TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#192 心の持ちよう(続)10:07 2024年5月21日 624再生 問題を報告する 再生する シェアする 今日も引き続き、「心の持ちよう」についてお話しします。AI目次三毒の克服、心の持ち方とは?不満の根本原因を分析する愚かさに陥らないための処方箋逆境を乗り越える知恵とは?心の鍛錬、そして感謝を込めてAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エレンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「貪・瞋・痴」の三毒 今日は、昨日に引き続き、心の持ちようということについてお話ししようと思います。 昨日は、全ては心の持ちようなんだという基本的な考え方と、 だからこそ、不満な心に気を取られてしまって、不満に足を取られてしまって、 不満の思いを増幅させてしまわないようにしなければならないというお話をしました。 そうは言ったって、なかなか毎日毎日嫌なことがあったりして、 嫌なこと、辛いこと、不安なこと、あるいは不満、 そういったネガティブなものに結構心って取られてしまうんですよね。 この辺りをどう考えたらいいかというところなんです。 もちろん、簡単にそういう問題が解決できるならば、誰も悩まないわけですよね。 だから、とても難しい問題ではあるんだけれども、 仏教ではそういうことをどう教えるかって、 仏教では、トン・ジン・チっていうことを言うんですよね。 トン・ジン・チっていうのは、三毒、三つの毒とか、三悪種って、 三つの悪い方へと心を引っ張っていくものって言い方をするんですけども、 トン・ジン・チのトンっていうのは、むさぼりですよね。欲望です。 ジンっていうのは、怒りですよね。 チっていうのは、愚かさって。 不満っていうのは、このトン・ジン・チのセットなんですよね。 そもそも、その不満が起きるのは、思い通りにならないからなんですよね。 思い通りにならないっていうことはどういうことかっていうと、 思い通りにしたいっていう欲望であり、 その欲望、それは叶うはずだっていうふうに、 欲望に輪をかけて執着したことから生まれるんですよね。 だから、不満な心にあるっていうことは、 要は、まずむさぼろに心が結ん張られているっていうことなんです。 そこに気づいてますか?っていうことがそうですよね。 しかも、その思い通りにならないっていうことが、 ずっと続いていくと、そこにだんだん怒りを感じてきて、 腹が立ってきて、つい言葉が荒くなってしまったり、 もう、内を周りに言い散らかすってことができますね。 これがトン・ジン・チのジンですね。怒りってことですよね。 で、そんなふうにして、 思い通りにならないっていう、 自分の欲望と執着から種をまいていて、 それを自分で思い通りにならないっていうことに執着するあまり、 どんどん自分で自情自爆にして、 膨らましていって、 怒りまでやってきて、自分の心を乱してしまって、 とうとう、自分だけじゃなくて、周りにもいろんな不満を吹き出して、 本人はスキッとするつもりかもしれないけど、 聞かされるのはたまらないですからね。 そうやって、自分を傷つけ、人を傷つけ、 もう、刃を振り回すような状態になってしまって、 しかも、そうしてしまっている自分に気がつかないって、 これはもう、究極の愚かさなんですよね。 だから、不満に心がとらわれているっていうのは、 このトン・ジン・チの極地だって、 そうなってしまっているってことに、 気づいてますかってことが、まず大事ですね。 そういうことを認める、気づくって言ったら辛いことだけれども、 まずそこから始めないと、 心の持ちをって、決して良くはならないんですね。 # 心が不満を抱く時には 不満というのは、自分の側から見てこうあるべきだって、そういう理屈があるんですよね。 だから、その理屈があるからこそ、ご了承していいかのように思い込んでるんだけど、 物事というのは、いろんな見方があるし、いろんな立場からいろんなことが言えるんですよね。 で、たとえその結果がですね、自分にとって都合が悪い結果であっても、何にも理屈がなかったら、そうはならないですよ。 