TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#304 人生を考える...人生に向き合う時に④13:26 2024年10月24日 515再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次人生の終わりに何を残せるか?執着を手放し、知恵を学ぶとは?利他の心で人生を繋いでいく共感の力で未来へ希望を繋ぐ人生の意味、あなたはどう考える?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エレンジの古川周玄です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 失われていく中にあっても... 今日も昨日に引き続き、人生を考えるということで、人生に向き合う時にということの続きをお話ししたいと思います。 今日は4回目になりますね。 今日は、もう改めて振り返ってみて、人生に向き合う時に何を大切にしていられるのかなって、そんなお話をしようと思うんですよね。 私たちが人生において大切にしているものって、結局は欲望とか執着の対象になるものなんですよね。 お金であったり、成功であったり、いろんなものがありますけれども、やっぱり欲望の対象になるということがまず最初ですよね。 それが自分にとって大事であったり、価値を持つと思うと、それに執着していきます。 そして、欲望と執着の組み合わせの中でそれを守っていく。 それが人生において大切なものになっていくじゃないですか。 だけど、こういうものの先に見えてくるものって、厳しい結末が待っているということですよね。 仏教では、生老病死ということを言うじゃないですか。 仏教は、苦しみからの解熱ということがその教えの始まりにあるんですよね。 だけど、その苦しみにもいろんな苦しみがあるんですけれども、 例えば、自分で増幅しているだけの苦しみもあれば、増幅しなくても必ず引き受けたくならない苦しみというのがあるんですよね。 それは、私たちが命を生きているということによるんですよね。 命というのは、始まりがあって終わりがある。 しかも、始まりがあって終わるだけじゃなくて、儚くて脆い生き物、存在だから、 病にもかかるし、年老いていくし、 だからどうしても苦しみを受け受けたくならないということですよね。 その苦しみを受け受けたくならない中でも、一番辛いことは何かというと、 例えば、病とか老いということからあるように、自分がせっかく手にしたもの、 自分がせっかく入手したもの、手にしてわがボロにしたもの、努力して努力して手に入れたもの、 その大切なものが、だんだん手から滑り落ちていくんですよね。 最後に、死ということを通じて、全部失われていく。 そうすると、人生の中で、例えば、欲しいなと思って手に入れて、 これは大事だからということで、しっかり握りしめて、 要するに欲望と執着の構造で持ったものは、最後はだんだん奪われていくんですよ。 奪われないように奪われないように、努力しても努力しても、 どんどんどんどん手からこぼれていって、最後に全部剥ぎ取られる。 そうすると、この欲望や執着で得られる喜びというのは、最後にはゼロに返っちゃうから、 もう、得た分の喜び、逆にそれは、いいものであればあるほど苦しくなってしまいますよね。 だから、全部剥ぎ取られちゃうということを考えたときに、 最後には全部剥ぎ取られちゃって、剥ぎ取られちゃったらがっかりしちゃうようなもの、 剥ぎ取られたらもう無意味になってしまうようなものを握りしめていたのでは、 もうやっぱり最後、結論は、ゼロに返った瞬間に苦しみの方が徴収が増えちゃうような気がしますよね。 いいものに合えば合うほど、失うときは辛いって。 でも、私たちは知恵というものがあるんですよ。 そうすると、得て失われるんだけども、失われるときに、その失われてもなお残るものがあると思うんですよね。 いつもずっと最後まで増えていかないと困るとか、いつも最後まで失われちゃ困るとかって、 人間ってそんなもんだけじゃないですよね。 失われることが分かっていても、無くなることが分かっていても、だんだんだんだん手から滑り落ちていくとしても、 そこに絶望とか苦しみとか、辛さだけじゃなくて、悲しみだけじゃなくて、 そこにそういう辛さや絶望や悲しみがあるとしても、それでもなお良かったって思えるような、そういう向き合いがあると思うんですね。 