TOPライフスタイルメンタル・心理学とうりょうさんの「一朝一積」キリスト教と仏教の宗教間対話【hidemiyaさんと対談】#98635:23 2025年9月10日 2,060再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次キリスト教と仏教、共通点を探る異教徒の視点からの宗教観とは宗教音楽が織りなす信仰体験経済活動と宗教心の両立宗教と社会の接点、新たな可能性AI文字起こし(β版) # ヒデラジの方でもトークしています。リンクはこちら おはようございます。伊藤東亮です。 さあ今日の寺小屋ラジオはですね、昨日行いましたライブのアーカイブとなります。 こちらはですね、宗教間対話となっております。 日本の仏教のお坊さんであります、 臨済宗僧侶であります私とですね、それからスタイフでパーソナリティをされていまして、 hiderajiというチャンネルですね。hiderajiのゴスペルラジオか、それを担当されてますhidemiyaさん。 この方はですね、 キリスト教の牧師さんなんですね。 それぞれの観点から経済についても含めて、いろんな滝にわたってお話ししておりますので、ぜひこちら聞いていただけたらという ように思います。それではどうぞ。 # キリスト教と仏教の宗教間対話【hidemiyaさんと対談】 はい、それではですね、今日はキリスト教と仏教の宗教間対話ということで、ここまで明確に宗教間対話というふうに目を打ったのは初めてだと思いますが、ゲストをお呼びして対話を深めていきたいと思います。 それではゲストを紹介しますね。秀宮さん、よろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。Voicyのヘビーリスナーで、リスナー名は秀宮というんですけれども、普段、秀明のゴスペルラジオというキリスト教中心の配信をスタイフでしている配信者でもあります。今日はよろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。そう、スタイフの方でゴスペルラジオっていうの、もう満開続けてらっしゃるんでしたっけ? ちょうど今日が600回目で、5年、丸5年ぐらいですかね、やってます。 すごいですね。発信者としては先輩ですね。 いえいえ、とんでもないです。のらりくらりやって、僧侶さんのように1000回まで毎日やるみたいな、そこまでの気力はなかったんですけど、最近はちょっと頑張って毎日配信をしております。 普段、どんな内容を発信されてるんですか? 聖書の内容とかキリスト教のことも発信してるんですけれども、私の興味が多岐にわたっておりまして、物の手話ということで断捨離みたいなことをやって、経過をお話ししたりとか、あとはITとかガジェットとかですね、あとは自分が読んだ本とか映画のブックレビューとか。 それだけ聞いてると何をしてるのかわからないんですけど、たまにこのキリスト教とかキリスト教音楽のことについては、定期的にやっております。 キリスト教との今、関わり方っていうのをちょっと詳しく聞いてもよろしいでしょうか。 今どんな形で。 伊藤統領さんは副住職って名乗られてると思うんですけれども、私はキリスト教の教会の副牧師をですね、10年ほどやらせていただいて、今年の4月でちょっと10年経って、今フリーランスというか、どこかの教会に所属しての牧師の活動はしていないんですけども、ちょっと今休業期間ということで。 ただ、個人的にフリーランスでキリスト教を伝えていくというような気持ちで、そういう人をキリスト教会では伝道師と呼んだりするんですけれども、なのでキリスト教の伝道師というふうに自分は一時的に名乗っております。 特定の教会に所属せずに、フリーランスで活動することを伝道師というふうに理解していいんですか。 そうですね。通常は教会に属しながら牧師のほかに伝道師というような役割で言うことが多いんですけど、あまりフリーランスで活動してる人いないので、勝手にフリーランスの伝道師と名乗っております。 それは1週間の中で言うと、その伝道師としてのお仕事って何曜日がどうこうとかって、どんな感じですか。 