TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#310 人生を考える...「信じる」と言う時に②12:27 2024年11月1日 499再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、人生を考える...「信じる」という時に。AI目次「頼るもの」探しの功罪とは?人生の道標、その真の意味とは?挫折から始まる新たな視点とは?自分都合を捨てる覚悟とは?信じ続けることの重要性とは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジュの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「頼りになるもの」を探すということは 今日も昨日に引き続き、人生を考えるということで、 信じるという時に、ということでお話したいと思います。 私たちが何かを信じるという時にですね、 そこには頼りになるべきものというのが考えられているんですよね。 じゃあ私たちは本当に人生の中で、自分の人生の中で、 信じるって言えるものがあるかどうかって、そんな話ですよね。 で、実際私たちが人生を送っていく中で、 若いうちはともかくとして、大人になっていろんな経験が積み重ねられていくと、 本当に信じることができるものってあるのかなって、 それはとても難しいですよね。 で、分かってくることはどういうことかって、 頼りにできるようなものってなかなかないということなんですよね。 で、私はお坊さんとして、 修行を通じて自分の人生を今の歩み方というのを決めてきた人間ですから、 私が大事にするのは何かというと、 例えば何を頼りにするべきかということで人生を歩んでいても、 結局は見つからないんですよね。 頼りになるものって実は大してないんです。 で、じゃあ最後は自分で行くしかないですね。 行くというのは自分でやることです。 じゃあ自分が頼りにできるかというと、 実は自分も大して何もできぬんですね。 だから何か頼りになるものを探すという生き方は、 最初から苦しくなるように自分を導いてしまうところがあるんです。 どうしてかというと、何か頼りになるものを探すと、 見つかるまでは苦しいじゃないですか。 でも自分の人生を歩む上で大事なことは、 人生をしっかり歩むことが大事であって、 そのために頼りになるものが必要だというだけのことですよね。 でも頼りになるものを探すと、 自分の人生をしっかり歩む前に、 頼りなものがどこにあるか、 頼りなものがどこにあるかって、 まず先に頼りなものを探し始めちゃうんですね。 そうすると、まず最初にしっかり自分の人生を歩もうとする前に、 頼りになるものを探すことで人生って終わっちゃうんです。 でも、頼りになるものって簡単に見つかりません。 反対に、頼りになるものがなかったら、 人生は歩めないかというと、 実はそんなことはないですよね。 そりゃあ、その頼りになるものがあった方が人生は楽ですけど、 なくても歩んでいけるんです。 つまずいたり、転んだり、怪我ったりしながらだけど、 苦労しながらだけど、人生は歩んでいけるんですよ。 だから人生の中で、 頼りになるべきものを探すということも大事だけど、 本末が点としてはいけないんです。 まずしっかり人生を歩むということですよね。 できるだけ良いものになるように、 経験を積み重ねながら、失敗しながら、 一生懸命歩くということですよ。 歩く中で、頼りになるものを探すのはいいんだけど、 まず、頼りになるものを探してから歩くって、 これ、人生が成功するって、安全にいけるっていう保証を手にするまでは、 怖くて歩みませんって言っているようなものですよね。 でも、そんなことを言っているうちに、 どんどんどんどん、人生の時間が過ぎていってしまうんですよ。 人生の時間が残り尽くされてくると、追い立てられてきますよね。 追い詰められてしまったら、もっと苦しくなります。 まず、そこを考えなきゃならないんですよね。 # まず初めに... それではどうするかって。そうするとこの人生の中でまず最初に、まず一番最初にあることは、何を頼りにするべきかということではないんですよね。 自分の外に何か自分を支えてくれるような頼りになるものを探すということでもないし、自分自身を頼りにするということでもないんですよね。 やっぱり当てにならないし頼りにならない。自分がじゃあ何を道しるべとして生きていくかということなんですよ。道しるべなんです。 道しるべというのは所詮道しるべなんですよ。その道しるべの通りに行けば自分の満足を行く道があるかって、それは違います。 道しるべというのは道を間違えないように行くためのものではあるけれども、例えば山登りの道だったら、いろんなコースが書いてありますよね。 でも迷っちゃったらいけないから、そういう意味では道しるべは大事だけど、どの道を行くことが自分にとっていいことなのかということは、行ってみないとわからないんですよね。 だから道しるべというのはあくまでもその道を行けば成功するという意味じゃないんですよ。 