TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#190 良い指示と悪い指示...修行の観点から08:35 2024年5月17日 548再生 問題を報告する 再生する シェアする 良い指示と悪い指示...禅寺の教育という観点から考えます。AI目次指示の目的を明確にする重要性とは?修行で磨かれる『我見』の克服法とは?あえて教えない指導法の真意とは?リーダーに必要な覚悟と決断力とは?禅寺の修行から学ぶ人生の指針とは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エレンジの古川周玄です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 我見を取るトレーニング 今日は、良い指示と悪い指示ということでお話したいと思います。 これは、Voicyの方からいただいているトークテーマですね。 良い指示と悪い指示って、いろんな切り口からお話していきますけれども、 善寺にいる人間からすると、まず指示の目的から考えるべきだという風に思います。 何かが指示されるというのは、目的があってあるんですよね。 目的のために指示がなされるわけだから、まず大事なことは指示の内容が明確であって、 誤解される可能性をちゃんと考慮して指示する、その上でちゃんと明確にするということですよね。 日本語は動音異議がとても多いですから、言葉の取り違いって結構あるんですよね。 だから、あらかじめ取り違いが起きないように、動音異議についてはちょっとした配慮が必要ですよね。 ここまでは誰もが思うことなんですけれども、 善寺っていうのは、シチュエーションが変わった時にどうするかというところをもうすぐ大事にするんですよね。 実際に指示を出した後、指示を出した時に想定していたものと違うシチュエーションが起きた時にどうなるかという問題はとても大事ですよね。 これって、もう世間的に言うならば、この指示を出す相手にどれだけの信頼を置いて、どれだけの裁量権を与えるかということの問題なんですよね。 修行道場ではどんな教育をするかというと、まず最初はともかく言われたことを言葉通りに分けとって、厳格に守ることを徹底させるんです。 もう、たとえ上の人が言ったことが飲み込めなくても、あれ?と思っても、ともかく試験を交えないで素直に従うということをさせるんですよね。 ともかく最初に入った1年目なんて、はいしか返事がないんですよね。 これは何でそうするかというと、実は例えばそういう風にユニフォームにするということを目的とするのではないんですよね。 これは修行のためなんです。 どういうことかと言いますと、我見を取るということなんですよね。 上からの価値が出たときに、自分なりの考え方って誰もが持つわけです。 ただ、多くの場合はそれでもいいんだけど、修行の世界というのは徹底して自分を認めることをさせるんですよ。 そうすると、我見というものがあると、自分自身の考え方に執着し続けちゃって、自分自身の見方から出ることができなくなっちゃうんですよね。 だから自分自身の見方という狭い見方がどうしても誰もがあるから、それから出るために一度は我見を取らないといけないんですね。 我見が取らないと自分の考え方が常識であって、自分の考え方が正しいと思い込んで振り回してしまうことになるんですね。 だからまず最初、理不尽であってもなんでも、一旦は我見を取るということを大事にするんです。 私は道場にいたから分かるんですけど、心配いらないんですね。 一年、二年、三年くらい、我見を取る訓練で言ったとおりにしろって、いくら上の人に叱られたって、我見なんか無くならないんですね。 言うときは上の人が言ったら、はいはい言うと聞くけども、二年なんてそんなに我見なくならないから、上の人の思想が外れたら、自分勝手に物を考えるようになります。 だから本当に機械的に相手の言いなりになるなんてことは、さらにその上にもっと深くかけてトレーニングしないと無理ですからね。 まあ善だらで、最初の一年間にね、言われたことは素直に言葉のまま取ってやれって言われるぐらいのことでは、そんな大きな問題は起きない。 むしろ私自身の経験から、言われたことはいって言ってやれって、もう徹底していただきこまれたことによって、最初あれって思ったことでも、やってみたら、いやそうじゃなかったって、そんなことあるんですよね。 修行道場ってかなり徹底していろんなことをするので、一見変に見えることでもやってみると、素晴らしいってことは結構あるんですよね。 