TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#314 ものごとを決断する時に09:51 2024年11月7日 436再生 問題を報告する 再生する シェアする ものごとを決める時、「正しいかどうか」私たちは悩みます。しかし、私たちは、答えが無い、答えが出せない問題に直面することがあります...AI目次決断の迷路、答えはあるのか?正しさより大切なものとは?テクネとフロネーシス、その違い覚悟の先に待つものとは?答えなき問い、それでも生きることAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 答えがある時、無い時 今日は、物事を決断する時に、という事でお話したいと思います。 これは、Voicyの方から頂いた、「意思決定のマインド」というテーマを元にお話したいと思います。 意思決定、要するに何かを自分で決める時ですよね。 だからそれを、私は物事を決断するという風に、言葉として置き換えてみて考えてみたいと思います。 物事を決断する時って迷ったりするんですよね。 その時どう迷うかというと、それが正しかったのかどうかという事ですよね。 厳密に言うと、楽しかったかどうかというよりは、その決断で良かったかどうかという事ですよね。 私たちの場合は、良かったかどうかという時に、その正しかったかどうかという事と、ごちゃごちゃと取り混ぜてしまったりする事があるんです。 だけど物事には、その正しかったかどうかが決められない場合というのがあるんですよね。 私たち、知識という事、あるいは知恵という事を考える時に、その答えがある場合とない場合があるんですね。 答えというのは、要するに何らかの形で回答を出すという、そういう意味での答えじゃなくて、正しいという事でしょうね。 それは正しいという場合には、もう科学的に正しいみたいに、誰もがいつでも同じ条件下だったらそうする事が良い事だって、 それはもう誰がどう見ても論理的に揃っているって、そういう意味で正しいと言えるって、そういう事が決められない場合って結構あるんですよね。 例えば、アルテレスというギリシャの哲学者がいますけれども、アルテレスが知識を分ける時に、いくつかに分けているんだけど、 例えばテクネという、テクノロジーという言葉の、あるいはテクニックという言葉の語源になっているテクネという言葉がありますよね。 これはどういうものかというと、何かの目的を達成するために、どうすれば良いかという事がちゃんと分かっていて、 分かっている事に従ってちゃんと準備して、材料や道具を到達してきて、目的を実現する事が出来る、そういう知恵の事をテクネと言うんですよね。 これは、ちゃんとした答えがあるっちゃあるわけですよね。 ちゃんとした目標があって、それを達成するための手順ですから、論理的にきちっと考えてやった方が良いに決まっているわけですね。 ほとんどの場合、テクネというのは、ちゃんと答えが分かれば良いわけです。 良いものだったら、ググれば良いって事になるわけですよね。 もう一つは、フロネーシスという言葉があるんですよね。 熟路するというような意味なんですけども、 例えばこれって、ぶつかり合うような意見があった時、 どっちを選ぶかとか、時々刻々と状況が変わっていく時に、どういう判断をするか。 例えば、アルステルスを挙げている例だったら、将軍ですよね、軍人です。 時々刻々、状況が変わるじゃないですか。 その時、どういう決断が良いかということ。 これが変わっていきますよね、時々刻々。 それから商売人ですよね。 今だったら経済学みたいなものですよ。経済みたいなものですね。 経済学って、法則や論理性というのはあるんだけど、状況がどんどん変わっていきますよね。 そうすると、これだけ学問が進歩して、 それ個々の小さな規模だったら、論理性がはっきり見えているのに、 経験がどうなるか、経済がどうなるか、実は簡単には分かりませんよね。 だから、そんな風に、まず最初に、その知識がちゃんと一対一で対応していて、 答えがちゃんと論理的に導き出せるような場合、 テクネー的な知識と、それからいろんなものが二手に絡まり合っていて、状況も変わるって、 そういうプロデュース的な知識で、まず答えがあるかないかということが違ってくるということですよね。 # 覚悟し、決断する 今お話ししたことというのは、 その答えが比較的単純に論理的に判断できる場合と、 それから状況が変わっていってしまったりとか、 それから複雑であったりとか、 それから見方によって結論が違って見えてくる、 立場によって違って見えてくるという場合のことをお話ししましたね。 さらに難しいことを考えていくと、 その結論に価値判断が入る場合、 だから意思決定するときに、 良かったかどうか、正しかったかどうかがぶつかり合うのは、 例えば彼に出されていた課題が、 こっちがちゃんとある場合、はっきり分かっている場合だとしても、 そこに価値判断が入ってくると、 本当にそれで良かったのかなって、 正しければいいかというと、そうじゃない場合もあるじゃないですか。 