TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#277 「無心」のこと②10:34 2024年9月17日 513再生 問題を報告する 再生する シェアする 昨日に引き続き、「無心」について考えます。参考図書:沢庵宗彭:『不動智神妙録』https://www.amazon.co.jp/%E6%B2%A2%E5%BA%B5-%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%99%BA%E7%A5%9E%E5%A6%99%E9%8C%B2-%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A%E6%95%99%E9%A4%8A%E6%96%87%E5%BA%AB-30-%E5%AE%97%E5%BD%AD/dp/481332391X/ref=pd_bxgy_d_sccl_1/356-8213232-9740260?pd_rd_w=BBFi5&content-id=amzn1.sym.5efa75be-7115-44c4-99e0-09e0ccdabd3a&pf_rd_p=5efa75be-7115-44c4-99e0-09e0ccdabd3a&pf_rd_r=5VSEBG9ANDAERE0FS4M5&pd_rd_wg=949LM&pd_rd_r=1678b8d8-078e-486a-ac4d-5fa1459943fd&pd_rd_i=481332391X&psc=1もっと読むAI目次禅の修行で目指す「無心」とは?「無心」へのアプローチ方法とは?修行道場の工夫:動と静のバランス動中の集中がもたらす効果とは?無心と心の活動:たくあん和尚の教えAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンチの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 修行の中で「無心」を目指す 今日も昨日に引き続き、無心についてお話したいと思います。 昨日は無心のことについて入り口のお話をしましたけれども、 今日はさらにその先へ一歩進んでみて、 禅の修行の世界のことについてお話したいと思います。 禅の修行の世界は、ザゼンという瞑想法を通じて無心の境地を得ていく、 こういうふうに言うことができると思うんですよね。 この無心の境地を得ていくことによって目指すところは何か、 悟りということも言えるし、下達とも言えます。 下達という言葉を使うときには、 言葉の通り、自分自身の心の中から湧いてくる欲望と執着から、 自分の心を解き放つことが願木になるんですよね。 そういうふうに考えていくならば、 昨日もお話ししたように、何も考えないでぼーっとする体験、 ぼーっとする経験も、 それから何かに徹底的に没頭して時を忘れるような経験も、 当然、何か自分の心の中にある欲望と執着から、 切り離す働きがあるわけですからね。 だから、こういった両方の体験って、 禅の修行の中でも経験するし、大切な要素でもあるんですよね。 ぼーっとするというのはどうかなという人もいるかもしれませんけど、 もうずっと徹底的に休む間もなく、 休む間もなく、気を抜く間もなく、ずっと禅とられて追い詰められてますからね。 だから、ふっとした表紙に、パッと気が抜けてしまう瞬間ってあるんですよ。 だけど、たとえ気が抜けてしまうってのはダメなんだけれども、 ぎゅーっと閉めていた瞬間に、ふっと心が開放された時に、 揺るむんじゃなくて、ふっと開放された時に、 ハッと気づくことって結構多いんですよね。 だから、実はこの徹底的に集中して没頭する時間も大事だけど、 ふっと抜ける瞬間も大事なんですよね。 ただ、このふっと抜ける瞬間というのは、 基本的には何かに集中しているというのを積み重ねていく中で、 初めて良いものとして機能するということがあるんですけどね。 いずれにしても、何が言いたいかというと、 ぎゅーっと閉めて、パッと緩めるという、 閉めることと緩めるという、この2つの正反対に見える方向性が、 両方とも心が開放につながるという点では、 日常の中での心のトリートメントと、 それから修行も基本的な構造は一緒ということは言いたいですよね。 # 修行道場の工夫 さて、今この無心、あるいは下達というところを目指す上で、 例えばパーッと心を緩めるという瞬間、それからその前提条件として徹底的に物事に没頭して、 時を忘れるような集中所を積み重ねていくという経験、両方大事だというお話をしましたけれども、 例えば、パッと緩めるということを言うならば、せっかく心を解き放っても、 次の瞬間に別なものに取り憑かれてしまったりとか、それから元に戻っちゃったら元のもこあみですよね。 リラックスしても元に戻っちゃったりとか、リラックスしても別なものに執着しちゃったら元のもこあみになってしまうんです。 だから、ぼーっと心を解き放つというのは良いことではあるけれども、 いつもぼーっとしていたら良いかというとそうではないですし、緩んじゃったらどうにもならないし、 それから、もっとしている間に、仕事が日常から遅くなったらうまくいかないですよね。 それは緩んじゃってるケースなんだけれども、要するに緩めてしまうんじゃなくて、 パッと心を一瞬緩めて解放するという、そういうやり方というのはすごく効果的なんだけれども、 時々使う解毒剤としての仕様でしかなくなってしまうんですよね。 前提条件としてぎゅーっと集中するとうまくいかないということがあります。 それから反対に、何かに徹底的に没頭して、時を忘れるような経験を積み重ねる。 仕事上の暮らしというのは、立ったり座ったり寝たり起きたり、全部これをさせるように作ってあるんだけれども、 そういう最高度の集中というのは、実はそうは言ったって、特殊な一部の人を除いては、 ほとんどの場合というのは、長時間いい仕事ってやっぱり難しいんですよね。 何もかもそのような心だけで物事がうまくいくかというと、そうはいかないんです。 だから、一日中座禅をするという形で瞑想させるというのは、実はなかなか難しいです。 そういうふうに、今でもリトリートという形でやっている方がおられますけれども、 そういうふうに、一日何時間も何時間も何時間も、10時間も15時間も20時間も、こう瞑想を続けるというのは、 一部の人を除いては、やっぱり高い集中力を維持するのって、とても難しいんですよね。 だからどうするかというと、禅は日常の一挙一動の中で、それが修行であるというふうに工夫するんですよね。 どういうふうに工夫するかというと、瞑想の集中だけではなくて、 飯を炊くときも、立つときも、座るときも、畑耕すときも、例えば飯炊くときにも、水を汲んで、米をはかって、一挙一動あるじゃないですか。 そのときに、どんな細かいことにも気を使う、集中して集中して、あるいは細かいことに集中できないときには、 時間を限って、短い時間で短期間にやらせる。そうすると時間に集中する。 時間に集中させるやり方でもいいし、一挙一動丁寧にやるということでもいいんだけど、ともかく気を抜かないように必死でさせる。 そういうふうにやる。そうすると、瞑想だけでずっと集中するのは難しいけど、 立って座って、畑耕し、巻き割り、たくあついでいって、いろいろパッパッパッパッとやることが変わっていくと、 その集中力というのは切り替えていくことによって、この集中力は緩んでしまうのを避けるんですよね。 そういうふうに一挙一動、どうやって集中するかという工夫をさせるんですよね。 # 動中の工夫は静中に勝ること百千万倍 このやり方というのは、勉強で言うならば、ずっと一つの科目ばかり手話時間やっていると、なかなか集中が維持できなくなりますよね。 得意な科目、好きなことでも、何時間も高い集中力を維持して、やっぱり普通の人は難しいです。 そうするとどうするかというと、例えば数学やっていたら、15分くらいしたら国語に変わって、15分くらいしたら英語に変わってという風に、 どんどん短時間に、集中力がちょっとでも追ってきたなと思ったら、パッパッと科目を変えていって、特化肥解をやるという、そういうやり方もありますよね。 私は、例えば本を読むときに同時進行で、4冊も5冊も同時で読んでいるんですね。 飽きることはないにしても、ちょっと集中力が追ってきたなと思った瞬間に、パッと本を変えて、次から次へと本を特化肥解を読むようにしていますけど、 禅の場合も似たようなもので、日常の一挙一動、どんなことでも集中することができるから、やらなければならない日常生活を、全部、瞑想だけじゃなくてね、全部集中してやることによって、瞑想と同じようにトレーニングするという風に、幕府するわけですよね。 そんな風にして、禅では、動中の工夫は、静中に勝ること100,000万倍、動いているときの集中の工夫は、静かに座禅しているときの工夫よりも100,000万倍効果があるぞ、そんな言葉が伝わられているぐらいなんですよね。 