ある見方から見る理屈がちゃんとあって、そうなるにはそうなるだけの理由がある。 正しいかどうか、いいかどうかは別にして、そうなるからにはそうなる理由がちゃんとあるんですよね。 でも、そうなる理由のことをきちっと分析するんじゃなくて、 思い通りにならないからって自分の本能側から理屈を言い続けるっていうのは、愚かさですよね。 だからそういう時には、自分の思い通りにならないって不満をぶつけて文句を言うんじゃなくて、 一体何が起きているのかって、どういう理屈でそういう結果になったのかってことを落ち着いて冷静にまず見なければならないですよね。 その上でどうすればよいかって考える。これが知恵というもんですよね。 知恵がないから、自分の側からの、自分都合の見方から離れることができないから、 もうてこでも動かないって、もうそこにこだわっちゃって文句ばかり言うって。 でも、もし仮に自分と利害がぶつかる相手も同じ立場を取ったらどうなりますかって、もう永久に終わらないですよね。 だからまず最初に落ち着いて、なぜそうなったかって、そういう風に見ていく。 その次にどうしたらよくなるのかって、そのような思考方式ができないといけないですよね。 だから今、とんじんちって言いましたけども、やっぱりむさぼりから愚かさへとゴロゴロゴロゴロ、転がってしまうんですよね。 その時に不満というのは怒りを含んでますから、怒りが輪をかけるから、まさしく落ち着いて冷静に考えることができなくなっちゃう。 だから、むさぼりと怒りのセットは最後に究極に愚かさに落ち込んでいくんですよね。 これはしょっちゅう日常生活の中にあるし、人間というのは感情があるものだから、常に常にいつも本当に注意して自分の心を振り返ってないと、この愚かさに落ち込んでしまうんですよね。 自分で自分の心の中に地獄を作るって、そういうことですね。 # 愚かさに落ち込まないために 不安があったり、あるいはちょっと思い通りにならない時に、すぐにこの愚痴をぶちまけたり、文句言う人って結構いるじゃないですか。 でもそれって一番いけないことなんですよね。 で、愚痴っていう名前の通り、愚痴をぶちまけるって言うんだけど、愚痴って愚かさってことじゃないですか。漢字の通りですよね。これ、まあ、仏教科なんですけども。 で、どうしてこれが愚かであるかって、今お話ししましただけじゃないですね。 愚痴をぶちまけると、一瞬このスキッとしたような気がするんですよね。 でも実は抜本的解決になってないから、実は心は絶対腫れないんですよ。 だから思い通りにならない時に解決する方法っていうのは、きちっと状況を分析して解決できるように行動するしかないんだけども、文句言ってると一瞬何にも変わらないんだけど、ただこの破壊欲っていうか破壊衝動が乱されるからスキッとする気が一瞬するだけなんですよね。 だから抜本的解決にならないのに、なんかこう、うまくなったような、良くなったような気がしてしまうんですよね。 でも欲望と執着っていうのはそういうもんなんですね。その意識になっていると離れられてしまうんです。 まあお酒もそうですけども、苦しくなっても、一瞬最初飲んだ瞬間だけパッと開放感があるからつい溺れてしまうんですよね。 だけど良いのは最初の一瞬だけですよ。その後ずっと延々と苦しみが続くのに、一瞬良い気がするだけでつい手が伸びちゃう。 愚痴もそうですよね。一瞬良い気がするだけで全然良くはならないって。だけどついつい溺れちゃってて。 まあお酒みたいなものもそうだけども、ずっと止められない状態で続いているうちに自分を苦しめ、人を苦しめ。 結局一瞬スキッとするような気がするだけの、その一瞬の気がするだけのことに頼っちゃって、それで済ましちゃって自分を変えようとしないですよね。 同然的な思いをぶちまけて、自分を変えようという努力ができなくなってしまうから、 例えば思い通りにならないというのは逆境ですけども、思い通りにならないから自分を変えようという、そういう風に自分を変えていける限度よく見せれば良いのに、 自分を変えようとするにおいて、むしろ周りを批判して傷つけようとしてしまうわけですよね。 だから本来自分が進むべき方向とは反対の方へ回ってしまうんですね。 