普段私はキリスト教の学校で教員としても働いておりまして、そこでは元々英語の教員だったんですけれども、今はキリスト教の学校なので道徳の代わりに聖書という授業があるんですね。 その聖書の教員として働いているので、私の中ではそういう活動も含めて自分のその伝道師としての活動というふうには考えてるんですけども。 あとは、日曜日の教会の礼拝に呼ばれていて、単発でお話をしたりとか、あとはキリスト教の音楽の方でグループに所属して活動しているので、音楽を、礼拝の時に必ずキリスト教の音楽というかみんなで歌ったりするんですけども、そういうパートで求められていくこともありますね。 おー、なるほど。これ音楽の全体を、これ多分間違ってると思いますけど、ゴスペルというふうに捉えていいんですか? えーとですね、ゴスペルは今は多分、皆さんゴスペルと聞くと天使にラブソングをっていう映画をして、みんなで同じ衣装を着て、黒人の方のソウルフルな歌を歌うっていうのが一つのジャンルではあるんですけれども、 教会の中では必ずしもああいう形で歌うっていうのがそんなに、日本の教会ではそんなに一般的ではないので、ゴスペルって言った方がわかりやすいので、私も自分のラジオにゴスペルラジオっていう、そういう認知されやすい名前にしてるんですが、もうちょっと細かく教会音楽のジャンルは少し分かれていて、 私が所属している派では、J-POPじゃないんですけど、いわゆるバンドスタイルっていうんですかね。ドラムやギターやベースがあって、まるで普段皆さんがスポティファイとかで聞いてるような音楽ジャンルの中に自分たちの作った賛美歌みたいのがあって、そういう形で歌うことが多いですね。 めちゃくちゃ気になる。それめちゃくちゃ深掘りしたくなるけど。 そういうのをワーシップミュージックっていうふうに言うんですけども。 おー、崇拝のための? そうですね、礼拝のための音楽で、そうですね。なので結構アメリカとかはそういうのが発祥っていうか、いろいろ先進的にやられてるんですけど。 一般に思い浮かべる、本当に賛美歌的なだけじゃなくて、普通にバンドミュージックの中にそういう聖書の教えが詰まっているというような音楽があるんですね。 そうですね、いわゆる賛美歌も歌うんですけども、より現代的な、最近の作曲家が作ったような創作賛美歌を歌うことが多いですね。 へー。これって、これもちょっと素人からのまずは質問としまして。 はい。 これって、今の音楽のジャンルとか含めたり、その礼拝の仕方とかって、日本の今のキリスト教の中で、カトリックとプロテスタントって今どのように、どのように活動されてるんですか? はい、カトリックっていう言葉、私もさっきもう一度確認で調べたんですけども、カトリックって普遍っていう意味なんですよ。 どこででも、世界中どこででもっていう意味なんですけども、カトリックはですね、日本にももちろんカトリック教会あるんですが、 バチカンにあるローマカトリックの本部から、すべてのカトリック教会が同じ、どこの礼拝出ても全く同じプログラムで毎週日曜日されるんですね。 なので、私もカトリックの礼拝にちょっと出たことあるんですけども、その日にやるプログラムっていうんですかね、聖書の歌詞はここを読んで、賛美歌はこれを歌うっていうプログラムがローマから発信されて、その同じ日曜日、世界中のすべてのローマカトリックで同じプログラムで礼拝がされるんですね。 あ、そうなんだ。まさに普遍ですね。 そうですね。なので勝手にカトリックチャーチを名乗ってつけることもできないですし、カトリック教会っていうのは一つなんですよね。 おお、わかりやすい。 それに対してプロテスタントは、そこから宗教改革のときにカトリックから、聖書に言ってることのみを聖書に忠実に立ち返ろうっていうムーブメントで起きたところなので、割と自由なんですよね。 なのでさっき私が言ったような、バンドスタイルで礼拝をするっていうのは多分カトリックにとっては絶対ないようなことなんですけども、 プロテスタントは割といろんな教派はあるんですけども、割と自由に自分たちの、聖書という土台に外れていなければ、表現スタイルはさっき言ったバンドスタイルで賛美歌を歌ってもいいし、 もっとカトリックよりのいわゆるトラディショナルな形で礼拝を守り続けるプロテスタントの教派もあったりするので、 そのあたりが割と自由で幅広いっていうのがプロテスタントですね。 