#061 ことばと文化を統合する教育へー教育バイオグラフィの試み08
21:30
52再生
前回に引き続き、ことばと文化の統合についてお話ししましょう。
日本事情の曖昧さ、不確定さから、ことばの教育としての日本語教育と文化の教育としての日本事情を分けて考えることに、次第に私は疑問を持ち始めます。
結局は、どちらも同じことなのではないか。
このことを明確に自覚する出来事が、クラスの中で起こりました。
これがインドネシアからの留学生Iくんとの出会いです。
今回は、このIくんとの出会いをきっかけに、ことばと文化の教育のあり方を考えるようになった経緯をお話ししましょう。
日本事情の曖昧さ、不確定さから、ことばの教育としての日本語教育と文化の教育としての日本事情を分けて考えることに、次第に私は疑問を持ち始めます。
結局は、どちらも同じことなのではないか。
このことを明確に自覚する出来事が、クラスの中で起こりました。
これがインドネシアからの留学生Iくんとの出会いです。
今回は、このIくんとの出会いをきっかけに、ことばと文化の教育のあり方を考えるようになった経緯をお話ししましょう。
自分のことばをつくる
プレミアム放送配信中!
- 05:561.
留学生Iくんのこと
- 07:332.
環境問題への問題提起ーIくんの提案
- 08:023.
文化はことばの活動とともにある
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
かぼちゃ
2024年2月23日
細川先生、おはようございます🎃。「個の文化」の夜明け前の話だったんですね。3回聞きました(再生数伸びた?)。私も自分のいる畑で考えました。「ことばと文化」って「と」で結ぶ関係なのか。「ことばも文化も」という関係じゃないのか。両者は別々の存在ではなくて、文化がことばを包摂する関係にあるんと違うかなぁ。文化の方が大地で、、、とか。細川先生が「個の文化」の発見までかけられた10年の時間をかぼちゃも追体験したいです。次回も耳をそばだてて聴きます!今からワクワク😆。
細川 英雄
2024年2月23日
コメントありがとうございます。対話することばの市民の中でのザラトさんとの対談を読むとわかりますが、文化とは何かの定義はもはや意味を持たないのですね。社会とともに文化は多様で動態的だからです。そうすると、一人ひとりの文化というところに行かざるを得ない。それも個人一人ひとりの中にある。またお話ししましょう。宜しく😁