だから、そういうことに思い当たるということはまず大事ですよね。 人って一人で生きることができないって言うじゃないですか。 当たり前だって言うけど、でも当たり前だってなかなかこのことを対処するって難しいですよね。 だって一人で生きることができないんだったら、思い通りになるはずのことがわかるじゃないですか。 自分の力で何でもできるのは思い通りになりますよね。 でも人間って自分の力でやっているように見えても、本当は違う、気が付いていないだけで、 いろいろな人の力を借りて、いろんなものの力を借りていて、何とか生きているわけですよ。 だから思い通りにいくわけないんですね。 それを忘れて自分都合を振り回して、あ、だから理屈をつけるって、 こんな愚かさに陥らないためにも、やっぱり自分を変えりみることが大事ですよね。 じゃあどうすればいいかって、なかなか難しいんですが、 一つのトレーニングとして言えることは、一旦一度は愚痴を言わないってことを決めるってことですね。 口に出さないってことです。 それから口に出さないだけじゃなくて、心の中にも思わないってことです。 不満なことを心に思うということは、愚痴である、愚かさであるって、 ともかく最初はそういうふうに自分で思い込むってことですよね。 それくらい強く自分をトレーニングしないと、愚痴を抜けることはできないです。 これはとても難しいんですね。 愚痴ってのは無明の別名。 無明ってのは自分で気が付かないうちに陥る苦しみの連鎖のことを無明って言うんだけども、 なかなか愚痴の解決って難しいんですよね。 だからトレーニングです。 全ては心の持ちようって言うけれども、 残念ながら心ってのは自分を傷つけ人を傷つける方にくるくる回りやすいんですよね。 だから簡単ではないけれども、 注意して、注意して、注意して、 普段から丁寧に注意してから生きるってことがとても大事だっていうことですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #愚痴 #仏教の教え #心の持ちよう #貪瞋癡 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:091.初めのあいさつ03:132.「貪・瞋・痴」の三毒02:213.心が不満を抱く時には04:174.愚かさに落ち込まないために00:095.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう ひまわり2024年5月27日母親と妹は私に愚痴と文句しか言いません。毎回会うのが憂鬱です。年老いても変わりません。悲しいです。1返信 須田絵理子2024年5月21日おはようございます。一水四見…を、日々の生活の中で自分に心がけ愚痴や、葛藤が生まれたら状況や立ち位置によって物事の捉え方は全く違く。私が良いと思った事でも反省も必要と感じます。負の連鎖を生まないためにも生活の中で小さな事でも周りに感謝を忘れずこれからも行きます。学びをありがとうございました☘️1返信 恵林寺 古川周賢2024年5月23日「一見四水」の教えは、頭で理解することは難しくありませんが、その考えを、自分自身の生き方の上でどう活かしていくか...ここに仏教の核心がありますね。この教えそのものは、一見、中立的だから、誰にでも受け入れやすいのです。しかし、この教えを実践しようとする時、そこにどのような生き方を乗せていくのか...「感謝」というのは、とても難しいですが、素晴らしい行き方だと思いますよ
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一水四見…を、日々の生活の中で自分に心がけ
愚痴や、葛藤が生まれたら
状況や立ち位置によって物事の捉え方は全く違く。
私が良いと思った事でも
反省も必要と感じます。
負の連鎖を生まないためにも
生活の中で小さな事でも周りに感謝を忘れずこれからも行きます。
学びをありがとうございました☘️
この教えそのものは、一見、中立的だから、誰にでも受け入れやすいのです。
しかし、この教えを実践しようとする時、そこにどのような生き方を乗せていくのか...
「感謝」というのは、とても難しいですが、素晴らしい行き方だと思いますよ