はあ、面白いですね。これは今日ちょっと宗教観で話すと、仏教も大きくはですね、今あって定座部仏教と呼ばれる仏教と大帳仏教というふうにまず分けることができるんですよ。 チベット仏教もありますが一旦置いておくとして、大帳仏教は定座部に比べてものすごく自由度が高いので、もしかしたらそのカトリックとプロテスタントの分け方のプロテスタントよりとして大帳仏教があるのかなっていう共通項は今ちょっと見えてきた気がしました。 ああ、なるほど。 その中でも私が所属する臨済宗は、大帳仏教の中でもいろんなどの経典を重んじるかが結構分かれていった中で、あまりその一個の経典にすがったり、それを大元とするよりかは、 もう思いっきりまた2500年前のお釈迦様の大権に戻ろうよということで、ある意味において経典主義になりすぎず、より大権的に戻ろうということなので、つまり自由度が高いんですよ。 ああ、なるほど。 なので、例えば私は、私なり解釈して、アートが大切だとかいうふうにやってるんですけど、プロテスタントの教会は、私が言ってるのと同じような感覚と考えていいんでしょうか。 すごい似てるところはあると思います。 ただ、多くのプロテストはいえ、プロテスタントもあまり勝手にいろいろやってしまうので、グループを作っていくんですよね。それが仏教でいう何々宗みたいな形になるんですかね。 ああ、そのへん興味ある。 やっぱり教団の中である程度のルールとか、私たちのグループはここに強調点を置くので、 お互いにそこから大きく外れないように、間違った教えを伝えないような形で互いに牽制し合うみたいな、 そういう制度が働いていて、ある程度自由に見えるんだけども、少しそういう規律というか、 クリスチャニティというか、キリスト教自体をしっかり守って伝えていくっていうところの時政を効かせてるのかなというふうに私は見てるんですけども。 仏教ではいかがですか。そういう独自性、自由度と、ある程度核となる、コアとなる規律みたいなところはどういうふうにバランスをとられているんですか。 宗派の中でこれは間違いなくあります。特に本末制度という江戸時代にできた各お寺は必ず法活法人と呼ばれる、法活というのは大きな本山と呼ばれるものがあって、 そこに全てのお寺は末路として基本所属するというのが一旦敷かれたんですよね。 今そこもちょっとぐちゃっとなっている部分とかも一部あったりはするんですけど、基本的にはそういうピラビット形式みたいになってますので、その本山からあれはおかしいんじゃないかとか、これはこうあるべきみたいなところはやはり継続的に自立肝が働いているところですね。 似てますね。 プロテスタントの中で、ざっくりでもいいんで、日本で何個ぐらいに分かれているとかって言えますか。 教団の数が多分かなりあるので、私が知っている限りは多分30から50ぐらい。 思ってたよりも多い。 あとは教団と名乗ってなくても、単立って言うんですかね。私たちは私たちの教会だけでやってきますっていう、インディペンデントって言うんですけど、独立系の教会もあるので、そういうのを含めるともう本当に数限りなくあるんじゃないかなと思います。 思ってたよりも圧倒的に多いぞ。 今のインディペンデントもめちゃくちゃ気になるんですけど、インディペンデントでやったらもう好き放題ある程度できるというふうにも解釈できるかなと思ったんですが、それってなっちゃうリスクとかダメージみたいなのもあるんですか。 やっぱりあると思います。自由度が高い分、やはり継続性がなかったり、あとその教会1台で終わってしまう可能性ですね。 この牧師が、結構キリスト教も接種は割と多いんですけども、やはり次の後継者がいなければ終わりなので、もし教団グループに入っていれば、自分の親族で継ぐ人がいない場合、グループから派遣してもらうってことはできると思うんですけど。 なので継続性とか、あとはそういうですね、暴走しないとか牽制するっていうところにおいて、そこは弱いけれども自由度はかなりあるっていうのが、一長一短かなと思います。 宗教において継続性ってのは極めて大事ですからね。