やっぱりそこを進んでいく、少なくとも最低限、自分の満足かどうかわからないし、成功するかどうかもわからないけど、自分の道を行くということですよね。道を行くということの頼りになる。 その程度のものです。だから道しるべとして行くんだけど、ひょっとすると途中で引っ返さなければならないかもしれない。こんな端じゃなかったと思うかもしれない。 道しるべがあるから安心していけるというものでもないですね。でも何かこの道を行くって自分で決めていくということですよね。それを道しるべと呼びます。 だから昨日もお話ししましたけども、頼りになるという意味ですがるものを探してしまったら、いっそになってしまいます。 でもすがることができるようなもの、そんなものを探して、そんなものを見つけるのか?そんなものが世の中にあるのか?たとえあったとしても、そんなものを見つけられるのか? だから頼りものならないって、そうなっちゃうと、じゃあ自分にすがる。そうするとどうなるかって。少なくとも人よりこれができる、あれができる、これが得意だって、そういうところにすがり始めるんですよね。 でもそんなものを、たとえば人よりちょっとできるから、得意だから、じゃあ自主を通してそれで人生をかけていけるほど通用するようなものなのかって、そんなことはないです。 自分には大した大人がないということを、それを大人になると、いやというほど思いされますよね。 だからやっぱりその道しるべというときに、これを行けばいいというふうに思い込むというのは良くないんです、やっぱり。 信じるというときに、私たちは大したことがあるかないかって思っちゃうじゃないですか。 でも大したことなんて本当にあるのかって、自分には大したことがあるのかって、世の中にある大したことというのを自分のものにできるのかって。 もうつらいことだけど、繰り返し繰り返しこれはしっかり自分で反省して素訳して、生きたかなきゃならないんですよね。 耳障りの悪いことだけれども、それをはっきり最初に認めていかないと、ふらふらふらふらして、結局後でこんなはずじゃなかったって思うことになるんです。 だからまずはじめに、これをはっきり直視するということが、人生の第一歩として大事じゃないかなって私は思っています。 # 辛いけれど... 人生において何かを信じる、それを頼りにしていくという時に、私たちはどうしても大したことを探すわけですよね。 信頼できるやつ、安心できるやつ、自分に成功を保証してくれるやつ、大したことを探すわけですよね。 それを得ると幸せになれるようなもの、何でも人間って良いものを探す、大したものを探すんですよね。 だけど今お話ししたように、大したことって本当にあるのか?大したことって自分は本当に自分を得ることができるのか? それができないんだったら、まずはじめに大したこととか大したものとかって言っているやつ、 そういう風に、例えばこれが大している、これが大したことはないって判断している自分がいるじゃないですか。 その判断しているやつって何者なんだって。 結局自分にとって、これが大したことであるとか大したことでないとかって言う時には、結局自分都合ですよね。 その基準って要するに思い通りってことですよ。しかもそれも自分の思い通りですよ。 自分にとっての思い通りという観点から、大したことあるとか大したことないとかって決めたらいいかって。 そんなものが当てにならないってこと? まず自分の基準っていうのは普通死んでしまってますよね。 基準って死んじゃってその上で判断してますけど、自分がこれが良いこれが悪いって言っている基準が本当に当てになるのかなって。 辛いけどまずそこからですよね。 仏教の世界では、お釈迦様の十大弟子の一人に入っているんだけど、処理班族っていう人の話が出てくるんですよね。 この人はお釈迦様の弟子になって出家して入門するんだけど、記憶力が悪くて教えを理解することができないし覚えることができないって。 お釈迦様の弟子たちにはスグルトスがいっぱいいたから、その中で自分は教えも理解できないし覚えられないって。 ダメだって絶望するわけですよね。 でもお釈迦様は白い布切れを渡して、治療を払え、治療を払えと言ってそれを清め続けろって教えますよね。 そうすると処理班族ってそれを愚直にやるわけですよ。 そのところの処理班族って大したことあるとか大したことないとかって言ってしまってるんですよ。 ただ言われたらやるって。 まずは自分都合を捨ててますよね。 自分の釈迦では自分の基準というのを捨てているんですよ。 そこが大事ですよね。 だからその処理班族の出発点にあるのは何かというと挫折なんですよね。 徹底的な挫折なんです。 挫折ってつらいけどいいことがちょっとある。 それは大したことあるとかないとかって言っている自分都合が嫌というほどへし折れるんです。 自分都合が中途半端にあると当てにならないものに寄りかかっちゃうんですよ。 自分都合なんて当てにならないものに寄りかかってどうにもならない。 でもどうしても人間って自分都合にいきたいから思い通りにいきたいから 当てにならない自分都合、当てにならない思い通りに寄り下がるんですよね。 でも本当にパキンと折れて挫折したらそんなもん当てにならないって分かる。 この処理班族という人はまさしくそうですよね。 