私たちはそれを知恵と呼びます。 だから難しいけれども、知恵というものを人生かけて学び続けるということがとても大事だし、それは不可能ではないですよね。 それでは終わりにするんです。 # 「利他」という考え方 今、お話ししている、知恵の問題。 つまり、命というものの持つ限界によって、だんだんだんだん失われていって、最後は全部剥ぎ取られてゼロに帰っていく。 でも、そういうふうに、失われてもなおかつ、絶望や悲しみや苦しみだけにならずに、 それを逆転していくような、何かそこに感謝とか希望を持っていけるような、そういう言い方があるとすると、 それはどういうものかって、たぶんおそらく、何を握りしめるかとか、何を得るかという、何かという問題ではないと思うんですよね。 そうではなくて、むしろどう向き合うかって、向き合い方の問題だと私は思っています。 欲望や執着というのも、向き合い方なんですよね。 自分の欲望や自分の執着というのは、その一つ、物事の魅力を発見する上で、とても大切なものですよね。 しかも、これは本能とくっついているんですよ。 だから、これはとても大切なものですし、否定する必要はないんですよね。 ただ、それだけで終わってしまうと、いつかこれは失われるから、その時に引き剥がされる苦しみが倍化するって。 だから、そういったものを求めていって、掴んでいって、握っていって、大切にするって。 でも、我々はその先に、これはいつか失われるということが分かっているのであれば、 その自分が手にしたものを失われるんだったら、じゃあどんなふうにして向き合っていかないかって、 少しずつ少しずつ自分の向き合い方を変えていく必要があるんですよね。 これは知恵じゃないですか。 で、その時にいろんなやり方があると思うんですよ。 一つは、ただ自分の欲望だけ、ただ自分の喜びだけ、ただ自分の執着だけっていうふうにするんじゃなくて、 例えば、生きていく中でいろんな人と出会って、共感したり尊敬したり感謝したりすると、 自分だけじゃなくて、同じように生きている同じ人間の仲間、あるいは周りにいると同じ生き物であってもいいんだけども、 そういうものに対する共感と尊敬、尊重の思いというのが生まれてきますよね。 そうすると、同じ命に対する向き合い方の中に、我が事のように他の人、他の命に対する共感というのがあるじゃないですか。 そうすると、自分が欲望し、自分が執着を感じるもの、それを同じように命である限り、そういうふうに同じように思うって、 どんなふうに思っているのかって共感することができますよね。 そうすると、自分がこの世を去っていく、衰えて世を去っていく時に、寂しくて絶望するんだけど、 でも、誰か自分の身の回りに、自分にとって大切な人、大切なもの、 次の世代を担っていくような、新しい次を担っていく、次を生きていくような若い人たち、 次の時代を担っていくような次世代の人たち、 そういう人たちが、やっぱりそれを得て、喜んで、生かしてって、そうやってやっていく姿を見た時に、 それが、我が事のように嬉しいって、我が事のように魅力を感じて、希望を感じてっていくって、 自分は去っていくけれども、大事な、自分にとって大事な人がそれを生かしていってくれて、 享受してくれて、広げていってくれてって、そこに喜びと希望を持っていくって、 そういうことができるわけですよね。 そういうふうにして繋いでいくということも、一つのやり方じゃないですか。 これは一つのヒントなんですよね。 だから、神奈川型の進み道としていくならば、欲望や執着というのは、 本来、外部性というんですかね、命が失われるということは、命の中で自己感覚でできないということですよ。 失われてしまうわけですから。 でも、失われていくんだけど、自分の命の外側を見ることができるんです。 その時に、失われるという意味での虚無とか死っていうのがあるんだけど、 同時に今度、プラスのものの外側もあるわけですよ。 それは、共に生きる同じ命、共に生きる人間ということじゃないですか。 一番分かりやすいのは家族ですよね。自分の子供や自分の家族。 だけど、深く深く共感する力があれば、何も自分の家族や兄弟や親族だけに限らないです。 心らしを同じようにしたり、苦楽を共にした仲間って、 しかもそれが若い世代であっても構わないじゃないですか。 殺すと終わって思うような、そういう仲間に出会った時に、 その仲間に託すことができるって。 