短い時間で映画を迎えて、あとは衰退ってのはあまりこう、歴史で見たときどうなのかってなっちゃいますから。 なるほど。いやーちょっとこれ聞きたいことが山のように湧いてきてますが、リスナーさんからも一言、これはちょっと取り入れましょう。 ひでみえさんがキリスト教徒になったきっかけは何ですか? はい、私はですね、私が生まれた過程は仏教徒になるのかな。家には仏壇はなかったんですけど、紙棚があったり、おじいちゃんおばあちゃんの葬式とかはお寺でやっていたので。 一応仏教徒の家に生まれたと思うんですけども、大学で私は外国語、英語とかフランス語を専攻したんですね。 そのときに初めて聖書っていうものに出会いまして、出会ったというか、いろんなところに引用が使われますよね。 今日、登梁さんが今週ハムレットの話されてると思うんですけども、シェイクスピアを読もうと思ったら、やっぱりキリスト教の影響とか、 キリスト教のバックグラウンドを知らないと、文学をやったことにはならないなというふうに思って、 一般教養を学ぶつもりで聖書を読み始めて、そこから教会に通うようになったんですね。 で、割と素直にキリスト教を信じて、二十歳の時に洗礼を受けて、そこからそういうふうに、 そんなきっかけで、文学、外国の文化とか、きっかけでキリスト教に出会いました。 これはちょっと聞いていいかわかりませんが、プロテスタントの人は結構この宗教体験と、 これは神をすごく近くに感じたとか、神のお告げだみたいな、これが結構決定的なものだというふうに聞いたことがあるんですけど、 そういうことっていうのは今までありましたか? ありますね。私もよくそういう話聞きましたし、私自身が経験してみるまでは、そんなことあるのかなっていうふうに思ってたんですけど、 神様を知識的に最初学んでいくんですけど、ある段階からそれが経験になるっていうんですかね。 他の人が聞いたら、それ偶然だねって思うようなことも、やっぱり神が私をいろんなトラブルから守ってくださったんだとか、 私が病気から早く回復できたっていう経験を通して、本当に神が私を守ってくれてるんだなっていう、 個人的な体験がやっぱり、そうして、本当に神って存在してるんだなっていうような、そういう体験を重視するところが確かにあるかもしれないですね。 ありがとうございます。この辺りはまた機会を別にして詳しく聞きたいんですが、他にも用意してきている、 今日ね、宗教と経済というのは結構距離がある言葉にも聞こえるんですけども、質問を進めていきたいんですけど、 キリスト教は経済成長みたいなのってどう捉えているでしょうか。 はい、私じゃあプロテスタントの立場でいくと、 人間が現代社会において経済活動をしたりとか、いわゆる成功していくみたいなことに関しては、 いろんな考えがあるんですけど、それは推奨してると思います。 神が人生において人間の生活を豊かにするっていうことは、神様の恵みというか、意思ではあるというふうにはポジティブに捉えてるんですが、 ただそれが利己主義になったり、自分の繁栄だけとか豪欲につながるってことはやっぱり今占めていて、 そのバランスを取るために、臨時愛というかね、 自分を愛すように周りの人は愛すように自分を愛しなさい、また自分を愛すようにまた周りの人たちを愛しなさいっていう臨時愛とか、 やっぱり社会的な正義とか節制っていうのもやっぱり聖書として言われているので、 そのためにはやっぱり自分がまず豊かになって富を流す立場になること自体は推奨されてるのかなというふうに思います。 平たく言うと結構道徳的なことをしっかり持ちながらあれば、経済活動はどんどん広めていっていいんじゃないかというところですよね。 そうですね。 これはちょっと答えにくいというか、どう切り捨てで語られているかというのはちょっと難しいかもしれませんけれども、 それが行き過ぎるとですね、道徳的なことを持ちつつもですね、どうしても資本主義のドライブで進んでいくとですね、 経済格差みたいなものが生まれてしまって、社会がちょっと分断されていくような、もう止めるものと貧しい人が結構やっぱりズバッとなっていくことがあると思うんですけども、 これに対してキリスト教的にはどうアプローチすべきなんでしょうか。 