TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#184 人生を考える...出会いのさまざま③13:37 2024年5月9日 526再生 問題を報告する 再生する シェアする 人生を考える...出会いについての第3回目です。AI目次外の世界、新たな出会いの始まり恩師との出会い、人生への影響道場での修行、師と道友との絆厳しい環境、成長の原動力出会いの数々、今の私を形作るものAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 外の世界に出て出会うこと 今日も引き続き、人生を考えるということで、 出会いの様々についてのお話を続けたいと思います。 1回目、2回目、どちらかというと、 一番身近なところの出会いについてお話ししました。 ですから、家族の関係とか、 本当に身近なところで自分が出会いを経験しているって、 当たり前だから忘れがちだけども、あるいは見落としがちだけども、 そこでの出会いがいかに大きいかということを、 自分の中で回収する作業ですよね。 その中でお話をしました。 今日は、そこからもうちょっと先進んでみて、 この家を出て外の世界と触れることによって、 得た出会いのことにちょっとお話を進めようと思うんですね。 やっぱり、外へ出る。 子供の頃だったら、学校に行くということがまず大きいと思うんですけれども、 人によっては、保育園、幼稚園かもしれませんけど、 物心をつくことを通じて、だんだん成長してくると、 自分と他人の違いということがはっきり見えてくるから、 逆に言うと、違いを意識することから本当の出会いになったりするんですよね。 だから、仲良くなるという点から言うと、 自分と他人の違いというのが曖昧な方が仲良くなりやすいかもしれないけど、 ある程度の自我というのができてきて、 自分と他人との違いというのが見えてくると、 そういうことを通じて、はっきり出会う。 しっかり出会うということができるということもあるんですよね。 だから、どちらかと言うと、 出会いによって自分がどれだけ変わったか、 どれくらいインパクトを受けたかというところに目を当てて、 この問題を考えるときには、物心をついて、 いろんなことが分かってきてからの出会いということが重要になるんですよね。 そういう観点からの話をすると、 やっぱり学校に行き始めた頃のことが大きいですね。 やっぱり学校の先生、それから友達関係ですよね。 やっぱり自分のことを理解してくれて応援してくれる先生というのは、 とても自分にとっては憧れの存在だし、導きの存在だし、 それから友達ですよね。 今は先生と生徒の関係って昔とは違いますけど、 私は昭和ですから、子供の頃先生って絶対的な存在だったんですよね。 だからそこに距離感もあったんだけど、 でもやっぱり人間同士ってお互いに雰囲気や様子で分かるじゃないですか。 やっぱり心が通い合うところが強く大きくて、 その先生によって、尊敬する先生によって応援してもらったり、 理解してもらったりというのはとてもうれしかったんですよね。 やっぱりそこで基本にあるのは、自分とは全く違うところなんですよね。 そこに引き付けられるんです。 友達にしても先生にしても、自分と違うバックボーンで生きているということがあるから、 そこも興味深いところなんだけれども、 例えば先生で言うならば、自分とは圧倒的に違う人生経験ですよね。 歳が上で大人ってやっぱりすごいんですよね。 先生を通じて親とは違う意味で大人に出会うということを経験するんですよね。 どうもありがとうございました。 # 恩師、学友... そういう意味で、この自分が憧れて、尊敬して憧れて、影響を受けるって、先生というよりも師匠という感じの関係性ってありますよね。 大勢の先生に僕は影響を受けてますし、あれですけども、特に大きく影響を受けたのは、やっぱり大学に入って一週間で勉強を始めてからですよね。 自分の人生の道が決まってからです。だから、まず最初に哲学をしようと思うきっかけになったのは、西谷圭司先生なんですよね。 西谷北郎先生のお弟子さんの一人ですけどもね。