そうやって動いているときの工夫って、要するに無心と言いながら、心は活動しているということなんですよね。 心の中に何かがあれば、無心じゃないかという人はいるんだけど、でも徹底的に、執着で囚われたりしないように、本当にパッパッパッパッと切り替えて、先へ先へ先へ先へやっているときって、心の中に物があっても囚われないから、次から次へと流れてきますよね。 そうすると、何か一つのことに囚われてしまっているのは無心だけど、囚われないで次から次へと切り替わっていくのならば、無心にはならない、執着にはならないですよね。 で、実は無心のときには、心の活動が停止していると思っている人が多いんですけど、必ずしもそうでもないんですよね。 心って常に動いているものなんですよ。心って活動は停止することがないですよね。 科学的にもそれはよく言われていて、眠っていても心って動いているじゃないですか。無意識のうちに心って動いていますよね。 だから、気がつかないうちに心って常に常に動いているんです。だから動くのが心の本質である。 そういう心を止めることがいいわけじゃないし、止めることを目標とするわけでもないですよね。 で、無が夢中というときの夢中、夢の中では困るんです。見たり聞いたり感じたりというのは、ちゃんと覚えていなければ困るんですよ。 でも執着するとダメ。覚えていながらパッパッパッと次から次へと執着しないで切り替わっていくって時間は常に流れてきますから、 その時間の流れの中で心がパッパッパッと次のことを取って集中しながらいくって。 でもこの時にね、どこまでギューッと集中して、どこでパッと離すかという、掴んで離すというこの呼吸、タイミングというのが修行の頑目になるんですよね。 まあこれ難しいんです。でもまあちょっとここでお話しするぐらいのことではなくて、いろんなトレーニングがあるんだけれども、 皆さんにお勧めの本で、たくあん和尚の不動致心魅力という本があるんですよね。 これはとってもいい本です。ですからまあ私がここで今日はお話しするよりも、もしチャンスがあったら皆さん、ちょっと難しいですけれども、 たくあん和尚の不動致心魅力というのを一回ご覧になるといいと思うんですよね。 この中にその集中するということ、無心に至るための集中、ギュッと掴んで離すって、この辺りの呼吸についてとっても素晴らしいことが書いてあります。 ですから私の一用心の善の書籍ですね。そんなわけで、皆さんぜひたくあん和尚の不動致心魅力を読んでいただきたいなというふうに思います。 # チャプター 5 さて、今日もお聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #禅 #沢庵和尚 #無心 #不動智神妙録 #動中の工夫は静中に勝ること百千万倍 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ02:392.修行の中で「無心」を目指す03:303.修行道場の工夫04:094.動中の工夫は静中に勝ること百千万倍https://www.amazon.co.jp/%E6%B2%A2%E5%BA%B5-%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%99%BA%E7%A5%9E%E5%A6%99%E9%8C%B2-%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A%E6%95%99%E9%A4%8A%E6%96%87%E5%BA%AB-30-%E5%AE%97%E5%BD%AD/dp/481332391X/ref=pd_bxgy_d_sccl_1/356-8213232-9740260?pd_rd_w=BBFi5&content-id=amzn1.sym.5efa75be-7115-44c4-99e0-09e0ccdabd3a&pf_rd_p=5efa75be-7115-44c4-99e0-09e0ccdabd3a&pf_rd_r=5VSEBG9ANDAERE0FS4M5&pd_rd_wg=949LM&pd_rd_r=1678b8d8-078e-486a-ac4d-5fa1459943fd&pd_rd_i=481332391X&psc=100:095.チャプター 5コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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