まさにですね、聖書の中で、特に新約聖書はイエス・キリストの生涯というところが、イエス・キリストがどういう人かというところがスポットライトを当たってるんですけども、 イエス・キリストは神の子として生まれてきてるんですけど、彼はそういう、いわゆる王室とか裕福さとか、そういうところで生まれた生涯ではなかったんですよね。 そうですよね。 生まれたときは馬小屋で生まれて、常に貧しい人、社会の中で虐げられてる人と共にいるというか、その人たちに目を向けるっていう生涯を、聖書の中で33年の生涯なんですけども、 それで模範を見せられていて、そこからもやっぱり、もし恵まれて経済的に豊かになっているんだったら、それはあなたを反映させるためではなくて、あなたが周りを祝福するために流すべき責任が与えられてるっていうような形ですよね。 だから独り勝ちみたいな形じゃなくて、富を分配するためにまずあなたにその富が委ねられてますよ、みたいな形で考える。 なんか勝手にだから紐づけてしまうと、アメリカとかもやっぱりプロテスタントの国だというふうに私は思ってますけれども、その中で大聖子社がいっぱい出てきて、その中でもドネーションみたいな文化が結構あるなというふうには認識してるんですね。 これはやっぱりその今、秀美さんがおっしゃっていただいたような、この考え方が根本にあるからというふうな、その部分は結構大きいそうですね。 そうですね。その寄附の文化、今おっしゃっていただいた寄附の文化はすごいアメリカで感じますね。 やっぱりその社会的に成功して、それを何て言うんですかね、CSRじゃないですけども、社会的な責任を果たしていない大企業とかビッグカンパニーは、やっぱりこの非難の対象になるんですよね。 富を独占してるというか、社会に何も貢献せずに自分たちだけが富を独占するっていうのは、まさにアメリカのキリスト教的な考え方に反するんですよね。 いやー、そうですよね。それと今、リスナーさんからもありますけど、キリスト様って33歳で亡くなれたんだっていうところ、そして貧しいところの生まれで、これって実は仏教とは真逆の要素があるなっていうのが今、 宗教間の宗教を対比して理解をよりお互いを深めるっていう意味でめっちゃ面白いなと思ったのが、お釈迦様ってめちゃくちゃ王族の生まれで、いわば主治肉輪のような暮らしをしていて、 そこから修行に出て、80歳まで来てるんで、言葉が残っている言葉が80歳のおじいちゃんをイメージして、結構想像した方がいいところと、キレッキレのキリスト様の33歳の言葉ってのは、またちょっと違いがありますよね、宗教としての。 あ、そうですよね。王室生まれなんですね。 そうなんですよ。そのまま王位を継ぐような本当にところだったんですけれども、出家したというところです。 プロテスタントというと、完全にそれこそステレオタイプですけど、私の、とにかく質素権約みたいなところを、とにかく最優先するんだっていうイメージありますけれども、それはちょっと行き過ぎてますか?偏ってますか? えっと、宗派にもよりますし、カトリックの中でも、聖人って言いますよね。その中で、やっぱり聖品、清い貧しさということで、聖品的な生き方を推奨して、そこに感銘を受けて、やはり修道院とかがある、修道士、修道場の方がいるように、特にカトリックの方では、やはり貧しく生きることということに対しての強調点が置かれているグループもあります。 なので、そうですね、プロ、はい。 そっか、なんか私はプロテスタントの方が聖品を重んじてると思ってたんですが、どうですか?秀宮さんから見ると。 そうですね、強調点がいろいろあるので、もちろん聖品というか貧しさを、この世の富にはあまり重きを置かないで、むしろ天国に行った時に自分の宝を積みなさいっていう、この世の富ではなくて天の富みたいな、もちろん聖書の中でもその教えはあるので、あるんですが、私はそうですね、どちらも大切だと思ってます。 欲をコントロールするってすごい難しいことだと思うので、そういう意味では、お金に関しての扱いとか、その金銭感覚ということに関して、聖書のいろんな箇所でやはり、気をつけなさいって言ってる箇所は確かに多いなと思います。 ありがとうございます。