第2066回「感動の『空海と真言の名宝』展 – 其の二 –」2026/9/3
12:42
173再生
■弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kukai2026/
■管長日記「感動の『空海と真言の名宝』展 – 其の二 –」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40707/
■YouTube
https://youtu.be/5BMoDSxqkkM
■note
https://note.com/engakuji/n/n2eb44f918a67
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
東京国立博物館で開催されている『空海と真言の名宝』展に行ってきました。
須磨寺の小池陽人さんからお招きいただいたのでした。
はじめに一弦須磨琴の演奏と小池さんのお話を拝聴しました。
小池さんから弘法大師のお話を聴いていると、この弘法大師というお方には、とても奇跡的な出来事が多いと感じました。
もっとも私の田舎では、串本に橋杭岩というのがあって、弘法大師と天邪鬼が一晩で大島へ橋を架けようと競い、天邪鬼が鶏の鳴き声をまねて弘法大師に夜明けだと思わせたため、杭の形の岩だけが残ったという伝説が伝わっています。
常人にははかりしれない方だと思っています。
遣唐使として唐に渡った話もそうであります。
三十一歳の時、それまで私度僧であり、直前に官僧となった身でありながら、遣唐使船に乗り込むことができたのでした。
四隻の遣唐使船が出航しましたが、無事に唐へ到着できたのは、弘法大師の乗った第一船と、伝教大師の乗った第二船でした。
弘法大師はその第一船に乗船し、中国へ渡りました。
途中で嵐に遭ってしまい、中国南東部の福州に漂着しました。
そこで、海賊の疑いをかけられてしまいます。
このとき、中国語に優れていた弘法大師が、嘆願書を代筆し、その完璧な文章と達筆さで疑いが晴れ、一行は唐入りが許されたというのです。
この時には天台宗の開祖である伝教大師最澄も、第二船で同時に唐へ渡っています。
そして恵果阿闍梨と出会って灌頂を受けられました。
灌頂の儀式、投華得仏では、金剛界・胎蔵界両部の曼荼羅で中心の大日如来の上に花が落ちるという奇跡が起きたそうです。
恵果阿闍梨からは「遍照金剛」の灌頂名を授かったのでした。
恵果阿闍梨は、弘法大師に教えを授けた直後にお亡くなりになります。
弘法大師には「早く日本に帰り、密教を広め多くの人々を幸せにしなさい」と伝えられたそうです。
もともと二十年間の留学を予定していた弘法大師にとって、わずか二年ほどで帰国することは、朝廷の命に背くことにもなりかねない大きな決断でした。
それでも恵果阿闍梨の言葉に従い、帰国を決意したのでした。
帰国した船を最後に遣唐船は三十年間中断されることになってしまいました。
この時期を逃せば帰国は不可能だったのです。
帰国後は、太宰府に留め置かれましたが、持ち帰った膨大な経典や仏具の目録「御請来目録」を嵯峨天皇に奏上しました。
その後、伝教大師最澄からも密教の経典の借覧を求められるなど、弘法大師が請来した密教は大きな注目を集めるようになりました。
やがて弘法大師は都に入り、高雄山を拠点とするようになります。
高雄山神護寺に入り、さらに嵯峨天皇から、官寺だった東寺を託されました。
弘法大師は、東寺を真言密教の根本道場と位置づけました。
東寺の近くに、庶民にも門戸を開いた学校である綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)を設立しました。
更に高野山を開創されます。
香川の満濃池を改修するなど、多岐にわたる活動を行った後、高野山において六十二歳で入定されたのでした。
そんな小池さんのお話を拝聴して『空海と真言の名宝』展を拝観しました。
最初に私たちを迎えてくださったのは、高野山金剛峯寺に伝わる弘法大師坐像であります。
聡明で精悍なお顔の大師像であります。
弘法大師が恵果阿闍梨のもとで学んだ際のノートともいえる『三十帖冊子』などの名品が並びます。
大勢の人がご覧になっていました。
曼荼羅や真言の法具や、それに仏像がたくさん並んでいます。
その迫力には圧倒されます。
弘法大師が請来したと伝わる善通寺の錫杖頭などは、唐の時代のものだそうでとても精密な鋳造です。