私はもう西谷圭司先生の裁判年に何回かお目にかかることができて、何時間かお話を伺うことができて、 当時私は本当に高校生から大学生でまだまだ全然未熟な頃だったんですけども、その時に西谷圭司先生にお目にかかって何回かお話を聞くことができたって、それがとっても大きな影響だったんですよね。 特に西谷先生、亡くなられる本当に1ヶ月くらい前なのかな、お目にかかることができて、最後のお話は今でも自分の心にしっかり刻まれているんですよね。 それから大学院で勉強するときに教えていただいた早稲田の川原英宝先生、ハイディアド、ニーチェ、ゼミに私も真っ先に連れさせていただいて、教えを受けたんですけども、やっぱりものすごい圧倒的な迫力があって、やっぱり影響を受けましたね。 それから私が大学院に入ったときに入れ違いに対岸されたので、私はどっちかというと、早稲田とか東大に出港されるときに講義を聞いた形だったんだけども、東大のお手伝い課にいた渡辺二郎先生ですよね。 やっぱり圧倒的な迫力があって、とってきにくい凄さというか、この人には及ばないなというもの凄さを感じた方ですね。 それから私が個人的に本当に影響を受けて人生が大きく変わったという点では、私が大学院に転けて、浪人中から大学院に入ってずっと出家する直前までご縁があった哲学の新田明先生ですね。 今は早稲田でニーチェを教えておられると思うんだけども、二田明先生はやっぱり禅とそれから仏教とそれからニーチェ、本当に全身全霊で哲学と立ち向かうような言葉を選んで、言葉を磨いて、自分の体験と自分の思想というのを本当に向き合っていく厳しい姿勢の先生だったので、もの凄く私も影響を受けて。 二田明先生の迫力で私は壊れたところから出家に行くということになってしまって、直接今だから言いますけど、大学院に辞めることになったのは二田明先生の影響なんですよ。 すごく影響を受けて、二田明先生がおられたから哲学をすごく頑張ったんだけど、二田明先生のおかげで哲学自分が途中で一回潰れて禅に行くことになったって。 それからもう一人、私の大学院の主導教科になった高山守先生ですよね。私はシェーニングとそれから宗教哲学に足場があったんです。どちらかというと感覚的なものをすごく強く受け止める哲学の立場だったんだけど、私の主導教科になった高山守先生はもうヘイゲルの専門家で、もう哲の論理ですよね。 ガッチリ構えて、もう本当に厳しかったですね。だから日本語の使い方から哲学に対する姿勢から非常に穏やかで優しい方だったんだけど、ものすごい哲学に向かう姿勢が厳しくて、私はものすごく影響を受けて、実は学生時代は自分とタイプがだいぶ違ったので、高山先生の圧力に負けないように一生懸命勉強するっていう、そんなことだったんですよね。 それからもう一つ、良い学問の仲間がいた、勉強の仲間がいたので、先輩にも恵まれたし、同期にも恵まれたし、後輩にも恵まれたんですね。自分にはない才能とか、自分にはない感性が持っている仲間がいっぱいいて。 で、もう、ああ、叶わないなって思うこといっぱいあったんだけども、でも頑張らなきゃって自分で頑張ったんですね。そういう、もう自分が飲み込まれていくようなすごい仲間がいっぱいいたから、だから必死で、もう首の皮一枚で頑張るっていうか、それで必死で勉強したんですよね。 そういう意味で、そういうすごい仲間がいっぱいいて、アップアップしてたんだけど、でもそのおかげで頑張れたっていう感謝の思いはいっぱいありますよね。 # 道場での出会い...師と道友 それから出家することになって、お目にかかって縁ができた老子ですよね。 私の場合は、まず最初に大徳寺の修行道場に行って、お目にかかって入門した老子ですよね。 もう今は大徳寺の官僚を務められる方なんですけれども、初めてお目にかかった瞬間に、 もうその憧れの方だということになって、すごく影響を受けたんですよね。 だから、私は自分はどっちかというと苦手な世界だったんですよね。 どっちかというと勉強をして、本を読んで考えているのが好きな人間だったんだけど、 もう道場って実践の世界じゃないですか。 それでもう10年とかって頑張ることができたのは、もう師匠がいたからなんですよね。 もうはっきり話、師匠に憧れて、師匠を尊敬してて、そばにいるだけで嬉しかったんですよね。 辛いこといっぱいあったし、あずいも叱られたし、怖かったですからね。 