この記事は、Voicyパーソナリティタクヤ先生の放送をもとに書き起こした記事です。
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「勝ち負け」で分けられるほど人生は単純じゃない
よく人生の勝ち組とか負け組とか、お話される人いますよね。つい最近の話なんですけど、お仕事でお会いした方に、「いやータクヤ先生、人生の勝ち組でいらっしゃいますよね」って言われて、何それ?そんな風に見えたんだ?勝ち組とか負け組って言葉を発するんだと思ってびっくりしました。
別にその人がどうこうより勝ち負けで物を見ているんだなと思って。皆さんそういう感じなんですかね?少なくとも勝ち組とか負け組で、どっちかに分けようというのは僕の中には全くないです。僕その人に聞きたかったんですよ。僕の何をもって勝ち組だと思ったのか。
人生を勝ちとか負けで分けるときに、おそらくそこには個々人の明確なファクターがあると思うんです。例えばお金とか地位とか見た目とか技術とか。その人固有の勝ち負けを判別するファクターが色々存在していると思うんです。それを持っている人は勝ちで、持ってない人は負けっていう定義なんでしょうね。例えば、お金で測る人たちっていうのは、お金を持っていれば勝ち組、お金の無い方は負け組みたいな風になるんでしょうけれど、人生ってそんな単純なものじゃなくないですか?ってすごく思うんです。
お金をもっていれば幸せになれると思っているのは、お金を持ってない人の発想だと思うし、逆に、お金がなければ幸せだって思う人はお金持ちの人の発想だと思うし、結局人間って無い物ねだりじゃないですか。だから持ってないものに憧れるんです。
例えば、結婚している人が勝ち組という人は多分独身の方だろうし、独身で自由に独身貴族を謳歌している人が勝ち組と思う人は結婚して自分の自由が奪われたり、ちょっと結婚しなきゃよかったと思ってらっしゃる方なんでしょうね。結局無い物ねだりになっていると。そういう目線で見ていくと、結局ファクターは持ってるか持ってないかで勝ち負けを分けていると。その時点でちょっと違う、ナンセンスだと思うんですよね。
人生を楽しむために必要なものは何か
持ってるか持ってないかで勝ち負けをもし判別していこうと思ったんですよ。これ、あえてです。僕があえてそういうのであれば、楽しいか楽しくないかだと思うんですよね。僕はすべてのファクターはここに引っかかってくるものだと思ってて、人生を楽しもうと思った時にお金が必要だと思う人はお金で勝ち負けを見ていくんだろうし、友達とか仲間が必要だと思っている人は、その仲間の数とか仲間の質とかで勝ち負けを分けていくんだと思う。だから友達がたくさんいたら幸せだと思っている人は、その数が多ければ幸せだし、お金が多い方が幸せだと思っている人は、お金が多ければ幸せを感じる。
そういう風に考えていけば良くて、その他の人間が、その人の勝ち負けなんて言うのを論ずるなんておこがましいですよね。ありえないと思うんです。だから僕はその人が何をもって楽しいと思いますかっていう。
僕にこころ相談を頂ける方で、やっぱりいらっしゃるんです。「私の人生負け組です」みたいにおっしゃる方本当に多くて。ただ、その時に「何を持って負けたと思うんですか?」って聞くんです。そうすると「みんなは強い精神を持って毎日負けずに会社に行って頑張っているのに、私はそれができないから負け組です」みたいなことをおっしゃる方もおられれば「あたしすごく頑張ってるのにちっとも評価されないし、給料も全然あがらないから負け組」みたいなことをおっしゃる方もおられるし。でもそれって見方の問題だと思うんです。
自分の毎日の時間をたくさん使う仕事というものに対して、それを楽しんでいて、給料が少ない人もいらっしゃると思うし、めちゃめちゃ体を酷使して、たくさんのお金をもらっている人もいると思う。でもこれ一概にどっちが幸せっていうの分けられないんです。だってお金が多い方が幸せという方は、自分の身体を壊してでもたくさん働いてたくさんのお金を貰った方が幸せって思う。でも、そうじゃなくて、自分のやりたいことをやれることが幸せだと思う人は給料がすごく安かったとしても、自分がやりたいことがやれているということに幸せを感じている訳だから。勝ち負けなんかないわけです。だから勝ち負けを他者の主観で、その人の個人を論ずるということはそもそもできないということ。これがまず大体前提なんですね。
自分だけのコンパスに従う
それでも自分は人生において、勝ち組の気流に乗っていたい。そう思っててもいいと思うんですよ。それが原動力になって自分が前に進んでいけるならば。自分は今良い気流に乗ってるぞって思えばいいと思うんですけど、その時に、他者の考えに乗ってほしくないんです。
例えばお金をたくさん持ってた人間が幸せ勝ち組だとか、名声をより多く得た人間が勝ち組だとか、あと自分の自由を謳歌できる人間が勝ち組だとか。それは各々が決めることであって、他者が決めることじゃないということです。他人にどう言われたって自分にとっての幸せはここにある。自分にとっての喜び、自分にとっての楽しみ、自分にとっての充実っていうものがここにあるんだっていうもの。これをやっぱり自信を持って胸を張って言えるようになってほしい。それだけは思うんですよ。そういう風になってもらえれば、自分にとっての基準ができるし、その基準というものに則って、自分の行動を論ずる、動くことが出来るようになっていくところで幸せなんですよ。
なぜかというと、自分が思うものがあり、自分の目標があり、自分がそこに行きたいと思う気持ちがあり、そういったものが出てくること自体が僕は幸せなんじゃないかなと思っているので。だから自分がこうなりたいんだって思えたら、それは勝ち組だと思うんです。あえて勝ち負けを論じるならですよ。ただ、やっぱり無理にお金がいっぱいあろうが、友達がいっぱいいようが、何かものに囲まれていようが、自分にとって楽しくないとか、自分がどうやって生きて行きたいのかっていうことが全くわからない。ずっと人生の迷子になっている人っていうのは物が潤沢にあったとしても、きっとそれは勝っていないんだろうなと思うんです。
ただ、勝つとか負けるとか無いですから。別に人生って勝ち負けとかじゃなくないですか?そもそも誰かと比較するものじゃないですよね人生って。誰かと比べて勝ってる負けてるって思うから、勝ち負けっていうものが出てくるわけじゃないですか。そんなのは本当に要らないと思う。だから自分の中で毎日が楽しければそれで良いし、楽しくなければどうやったら楽しくなるかっていうことを考えていけばいいし、それができたら勝っていると思いますけどね。
だから、今日は本当に前提がコロコロひっくり返るようなお話しで恐縮なんですけれども、そもそも勝ち負けなんかないです。ないし、どうしても勝ちたいのであれば、自分の基準で自分が前に進めているのか、どこに向かって進んでいるのかっていうところだけ。ここだけをはっきりさせておいたら、僕はそれでいいんじゃないかなって思っています。
なのであまり他者と比較して、こうだよ、ああだよっていうことで勝ち負けなんていう窮屈なものに捉われないほうがいいと思っています。なので、もしそんな風に悩んでいる人たちがいたや、ちょっとそんなのは1回、横に置いて外の空気でも吸ってみてください。人生ってそんな窮屈なもんじゃないと思いますよ。僕はそう思って生きています。