禅宗の仏像は静的ですが、真言密教ではとても動的な仏像もございます。
快慶の作という、深沙大将と執金剛神は圧巻でありました。
躍動感たるや、表現のしようがないほどです。
私は特に執金剛神の足の指に注目しました。
足の指先まで気力がみなぎっているのがよく見て取れました。
たくさんの秘仏もございました。
鎌倉の覚園寺の黒地蔵様もございました。
須磨寺の十一面観音様にも感動しました。
脇から拝んでいると、私をお坊さんだと分かったのか、正面からどうぞと声をかけてくれた方がいました。
二間観音様の前には大勢の行列でありました。
こちらの観音さまは、宮中の仁寿殿と清涼殿の二間で行われた観音供の本尊であったことから「二間観音」と呼ばれる秘仏だそうです。
聖観音菩薩と梵天、帝釈天立像であります。
これはなんとも神々しい観音さまで、私もしばし時を忘れて拝んでいました。
終わりには撮影可能エリアがあって、京都・安祥寺の国宝五智如来坐像や、弓を射る山梨・放光寺の愛染明王がございます。
多くの方が写真を撮っていました。
有り難いご配慮だと思いました。
五智如来は、後ろからも拝むことができます。
こういう時でなければ仏像の後ろ姿を拝むことはできません。
後ろから拝見すると大日如来の腰がきれいに立っているのがよく分かりました。
『空海と真言の名宝』展を拝見して、さらに東洋館にある仏像も拝観しました。
唐時代の如来倚像がございました。
このお像は、イス坐禅の説明の時に、イスで坐った仏像として紹介させてもらっています。
唐の時代の仏像です。
真言の名宝の数々を一度に拝観させていただいて至福の時を過ごさせていただきました。
小池陽人さんとのご縁には改めて感謝します。
横田南嶺
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kukai2026/
■管長日記「感動の『空海と真言の名宝』展 – 其の二 –」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40707/
■YouTube
https://youtu.be/5BMoDSxqkkM
■note
https://note.com/engakuji/n/n2eb44f918a67
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
東京国立博物館で開催されている『空海と真言の名宝』展に行ってきました。
須磨寺の小池陽人さんからお招きいただいたのでした。
はじめに一弦須磨琴の演奏と小池さんのお話を拝聴しました。
小池さんから弘法大師のお話を聴いていると、この弘法大師というお方には、とても奇跡的な出来事が多いと感じました。
もっとも私の田舎では、串本に橋杭岩というのがあって、弘法大師と天邪鬼が一晩で大島へ橋を架けようと競い、天邪鬼が鶏の鳴き声をまねて弘法大師に夜明けだと思わせたため、杭の形の岩だけが残ったという伝説が伝わっています。
常人にははかりしれない方だと思っています。
遣唐使として唐に渡った話もそうであります。
三十一歳の時、それまで私度僧であり、直前に官僧となった身でありながら、遣唐使船に乗り込むことができたのでした。
四隻の遣唐使船が出航しましたが、無事に唐へ到着できたのは、弘法大師の乗った第一船と、伝教大師の乗った第二船でした。
弘法大師はその第一船に乗船し、中国へ渡りました。
途中で嵐に遭ってしまい、中国南東部の福州に漂着しました。
そこで、海賊の疑いをかけられてしまいます。
このとき、中国語に優れていた弘法大師が、嘆願書を代筆し、その完璧な文章と達筆さで疑いが晴れ、一行は唐入りが許されたというのです。
この時には天台宗の開祖である伝教大師最澄も、第二船で同時に唐へ渡っています。
そして恵果阿闍梨と出会って灌頂を受けられました。
灌頂の儀式、投華得仏では、金剛界・胎蔵界両部の曼荼羅で中心の大日如来の上に花が落ちるという奇跡が起きたそうです。
恵果阿闍梨からは「遍照金剛」の灌頂名を授かったのでした。
恵果阿闍梨は、弘法大師に教えを授けた直後にお亡くなりになります。
弘法大師には「早く日本に帰り、密教を広め多くの人々を幸せにしなさい」と伝えられたそうです。
もともと二十年間の留学を予定していた弘法大師にとって、わずか二年ほどで帰国することは、朝廷の命に背くことにもなりかねない大きな決断でした。
それでも恵果阿闍梨の言葉に従い、帰国を決意したのでした。