じゃあ今度は、この日本のキリスト教の教会の、さっき30から50ぐらい分かれてるとかいう話も面白かったし、そこからそのキリスト教の日本の組合って言っちゃうとちょっとアレですけど、そこから見た時に、仏教や神道の活動ってどう見えてるんですか? えーとですね、私それそうですね、先に質問いただいて少し考えたんですけども、まずカトリックは、さっき言ったようにもう世界が一つなんで、教皇の方針がやはり全カトリックの方針になっていくので、 前のフランチェスコ教皇がかなり宗教間対話とか多様性ということにかなり積極的に外に開かれたカトリックっていうふうに活動されていたので、他の宗教との対話にかなり積極的だったなっていう印象を私も受けています。 で、ひるがえってプロテスターなんですけども、特に日本だと、それこそ宗教人口の話になりますが、日本はやはり圧倒的に仏教とか神道の方が多いので、キリスト教が本当に全人口の1%以下という超マイノリティなんですよね。 歴史的にいろいろ取り締まってましたもんね。 なのでどちらかというと、仏教とか神道に対してどうっていうスタンスよりも、まずキリスト教自体がマイノリティすぎるので、世の中にもう少し認知されるというか、 いわゆるキリスト教をもうちょっと広めていこう、伝道活動をしていこうということに関しては非常に熱心なんですけど、 それは何ですかね、仏教徒とか神道のモントさんに対して何かっていうスタンスはあんまり感じられないかなと。 なるほど。まずは自分たちの足元をしっかりより、もう一段階足腰強くしてという感じでしょうか。 ただ私個人としては、こうやって同僚さんともご縁をいただいてますし、 仏教のことを本当に私純粋にちゃんとベーシックから学びたいなっていうすごい気持ちがあったり、 あと私実はカトリックに関してもですね、最近カトリックとちょっとつながりをいただいて、 城地大学のほうで、学校でキリスト教を教える宗教の免許を取れるのが城地大学っていうことで、 城地大学はカトリックの総本山みたいなところですね、なのでカトリックについてもまた改めて勉強してる段階で、 なので今日、同僚さんからお話とか質問していただいたことに関しても、私はすごい新鮮な気持ちで、 もっとその仏教のことも知りたいなと思ってます。 それはもっと仏教のことを勉強したり、城地大学、カトリックの総本山にプロテスタントの人が行くっていうのは、同じ宗派の中では認められる行為なんですか。 全然禁止とかそういうことはないんですけども、 さっきの話ではないですけど、プロテスタント自体もちっちゃいので、私は今までどちらかというと、プロテスタントの中で自分たちの教会活動をどんだけ大きくしていくかっていうか、 まず自分たちのキリスト教について学ぶっていう段階で、ちょっと遅すぎたかなと思うんですけども、今はもう少し他の宗教のこととかを積極的に学びたいなっていう感じです。 いいですね。そういえば、日本のお寺も寺の息子が継ぐ、寺の娘さんや息子が継ぐみたいなことがかなり一般的になっていてですね。 良いか悪いか。その中で、高校とかはカトリック系の高校だったとかいう人もいっぱいいますし、 私もさっきチラッと言った、仏教の中でも大乗仏教だけ勉強していてもというふうな思いもあってですね、 定座部仏教の勉強とか、結構一時20代の時はハマってた時もありましたんで、 今日は宗教間対話というところをちょっとタイトルに置いてみたように、どっちが良い悪いとか優れてる劣ってるとかそんなのではなくて、 相対的にまず見れるっていうだけですごく有意義な時間だなというふうに私は思っております。 ありがとうございます。私もです。 最後に聞きたいんですけど、仏教だと宗教性をある程度脱色したような文化体験コンテンツみたいになっているものがあると思っておりまして、 例えばですよ、私がずっとやってる座禅っていうのも、ある種あれはもう宗教的なアプローチだと思うんですけど、 私の場合はある程度そこを脱色しつつ、生活の中に役立つ心を落ち着けるものだったり、 自意識に、自我に囚われすぎている時にそこを薄めるようなための時間ですよというふうに、社会と接続するために宗教から切り出して伝えている。 