そのふうに考えたときに、 良し悪しとか、それから善悪だけじゃなくて、 良し悪しとか、それから美しいとか、 人間がここで良かったかどうかというふうに考えるときに、 道徳性や美意識みたいなものが入ってきたりするんですよね。 そういうのを含めて考えたときに、答えがあるかどうか。 答えは簡単にあるなんて言えない場合がありますよね。 そうすると、物事を決断するときって、 最初は正しかったかどうかというふうに悩むんだけど、 本当は正しいってことは言えないんだったら、 そういう悩み方じゃなくて、それで良かったのかどうかって、 そのふうになるんですよね。 で、はっきり言ってしまえば、 私たちが意思決定する、意思決定しなきゃならないとき、 決断をするというときには、 その答えがある場合、 それは決断っていうことではないんですよね。 答えが分かっているんだったら、その通りやればいいんですよ。 要は、答えを知ることができているかどうかだけじゃないですか。 ググることができるかどうか。 あるいは客観的な答えを得ることができるかどうかって、 昔は分からなかったことでも、今は分かることがいっぱいありますよね。 だから、正しいってことを、答えを求めるってことも、 格段に100年前に比べると良くなっているわけです。 だから正しい答えというのは、昔よりはるかに得られるし、 今はかなり分かっているわけですよね。 だけど、今言ったように、 立場や見方や状況や、あるいは是非然訳や価値観、倫理性、道徳性、美意識みたいなものが入っていて、 ぐちゃぐちゃになって、どれが正しいかということは言えないような場合のときに、 初めて決断するということの意味が出てくるじゃないですか。 正しいかどうかという点では、 例えば道徳性、倫理性が入ってきたり、 そういった場合なんかには、簡単に決断ではないよね。 でもみんなが決められないからってすくんじゃったら、どうにもならないです。 そのときに、誰かが決断しなきゃならない。 そのとき初めて決断という重さがある判断をする。 もう責任なんか取れないようなことでも、誰かが決めなければどうにもならないときあるじゃないですか。 そのとき、自分は背負い切れないことがあるかもしれないけど、 誰かが決めなきゃならないんだったら、 自分が決めなきゃならないんだったら、やっぱり決められないんですよね。 まず最初に自分が直面するということだったら、 人の財産や人の命まで背負うことはできないんだけれども、 まず最初に自分の人生を選ぶ。 自分がどう生きるか。自分がどういうことをすべきか。 それが簡単に答えがわからないことっていくらでもあるわけですよ。 そのときに自分は苦しみながらでも、こうするって決めなきゃならない瞬間ってあるんですよね。 だから答えがわからないときにこそ決断があるって。 で、起きたことを背負い切れないかもしれないけど、背負わなきゃならないって。 そんな理不尽な、そんな無態なって言うかもしれないけど、 実際そんなことって山ほどあるじゃないですか。 だから私たちが知ってなかならないこと、答えが得られないときはある。答えがわからないときはある。 答えは得られててわかっていたとしても本当にそれでいいのかって、悩まなかならないときがあるって。 そういうときに決断ってことが起きるって。 その決断を支えるものは正しさではないですね。 残念だけど、つらいけど、それは覚悟しかないってことです。 人間はだから愚かであるし、有限な生き物で自分が担うことができないようなことを担うことがないことがあるって。 だからやっぱり腹をくくって覚悟して生きていかなきゃならないし、そういう覚悟をして生きていく。 そのときにはですね、やっぱりお互い人間ですから、 その限界の中で苦しみの中でしていかなきゃならない生き物だってことをお互いにわかっていって、 お互いを尊重していくって。 残念だけど、答えがないときってあるわけだから、 生きるってことはそういうことを引き受けるってことじゃないですか。 だから意思決定っていうのは、そういう難しさがあるってことですよね。 苦しいけど、それが生きるってこと。 それが人間が生きるってこと。 そういうことが伴っているってこと。 それは一人前の人間として生きていく上で、必要にならないことだなというふうに思います。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #覚悟と決断 #意思決定のマインド #テクネーとフロネーシス 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ04:052.答えがある時、無い時05:293.覚悟し、決断する00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう ひまわり2024年11月7日決断できずに毎日和尚様のお話を聞いていますありがとうございます1返信
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ありがとうございます