#091 CEFRと私(4)➖複言語主義と個の文化
27:37
101再生
自分のことばをつくる
プレミアム放送配信中!
- 06:011.
欧州評議会と複言語主義
- 08:042.
複言語主義について
- 06:233.
言語の多様性から「わたし語」へ
- 07:104.
「わたし文化」と「個の文化」
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
藤原 朋子
2024年9月29日
互いに「個の文化」を伝え合う場が増えれば、その人を○○人というステレオタイプで見ずに、ただ目の前にいる何々さんを知る機会になります。それは多言語多文化主義とは異なる視点であって、そういう場が増えるほど平和が広がっていくのだと思います。故河合隼雄さんの音楽による国際民間交流を思い出しました。国や民族で人を捉える視点は「個」ではなく「○○人」としての歴史を背負っているので平和へは難しいでしょう。自国の歴史と向き合い学び続けることも大切にし目の前の人との対話を大切にする、これが私の実感するところです。
細川 英雄
2024年9月29日
ありがとうございます。そうですね、個人を個人として捉えずに集団として考えることによって、とても大切なものを失うことになりますね。近いうちに、この集団類型化の罠についてまとめたいと思っています。宜しくお願いします🙇♀️
かぼちゃ
2024年9月28日
細川先生、こんにちは🎃!私のかぼちゃ語が最近、とある場所で「初級向け」と決めつけられました🤨。その現場の尺度ではそう評価されるものだったらしいです。難しいですね。🎃は最近、克服しがたいのは言語より文化だなと思っています。アメリカ人の教え子が、お母さんは超敬虔なキリスト教徒、自分は東洋思想、妹はコミュニストで家族が崩壊したと😰。そうなる前にどうしたら良かったのか…。言語は努力で何とかなっても、文化は生理的レベルにまで根差しているでしょう?手強いですよね🤔
細川 英雄
2024年9月28日
コメントありがとうございます😊はい、その通り、文化は手強いです。他者と生きることは、そうした価値観の異なる個人が、どのようにして相互に共通了解を築きうるのかという課題なのです。そのためには、暴力ではなく、ことばによって成立する関係をつくっていくしかないのです。それぞれが持つ「わたし語」の課題ですね。