社教なんかもそのお経自体の意味というよりかは文章を書くこと自体に心がスッと落ち着くんですよというような日々の暮らしを整えるツールのような形でお伝えしたり、 最近はお守り作りすらちょっと体験化させてというところで、どんどん社会と接続させていってるんですけれども、これはキリスト教においてまず許されるのかと、 やっていいならば、宗教性を一旦ちょっと薄めることでタッチポイントも増え、体験できる、そして暮らしに役立つみたいなところでいくと、 何があるのかなって最後ちょっとブレストみたいになっちゃいますけど、最後に聞きたいなと思いました。 そうですね、なかなか日本の古来の文化とキリスト教というの接点というのがなかなか見出すのが難しいなと思ったんですけど、 それこそ一番最初に話したのゴスペルっていうのが、あの映画をきっかけにわりと日本でもすごい流行りまして、 もともと日本の方々って学校でも合唱したりとか、みんなで一緒に歌うことに楽しみを覚えたりする国民かなと思ってて、 まさにその歌うこと、ゴスペルを歌うっていう体験を通してキリスト教を知るっていう方が結構多いんですよね。 なので、もともとそのゴスペルはもう賛美歌なんですけど、まずそのゴスペルって音楽を体験して、 そのうちに歌詞の意味で神のことが出てきてるから、じゃあちょっと神のことも知ってみようかみたいな、 まさにタッチポイントがその音楽、ゴスペルっていうものになって、そこからキリスト教に触れられる方が多いなっていうイメージがあるんですが、 それ以外にあまりなかなか私もないので、逆に東梁さんにいろいろコンサルにしていただいて。 いやでも歌は強いですよね。私は20歳くらいからサッカー観戦にドハマりしていてテレビが中心ですけど、 大事な試合の前にあれ、ちょっとこれ間違ってたら教えてほしいんですけど、アンセムって歌うんですよね。 あれって多分宗教的な合唱なんじゃないかなと思ってるんですけど、 あれをきっかけにあのアンセムめっちゃ歌えるようになりたいから、ちょっとどこで習えるんだろうとか、 それから派生して、カンツオネの勉強もしてみたいなと、イタリアが好きだったんで、 イタリアのカンツオネも、もしかしたら宗教性が結構ね、多分歌っていく間に歌詞とかに含まれてるんじゃないかなと。 やっぱりそういうことってすごくいいなと思うので、本当に将来またちょっと時間ができたらカンツオネ教室に行こうかなと思ってるくらいなんですけど。 ああそうなんですね。 歌きっかけって大きいなと思います。すいません、アンセム、カンツオネ全然関係なかったらごめんなさい。 なんか今ちょっと調べたらアンセムは、英国国教会の教会音楽の一種だそうですね。 ああそうなんだ。 やっぱりイギリス側ですよね、フットボールの結構ね。 そっかそっか。 関係あるんですね、やっぱりね。 現在はナション、国家みたいな扱いみたいな。 いろいろお聞きできてありがとうございました。 これはまだまだ宗教間対話が足りないと私は思っておりますので、また機会があればぜひお願いしたいと思います。 こちらこそよろしくお願いいたします。 カトリックの教会にクリスマスの礼会に行ったことがあって賛美歌を歌ってきましたというお声もあります。 クリスマスとかそういう行事ごともあるんですよね。 多くの方々は宗教性を求めずにクリスマスとかイースターとかね。 そうですよね。 ディズニーランドとかでもよくやってるので、それをきっかけにキリスト教発祥の行事なんだって思っていただくこともあるかなと思います。 行事でいくと、今や多分一番大きな子どもたちにとって一番楽しみな行事はハロウィンになってて、 ハロウィンも昔はそんなやってなかったから、いずれ私は次はまたマーケティング的にはイースター結構可能性あるんじゃないみたいな。 どっかで爆発したらイースターが日本で独自発展するかもみたいなことを妄想したりしてます。 というわけでいろいろとお話できてよかったです。 井上さん今日はありがとうございました。 こちらこそ呼んでいただいてありがとうございました。 ではこれで閉じさせていただきます。失礼します。 もっと見るとうりょうさんの「一朝一積」プレミアム放送配信中!00:511.ヒデラジの方でもトークしています。