もう自分の中でダメだって覚えられないし、 だからお釈迦様が言われた通り、治療を払い、治療を払いってただ操縦を続けるってことじゃないですか。 そうやって自分勝手の限界にぶつかるって、 自分がいいとか悪いとかって言っているものが本当にいるのかって本気で考えるって。 自分都合が自分勝手な判断を、あるいは思い通りにしたいという判断を、 あるいは勝手に自分都合でいいとか悪いとか言っているだけで、 そんな風にわがままに世の中を見ている自分をやっぱり根本から見直すってことですよね。 そんなわけで、この話ってとても難しいんですけどね。 何かを信じることができるとか、何かを信じるというのは決して解決じゃないんですよ。 解決ならないんです。そうじゃなくて、信じようとするということですよね。 信じようとすると言うけど、イワシの頭も信じるだろうとか腰を丸のびちゃいけないんです。 信じられない、でも信じようとする。信じようとするけど信じられないって。 信じられない状態だけど、まずそこを行くということですよね。 まず進む姿勢ということです。道しるべということですよ。 道しるべというのは、決してそのまま行けばいいもんじゃないけれど、まず進むということですよ。 その向きを見せるということですよね。 まあ愚直のようだけど、この愚直さからしか本当の道は始まらないです。 私はね、自分で道場に行ってよかったことは、何かするので答えが出たというわけじゃないんですよね。 だけど道場で身につけたこと、何でもいいから進むということなんですよ。 だから、成功とか失敗とか最初から言わないことです。まずやってみるということ。 で、答えが出なくても歩き続けるということ。 そして、自分都合で見ないということですよ。 安易な答えを求めてしまわないということですよね。 自分にとって都合が悪くても、自分にとってつらくても目をそらさないということです。 自分の都合を落ち着けないということですね。 つらいけど、それをやっている。そこからしか本当の人生は始まらないんじゃないかなと。 まあ、そんなふうに思っています。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お来ていただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #人生を考える #信じると言う時に #大したこと #周梨槃特 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:302.「頼りになるもの」を探すということは03:343.まず初めに...05:064.辛いけれど...00:105.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
#640 AIの衝撃の大きさを受け止める② 16分・昨日・ 112再生AI目次IBM Watsonと開発者の情熱理想のAIが蝕む人間の本質知のブラックボックス化の危機人間的行為とコミットの喪失AI時代に蘇るソクラテスの問い
#639 AIの衝撃の大きさを受け止める① 14分・9月10日・ 120再生AI目次AI開発の原動力、IBMの熱狂人間の夢を映すAIという存在Watsonの誤答が示すAIの未来AIの冷静さと人間の情熱の対比AIにできない人間の情熱の真価
#638 辛い思いをして修行をしても、無駄になってしまうのではないか?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(47)「円満具足の本分」① 13分・9月9日・ 199再生AI目次厳しい修行と拭えない心の疑問成果主義がもたらす仏道への誤解誰もが持つ「円満具足」の真の姿他人との比較を超える喜びの源泉理屈抜きに「良い」と味わう体験
#637 どこまでも己にとって返す~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」② 13分・9月8日・ 144再生AI目次他人の是非を越え自己へ帰れ徹頭徹尾「自分のため」の修行「自他」の区別以前の自分を掴む「お前は何者か」という深遠な問い途方に暮れる悩み、悟りへの一歩
#636 他人の是非を口にする前に~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」① 16分・9月7日・ 184再生AI目次他人の是非に悩む心の現実修行者への唯一の指摘「一両剣」他者の評価が示す自身の未熟さ自己向上を促す「良い点を見る」教え他人の言動が示す自己の内面とは
#635 禅の物語~葉落ちて根に帰す 六祖慧能大師(其の五) 14分・9月3日・ 204再生AI目次禅の革命者 六祖慧能大師とは仏を見出す鍵 自身の衆生を知れ葉落ちて根に帰す 慧能の死生観形式を排した最期の教えの真意言葉を超えた慧能禅の遺志とは
#634 一切を棄てるとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(45)「悟入」 14分・9月2日・ 212再生AI目次心の捉えどころない性質消えない記憶と煩悩の根源「一切放下」が示す悟りの本質達磨大師が語る「心牆壁」不完全でも歩み続ける境地