これははっきり言いますけど、思い上がりも甚だしいというやつです。直すって何だよって話なんですよね。だったらあなたは日本語は100%完璧でないといけませんよということなんですね。
ですので、もし言うのであれば、そういうことを気にする人もいるし、自分もそれを気にするタイプの人間だから、そういう人に話を聞かせたいんだったら、リスクを減らすためにこういう言い回しをしてみてはどうかなということで、例文を提供すればいいんじゃないかなと思うんです。
その時に例文もなしに「させていただく」ってのは変な言い方だよとかっていうのは、申し訳ないけど、人を指導するような資格がある人の発言じゃないなって、これも僕の偏見ですけど思っちゃうわけです。それよりも、そういうことを気にしている人、まず自分自身の話はすごくおもしろくて、相手に必ず聞いてもらえるかどうかを省みた方がいいんじゃないの?と僕は思っちゃいます。
言葉尻の部分というのよりも、自分の話している内容というのは常に相手のことを考え、そしてすごく内容も吟味し、とにかく面白く、相手に思ってもらえるかどうか。面白いのは別に爆笑するようなものだけではなくて、興味を持ってもらうとか役に立ったと思うとか、何か未来の力を得たとか、そういう風に思わせることができているのかどうかを、常に自省した方がいいんじゃないかなと思うんです。
正しい言葉を使うということが絶対条件ではない
ちなみに僕も、もちろん話し方とか、なんか変な日本語を使う人だなって思うことはあります。ただ、例えば日本語だけじゃなくて英語もそうなんですけれど、じゃあ正しい言葉を使うということが絶対条件なのかというと、それよりは自分がその話を聞いて良かったと思うかどうかのほうが、プライオリティが高いような気がするんです。人の話を聞く、その時間を使ったことによって自分が何を得たのかの方が、すごく重要かなと。
もちろん、その中で美しい言葉を話す、正しい日本語の文法を押さえているというのも合わせて伝わってきたら、この人の話は素晴らしいなあという相乗効果になると思うんですけれど、言い回しが少々稚拙だったりとか、おかしな言葉を使っていたとしても、内容が心を打つことっていうのはぼちぼちあると思うんです。ですので、これは生活環境だったりとか、その周りの人の言語の影響を受けて言い方というのが変わっちゃってる人も中には居ますので、それよりもやっぱり話している中身に耳を傾けるというふうにしたほうが、僕はいいのかななんて思います。
でも今回、こういう記事によっていろんな人たちがいろんな考えというのを持ちつつ人の話を聞いてるんだなって、それを知るのはすごくいい機会だったかなと思うんです。そしてそういう人達は多分、記事によって気付きを得て、そして発言しているので、いつもその事ばっかり考えてるわけじゃないとは思うんですが、他の人がそういう言葉遣いをしている時に、おかしいから直した方がいいとか、そういうことを言ってる人は頭が悪そうに見える。
澤さんからの例題
そういうのであれば、例えばなんですけれども、今から言うことは全部間違いなのか、正しいのかっていうのはパッと瞬時に見極めていただきたいかなと思います。それに加えて何が間違っているのかということも併せて説明できるようになっていると、いいんじゃないかなと思いますね。
いくつか例を出しますね。
「担当者に伺ってください。」「ご乗車いただけません。」「よくご利用されるんですか?」「 取りに参ります。」「本日はご来店いただきまして、ありがとうございます。」「お早めにお召し上がりください。」「私には役不足です。」「どちらにいたしますか?」
分かりましたかね?
いくつかは一応文法上は正しいと言われている丁寧な言葉遣いというふうになっているみたいですけれども、まあちょっと遊んでみてはいかがでしょうか?