#092 CEFRと私(5)ーCEFRをどう受け止めるか
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CEFRをどう受け止めるかー多元的・重層的・複合的なことばの教育へ
コメント

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藤原 朋子
2024年10月7日
「Autobiography of Intercultural Encounters」を読みました。ある文化衝突の際の自分の気持ち考えと、他者関係をどう捉えているか。最後の質問の「あなたの親しい人や同じグループの人だったら、このような衝突がないかもしれない。その理由は何だと思う?」が印象的でした。文化衝突の相手である他者だけでなく、”わたし”をよく知っている他者を入れることで、自分と他者の関係性を更に冷静に1歩引いた目線で捉えることができそうだと思いました。ご紹介をありがとうございました。
細川 英雄
2024年10月8日
コメントありがとうございます。そうですね、価値観の異なる他者と関わることは、それなりに勇気もいるし、結構面倒なことも多い。でも、結局はそうした他者と関わることでしか現状を変えることはできない。そう考えると、他者との関係性をもう一度捉え直して、多様な関わり方を模索することで新しい方向性も見えてきますね。他者との出会いは、そんなことも考えさせてくれます。宜しく😁
かぼちゃ
2024年10月5日
細川先生、こんにちは!未登録日本語教師の🎃です。巷では「行動主義」を「人が学習しようという気になって行動すること」と考えている派閥があります。だから、学生達をその気にさせた上で授業をしなさいと。🎃は声を失いました。日本語教育の参照枠は「この社会で日本語でこれができなきゃこの国に住んではいけません。ここで勝ち残るにはこれができるようになりなさい」と言っているように見えます。社会で活動できない人、学習障害の人、純粋に日本語が好きなだけという人は?勉強する気になれない学生は積み残すの?冷たいですよね😢
細川 英雄
2024年10月6日
コメントありがとうございます。そうですね、CEFRの解釈は、本当に様々ですが、勝手な解釈がどんどん一人歩きしてしまうのは困ったものですね。日本語教育の参照枠もまさにCEFRの解釈の一つに過ぎませんが、これまでの日本語教育のレールに乗せて、都合のよいように解釈されている感があります。とくに前書きと中身との乖離の大きさが気になります。宜しく😁