帰国した船を最後に遣唐船は三十年間中断されることになってしまいました。
この時期を逃せば帰国は不可能だったのです。
帰国後は、太宰府に留め置かれましたが、持ち帰った膨大な経典や仏具の目録「御請来目録」を嵯峨天皇に奏上しました。
その後、伝教大師最澄からも密教の経典の借覧を求められるなど、弘法大師が請来した密教は大きな注目を集めるようになりました。
やがて弘法大師は都に入り、高雄山を拠点とするようになります。
高雄山神護寺に入り、さらに嵯峨天皇から、官寺だった東寺を託されました。
弘法大師は、東寺を真言密教の根本道場と位置づけました。
東寺の近くに、庶民にも門戸を開いた学校である綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)を設立しました。
更に高野山を開創されます。
香川の満濃池を改修するなど、多岐にわたる活動を行った後、高野山において六十二歳で入定されたのでした。
そんな小池さんのお話を拝聴して『空海と真言の名宝』展を拝観しました。
最初に私たちを迎えてくださったのは、高野山金剛峯寺に伝わる弘法大師坐像であります。
聡明で精悍なお顔の大師像であります。
弘法大師が恵果阿闍梨のもとで学んだ際のノートともいえる『三十帖冊子』などの名品が並びます。
大勢の人がご覧になっていました。
曼荼羅や真言の法具や、それに仏像がたくさん並んでいます。
その迫力には圧倒されます。
弘法大師が請来したと伝わる善通寺の錫杖頭などは、唐の時代のものだそうでとても精密な鋳造です。
禅宗の仏像は静的ですが、真言密教ではとても動的な仏像もございます。
快慶の作という、深沙大将と執金剛神は圧巻でありました。
躍動感たるや、表現のしようがないほどです。
私は特に執金剛神の足の指に注目しました。
足の指先まで気力がみなぎっているのがよく見て取れました。
たくさんの秘仏もございました。
鎌倉の覚園寺の黒地蔵様もございました。
須磨寺の十一面観音様にも感動しました。
脇から拝んでいると、私をお坊さんだと分かったのか、正面からどうぞと声をかけてくれた方がいました。
二間観音様の前には大勢の行列でありました。
こちらの観音さまは、宮中の仁寿殿と清涼殿の二間で行われた観音供の本尊であったことから「二間観音」と呼ばれる秘仏だそうです。
聖観音菩薩と梵天、帝釈天立像であります。
これはなんとも神々しい観音さまで、私もしばし時を忘れて拝んでいました。
終わりには撮影可能エリアがあって、京都・安祥寺の国宝五智如来坐像や、弓を射る山梨・放光寺の愛染明王がございます。
多くの方が写真を撮っていました。
有り難いご配慮だと思いました。
五智如来は、後ろからも拝むことができます。
こういう時でなければ仏像の後ろ姿を拝むことはできません。
後ろから拝見すると大日如来の腰がきれいに立っているのがよく分かりました。
『空海と真言の名宝』展を拝見して、さらに東洋館にある仏像も拝観しました。
唐時代の如来倚像がございました。
このお像は、イス坐禅の説明の時に、イスで坐った仏像として紹介させてもらっています。
唐の時代の仏像です。
真言の名宝の数々を一度に拝観させていただいて至福の時を過ごさせていただきました。
小池陽人さんとのご縁には改めて感謝します。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 12:421.
感動の『空海と真言の名宝』展 – 其の二 –
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
ニ間観音さんにお会いしたかったので開場と同時にそこに行き、ほぼ独り占めで拝しました。まさかこの目で直に拝することができるなど思っても見ませんでした。
観音様も他の仏様もまさかトラックで高速を走り、上京してガラスケースに入るとは思わなかったと思います。
ありがたい事です。他の至宝も眼福、良い冥土の土産になりました。
ありがとうございました。
自分は人混みが苦手で会期のごく初め頃展覧会を見ました。老師が御覧になった後期展示を図録で確認しようと思います。(この日は法話後は東博庭園の東博茶館でお茶していました。)
さすが南嶺老師と思ったのは、仏像を御覧になって「腰が立っている」と感想をおっしゃっているところです。その後も東洋館で唐代の如来像も御覧になったとか。イス坐禅の時にPowerPointで仏像写真を提示しながら説明されていたのを思い出しました。