だから一旦は自分の考え方を確保に入れるって、我見を取るっていう意味では、無条件に指示に従うっていう、そういう時期を一度は経緯するってことは、長い人生考える上では大切なことかなって思ったりもします。 # 敢えて教えない... そして、ある程度この修行が進んできて、いろんなことが分かってきたら、どうするかって。 そうすると今度は、何が大事かって、目的をこう、しっかり理解させるんですよね。 で、その上で目的達成の手順を指示するってことになるんだけれども、 まあ、そこでいよいよですね、その、シチュエーションが変わった時ってことがあるわけだから、 その、ある程度裁量が入ることを、ちゃんと教えて、裁量権を当てなきゃいけないですよね。 で、まあ常識的に言うとそうなんですけども、同情の面白いとこって、 このその裁量権を与えるっていうところを、実はその、あえてはっきりは言わないでおくんですよね。 で、裁量があるってことを言わないでおいて、何が起きるかって。 でも、そもそも、その人しか実行者がいない場合って、 で、目的が分かっていて、で、実行する人が自分しかいなかったら、 シチュエーションが変わった時に、自分がやらなかったら、どうにもならないってことが分かってくるわけじゃないですか。 そういう時には、言われなくても自分でやれるってところが大事なんですよね。 だからこれができるためには、もうその、自分の目線からだけじゃなくて、 全体から物事を見ることができないといけないんですよね。 しかも、ある程度その、全体から物事を見る時に、 自分の見方が正しいかどうかっていうのは、どこかで不安もあるわけだけど、 でも、その場で実行者が自分しかいなかった場合には、 それを引き受けて、自分でやるしかないんですよね。 それができるかどうかっていうことを、こう見ていくんですよね。 で、禅寺っていうのは、この修行のトレーニング。 修行のトレーニングっていうのは一人称ですからね。 禅寺の修行っていうのは、人の人の能力を自分の力で最大限に伸ばすってことが狙いなんですね。 だから、今お話ししているところが、しっかりとしなわれているかどうかが大事なんです。 つまり、全体っていうものが見えているかどうかって。 で、その中で自分が果たさなきゃならない役割、自分しか果たせない役割っていうのが、 ちゃんと見えているかどうかって。 で、見えた上でそれを引き受けて行動する時に、引き受ける時には責任がかかってくるんですよ。 裁量は責任ですからね。 だからそれを引き受けることができるかどうかっていうことなんですよね。 で、こういうことっていうのは、実は教えてできるものじゃないんですね。 一つ一つのパターンについて指示したり、教えたりすることって表面上はできます。 でも、やっぱりここには決算があって、引き受けるっていう覚悟がいるんです。 だから、教えてできるものじゃないんですよね。 だから、自分で気づいて、自分で引き受けるってことが大事なんです。 それをちゃんとさせておかないと、いざっていう時に動けないんですよね。 私にも長い道場生活の間に経験があるんだけど、丁寧に教えてやるとすぐに覚えるんですよ。 だけど、いざっていう時に教えられることに慣れてる人間って、覚悟も決算もできないんですね。 だから、どっかでその覚悟と決算っていうこともセットにして教えないといけないわけです。 そんなわけで、修道場で私が学んだことっていうのは、実は教えないで、本人がどこまでいけるかっていうのを見ていくっていう、そういう教育なんですよね。 いつでも、誰でもするべき教育法とは言いません。 そんなもんではないです。 だけれども、少なくともリーダーとして生きていくためにはそれは必要だし、 誰もが自分自身の人生に対してはリーダーなんだから、こういう教育法というのはとても大切だというふうに、今では私は思っています。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #教えない #修行道場の暮らし #ものごとを全体から見る #良い指示と悪い指示 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:091.初めのあいさつ04:312.我見を取るトレーニング03:463.敢えて教えない...00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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