#090 CEFRと私(03)ー欧州評議会とCEFR
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CEFRから何を学ぶか
コメント

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かぼちゃ
2024年9月21日
細川先生、おはようございます🎃。私たちは「枠」という言葉につい囚われすぎてしまうのかもしれませんね。先日、近所の総合病院の診療案内で、外国人患者さんと案内係の人が翻訳機を上手に使って、その人がどの診療科にかかるべきかを決めているところを目撃しました。二人ともその共同作業に仲良く取り組んで結論に辿り着き、とても満足そうでした。患者さんは日本語が十分ではないけどここに住んでいる人みたいです。そんなあなたでもそのままでここにいていいよとCEFRなら行ってくれそうですね。私達を縛る枠は別にあるみたいです
細川 英雄
2024年9月24日
ありがとうございます。たしかに、私たちは枠に囚われやすいですね。CEFRも決して固い枠ではなく、ゆるやかな参照枠なのに、いつのまにか固定的な枠として捉えられてしまっているようです。これを乗り越えるには、そうした枠が動態であることを自覚することだと思います。宜しく😁
藤原 朋子
2024年9月20日
3.の内容を的確に理解できていたようで安心しました。今回は「さまざまな場面・状況によって柔軟に自己評価できるシステムを提案している」からCEFRを再び読もうという動機をいただきました。また、一人ひとりの市民性の“自律”が自己評価と連関するところを学びました。
細川 英雄
2024年9月21日
2回目のコメント、ありがとうございます。自己評価の問題と、学習のあり方は、密接に繋がっていますね。結局、ことばを使うということは、その人がどう生きるかということなので、教育とは何かを教えることではなく、その生きるための環境をどうつくるかということなのでしょうね。そのあたりの共通了解が重要ですね。宜しく😁
藤原 朋子
2024年9月20日
言語活動の場をデザインする教師が言語活動は社会の構成員としての活動であるという捉え方ができることが最も重要だと思いました。それによって、2つの共通了解①一人ひとり複言語複文化を持つこと②一つの言語・文化の中でも多様性があることを、教師の態度や言動の端々から学習者に伝えることができ、学習者は身体的に理解することが可能です。それをきっかけに学習者が、自分の外側にある絶対的基準を俯瞰できるようになれば、内側で自己評価できるようになれる、そしてそれがウェルビーイングに繋がりますね。
細川 英雄
2024年9月20日
コメントありがとうございます。はい、その通りですね。CEFRは、そういう大きな視点で、言語教育を考えていることがわかります。ここには、ことばの教育の希望があると思います。