今なぜ対話なのか(12)ー1950年代の日本語教育 #142
25:32
57再生
自分のことばをつくる
プレミアム放送配信中!
- 02:401.
1950年代の日本語教育
- 06:262.
戦中から戦後へー占領期の日本語教育
- 09:053.
構造主義と日本語教育
- 07:224.
構造からコミュニケーションへ
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
かぼちゃ
2025年10月25日
細川先生、こんばんは。🎃は構造というと馬鹿でかくて堅牢な建築物を連想してしまいます。日常使いの言語にも構造があるんだよと言われても、私には正直、言語体系とかは俄かには想像できなくて、せいぜい「型」があるよねーぐらいの意識しかできないです。でも、型があるから、私たちは何も考えず技能を継承して来られました。実は🎃の趣味は「真似」系ばかりなんです。書道とか。でもね、型を真似しているはずなのに、なぜか個性が出るんです。人間て面白いですね。外国語学習でも、何メソッドでやっても最後はその人になるんちゃうかな
細川 英雄(ことばの市民になる)
2025年10月26日
ありがとうございます。じゃあ、どんな人になるのかしらん。この物語がおもしろいですね🤣宜しく😃
藤原 朋子
2025年10月24日
言語が体系化される前の日本での多様な言葉のあり方を想像するのは難しいですが、国家としての日本が立ち、一つ共通語によって私たちの、この国家のありようを考えていく、そのために構造主義が必然だったのですから、パターンプラクティスを頭ごなしに嫌ってはいけないと反省してしまいました。そういう時代だったのですね。大変勉強になりました。
細川 英雄(ことばの市民になる)
2025年10月24日
ありがとうございます。まあ、たしかにおっしゃる通りですね。一概にアーミーメソッドがダメだとも言い切れないところもあります。ただ、そういう歴史を経て、現在があるということを考える必要があるということだと思います。どうぞ宜しく😃
藤原 朋子
2025年10月24日
「そういう歴史を経て、現在があるということを考える必要がある」心に留めます!