本当に声が震えたり足が震えたりする、何回もそんな経験したんだけれども、 そばにいるだけで嬉しかったという経験があったんですね。 それから道場の先輩、同輩、後輩にもいっぱい良い仲間がいたんですけれども、 道場の先輩で、後に老子になっていかれる方がいて、 私が一番お世話になった先輩なんだけれども、 もうこの人には本当に憧れて、もう慣れたいなと思って努力したんだけど、慣れなかったんですけどね。 もう私と正反対で、本当に厳しい、紙処理みたいな方だったんですよね。 座禅も紙処理みたいな座禅で、 もう全部打ち捨てて、命だけで取り組む姿勢の方だったんですね。 もうそんな風になりたいと思って、もうしんどいとどうしても自分はダメだったんだけど、 もう横で姿を見ているだけですごいなって憧れてて、 途中で早々と私はこんな風にならないと思って観念しちゃったんだけど、 でもせめてこの人には一人前の仕事として認めてもらいたいなって、 そんな風に思いながら努力するって。 そんな風にして自分が頑張れたのは、やっぱりそういう尊敬する人がいて、 その尊敬というのは何かというと、もうそばにいるだけで震えるような怖さ、 自分の中はとてもないんじゃないけど、及ばないって、 そばにいると怒鳴られたり、叱られたりするんじゃないかって、 自分がみじめになるような思いをするような師匠であったり、先輩であったり、仲間であったり、 あとしばしば後輩にもそういう優れた人がいますからね。 もうそんな風に自分がギリギリのとこでグラグラするような思いをする人と一緒に、 ずっと辛い思いをしながら一緒にやっていくってことがとても大事なんですよね。 若い頃にそういう人に囲まれて、そういうところへ自分が見送ることができたってことが、 ものすごく幸せなことで、その時は辛いばっかりで、必死ですよね。アップアップなんです。 自分は業の世界に最後行ったし、その前も一生懸命生きてたんだけど、 でも私がダメだったところは何かっていうと、一つはやっぱり追い立てられているんですよね。 追い立てられて何とかついていくだけなんですよ。 自分から引き受けていくっていう、そこまでもう一歩の踏み込みがなくて、 どうしてもついていこうと思っておくまでは悪い動機じゃないんだろうけど、 何とか行こうと思っても追い立てられて、追い立てられて、追い立てられてなんですね。 この歯車が追い立てられて攻めていくんじゃなくて、自分から乗り越えて乗り越えてっていう風に、 歯車が逆回転になっていくまで時間がかかったんですね。とっても時間がかかったんですよね。 だからどうしてもずるずるずるずるさせられている感が、どんどん最後までつきまとむところがあって、 それを自分の中で切り替えていって、自分で引き受けていくって。 追い立てられるんじゃなくて、自分で行くっていうところまで乗り越えていくっていうことが、 自分の課題だったんですよね。 そんなわけで、出会いといっても、どっちかというと私の場合はやっぱり、 今から思うとその時、ヒリヒリヒリヒリする思いが多かったんですね。 でも、それの中でずっと努力することができた。 背伸びして、背伸びして、背伸びして、自分が自分の身の丈より1ミリぐらいは上へ行ったかなって思うことがなんとかできるようになったのは、 そんなご縁のおかげだなという風に思っています。 # 終わりのあいさつ さて、どれだけ語っても語り尽くせないんですけども、あまりにも個人的なことですからね、これぐらいにしなきゃいけませんね。 今日も長い時間お聞きいただきました。誠にありがとうございました。どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #憧れ #恩師 #友人 #西谷啓治 #道友 #人生を考える #出会いのさまざま #川原栄峰 #高山守 #新田章 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:152.外の世界に出て出会うこと05:193.恩師、学友...04:364.道場での出会い...師と道友00:185.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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