そんな風にして、命っていうのを閉じ込めてしまって、 自分の中で完結させないで開かれていくって、外側を見るってことですよね。 そういう生き方ができるって、それは一つの考え方ですよね。 人生に向き合う時には、だから命っていうのはどうせ終わっていくんだったら、 命の外側、自分の命っていうのは自分の中に閉じ込むのではなくて、 自分の命の外側を見るってことができるんですよ。 仏教ではそれを、利者の行っていう風に呼んでるんですよね。 # 「共感」の力...我がことのように 以前にもお話したことがあるかもしれませんけれども、私はこの頃、このことを実感として学ばせていただいたのは、私の前の住職をしていた老子なんですよね。 隣人の先代さんです。この方は、もう最後、自分の年老いて晩年、もう亡くなられて、去年が七日秋でしたからね。 もう今年は8回目の明日になるんですけれども、これはつい先日、それでお送りしたんですけれども、この方がだんだん年老いていく。 その中で、年に一回だけ、距離から家族が会いに来るんですよね。 ご存知は、私がこちらに来てからは年末よく家族が一緒に過ごされていたんだけれども、もう老子も年老いているから、おいしいものを食べたいわけでもない。 お酒は結構お好きな方だったんだけれども、お酒もガムガム飲むわけでもないんです。 でも、その親族が年に一回だけ会いに来ると、まだまだ、もう自分のメイクさんがね、島田におられたって、メイクさんが子供たちを連れて来ると、 その自分からすると、孫にあたるような、世代の親族の子供たちが楽しそうにワイワイワイワイご飯食べたりやっている姿を見て、もうなんか目を細めて嬉しそうにしておられたんですよね。 自分のことのように嬉しそうにしておられたんですよ。 で、その姿を見て、もうなんか子供たちを見て、わが言のように喜んでいる姿を見て、ああ、人間って自分自身の欲望と執着がだんだんだんだん薄まってきて、 それに執着しなくても良くなってくると、自分にとって大事な人たち、あるいはそこまで縁がなくても、自分の身近すぐ隣にいる人たちが喜んでいる姿って、心が喜ぶんですよ。 それは共感力ですよね。 やっぱり喜んでいる人みたいな自分も嬉しくなるじゃないですか。 悲しんでいる人みたいな自分も悲しくなるじゃないですか。 そういう共感力がだんだん磨かれてくると、だんだんだんだん、わがことのように人の喜びがわかるって。 わがことのように人の悲しみがわかるって。 共感力がどんどん増していけば、自分の命が終わるんだけども、でも自分の命が終わっても、まだなおかつ次の時代を生きていく人たちに、自分のいろんな思いを共鳴させることができるんですよね。 で、リトラ行って言うと、何か人のためにやってやるって言うんだけど、そういうギブアンティークとか、そっちで考えるんじゃないんですよ。 リトラ行の中で一番根本的なことは何かって言うと、共感力なんですよね。 リトラって言うのは、何かをしてやるんじゃなくて、まず最初に深い共感がなければ、本当のリトラはできないんです。 わがことのように人の喜びを願う。 わがことのように人の悲しみを共感するって。 それをやっているうちに、わがことのように人のために生きることができるって。 それを少しずつ学んでいくのが、おいしいってことじゃないのかなって、私は先田さんのおすが止めながら、そんなことを学んだんですよね。 これは人生に向けようときに、知恵を得ていくという上で、とっても大切なことだというふうに思っています。 そういう意味で不正行、見返りを求める人のために行動するってことは、不正行って大事ですよね。 でも不正行の中に、やっぱりその共感力ってあるんですよね。 そんなふうに思います。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #本当に大切なもの #人生を考える #人生に向き合う時に 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ04:232.失われていく中にあっても...05:143.「利他」という考え方03:314.「共感」の力...我がことのように00:095.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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