リンクはこちらhttps://stand.fm/episodes/68bfa6c27d42b45d00308b88?fbclid=PARlRTSAMsljFleHRuA2FlbQIxMAABp19TsKvqmw7LLKvj-KqzU2NmpEwHGoDfoLeFaQwRcyaEqsrugm3EiUWSW7YJ_aem_RSmjcw7OVFaIxZ-IYGRXsA34:322.キリスト教と仏教の宗教間対話【hidemiyaさんと対談】コメント感想・質問・応援メッセージを書こう ついてるついてるついてる2025年9月15日対談ありがとうございました!うちの小学校では、給食のときに「手を合わせてください」「はい、合わせましたー!」「いただきます🙏」したり、クリスマス会で校長がサンタ🎅役したりします😌公立学校なので、いろんな宗教のことがまんべんなく話せるといいなと思います😌3返信 shie2025年9月11日異なる宗教の視点、とても興味深く聴かせていただきました。私はキリスト教徒ではありませんがゴスペルグループで歌っています。座禅をして心が落ち着くように、ゴスペルを歌うと癒されたり、エネルギーをもらえます。キリスト教徒の方のようにはいかないかもしれませんが、感謝する、(神様は)見ていてくれる、という考えは日々を豊かにするのにいいな、と思います。6返信 Yuuki2025年9月11日私は音楽が好きなのですが、まさに、ゴスペルも好きだけど、宗教色を抜いて演奏して、歌ったりしてもいいのかな??と躊躇してしまいます。キリスト教の方から、どのように捉えられてるのだろうと、いつも考えてしまいます。6返信 ちゃお2025年9月10日異なる宗教からの視点での対談。学びの多い時間をありがとうございました。いずれに於いても根底にあるのは人を救うこと。アプローチの違いを知る事はとても興味深いことです。高校時代の同級生が卒業を前に受洗。辛いことから立ち直り新たな人生を歩みだすための選択でした。卒業式に彼女が受洗記念に牧師様から戴いた大切な聖書を私にと。赤いペンで引かれた箇所を読み彼女の思いを辿るようでした。そして同時に懸命に生きろとエールも。知らないことを知ることで世界が広がります。また次の対談も楽しみです😊6返信 かーむ2025年9月10日こんにちは👋😃👂️✋♥️興味深く聞かせていただきました。仏教も、キリスト教も、触れる機会はありましたが、浅~く知るくらいです。誘われればミサにも行くし、誘われなくても坐禅会にはイソイソと行く。新年には神社にお詣りに行く良いとこ取りな日本人です(笑)ヒデミヤさんの声、言葉も聞きやすくて。Voicyもパーソナリティーとしての🆗を早く出して欲しいですよね。7返信 もっと見る
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うちの小学校では、給食のときに
「手を合わせてください」
「はい、合わせましたー!」
「いただきます🙏」したり、
クリスマス会で校長がサンタ🎅役したりします😌
公立学校なので、いろんな宗教のことがまんべんなく話せるといいなと思います😌
私はキリスト教徒ではありませんがゴスペルグループで歌っています。
座禅をして心が落ち着くように、ゴスペルを歌うと癒されたり、エネルギーをもらえます。
キリスト教徒の方のようにはいかないかもしれませんが、感謝する、(神様は)見ていてくれる、という考えは日々を豊かにするのにいいな、と思います。
いずれに於いても根底にあるのは人を救うこと。アプローチの違いを知る事はとても興味深いことです。
高校時代の同級生が卒業を前に受洗。辛いことから立ち直り新たな人生を歩みだすための選択でした。卒業式に彼女が受洗記念に牧師様から戴いた大切な聖書を私にと。赤いペンで引かれた箇所を読み彼女の思いを辿るようでした。そして同時に懸命に生きろとエールも。
知らないことを知ることで世界が広がります。また次の対談も楽しみです😊
👂️✋♥️
興味深く聞かせていただきました。
仏教も、キリスト教も、触れる機会はありましたが、浅~く知るくらいです。
誘われればミサにも行くし、誘われなくても坐禅会にはイソイソと行く。新年には神社にお詣りに行く
良いとこ取りな日本人です(笑)
ヒデミヤさんの声、言葉も聞きやすくて。Voicyもパーソナリティーとしての🆗を早く出して欲しいですよね。