TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#317 「浪費」のこと12:56 2024年11月12日 418再生 問題を報告する 再生する シェアする 「浪費」の問題を掘り下げると、そこに「刺激」を求め、この「刺激」に依存してしまう人間の問題が見えて来ます...AI目次浪費の深層:現代社会の問題点とは?刺激と依存:抜け出せない罠とは?仏教と浪費:修行の意味とは?人間らしい生き方:意味を見出すとは?浪費克服への道:精神の在り方とは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。えりんじのふうかわしゅうけんです。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「浪費」の問題を掘り下げると 今日は、浪費のことについて考えてみたいと思います。 これは、Voicyの方からいただいたトークテーマですね。 Voicyの方のトークテーマでは、浪費からの脱却ということになっています。 ですが、私はこの浪費からの脱却ということを言う前に、 そもそも浪費ということの問題の背景にあるものについて、 掘り下げて考えてみたいなというふうに思っています。 というのは、浪費というのはとても大事な問題ではあるんですけれども、 脱却する方法がすぐに見つかるようなことであれば、 それは、浪費と言ってもそれほど深刻ではないんですね。 だけれども、どうしても浪費の生活から抜けることができないって、 そこにやっぱり根深いものがあるんですよね。 そこでちょっと深く掘り下げて考えてみたいなというふうに思います。 一つは、この掘り下げてみたいと思った理由というのは、 浪費の問題の背景に、 現代の深刻な問題と共通のものがあるようなふうに私は考えるんですよね。 例えば、浪費ということの結果として、お金に困ってしまって、 それで今、社会を、世間を騒がしているやめバイトみたいな問題もあります。 結局、やめバイトに走っていく若者の背景には、 お金に困っているというのがあるんですよね。 もちろん、経済が悪いということもあるんです。 いろんな事情があるので、一口には言えないですけれども、 実は、ギャンブルに依存してしまったり、 薬とかアルコールに依存してしまったりって、 そういう背景が結構あるという報道なんかがありますよね。 そういうふうに、浪費の背景に、実は何か贅沢をしちゃうというだけじゃなくて、 何かギャンブルに引きずられていったり、薬に引きずられていったり、 アルコールに引きずられていったりって、 気をつけないと、引きずり込まれていくような怖さがあるんですよね。 そういう意味では、例えば健全な生活が安定していて、 精神的にも安定している人が、浪費刑期があるというのとはちょっと違う。 そうじゃなくて、本当に生活が壊れてしまうようなところまで、 引きずり込まれていってしまうような、そういう怖さが浪費の中に現れている。 これが一つの、現代の深刻な病であるし、深刻な病気になっているんじゃないかと思うんですよね。 多分その背景にあるものはどういうものかって、 それは、刺激を求めていくということが強いんですよね。 刺激を求めてギャンブルに行く、刺激を求めてアルコールに行く、 刺激を求めて薬に行くって、 その刺激を求めるということの中には、 辛いから、反対のものを得るために刺激を求めるっていう、 好きだから惹かれてくるわけじゃなくて、 辛いからこそ反対に刺激を求めて、それを打ち消そうとするっていうものもあるんですね。 だから、余計に深刻な問題だということになっているんですよね。 この強い刺激っていうのは、実は人間というのは、 一つの刺激を与えられていると、どんどん慣れちゃうんですよね。 慣れちゃうから、もっともっとって、どこまで行っても、 どんどんどんどん、刺激を求める生き方っていうのは、 どんどんどんどん、この売買ゲームで、 よる強いものへと落ち込んでいってしまうんですよね。 だから、そこにこの依存の体質っていうのが生まれてきてしまう。 その浪費っていうことの中に、この刺激がセットになっているときには、 この依存の体質になってしまうっていう怖さがある。 そういうふうに考えるべきだと思うんですよね。 # 刺激と依存へと引き摺り込まれて... 日常の生活がちゃんとした上で、その上で浪費液がある。これも困りものなんですけれども、それがこの刺激へ引きずられてしまって傾斜していくという、そういうふうに依存へと走っていくような浪費、これはとても怖いものですよね。 この刺激に引きずられていくという人間の弱さというのは、仏教の世界においてもとても大事な深刻な問題なんですよね。 だからこの刺激に対してどう向き合うかということはとても大事です。仏教がこの修行ということを言うのは、一つはこの刺激に引きずられないために生活を立する。 この生活を立する力を高めていかないと、いろんな刺激に囚われて捕まってしまった瞬間に油断するとどんどん引きずられていくんですよね。だから死ぬまで修行を続けるというところがあります。 ある意味では仏教の修行というのは、この刺激と依存に対する抵抗というそういう側面があるんですよね。 結局その刺激に引きずられていくというのは、要はそれで終わりということですよね。 薬もそうですが、何かやっちゃったらそれで終わっちゃうんです。使っちゃったら終わっちゃうんですよ。終わっちゃうからまた次が欲しくなる。 刺激というのは、刺激を得たらそれで終わりなんですよね。終わっちゃうからこそまた次が欲しくなるというこの連鎖ですよね。 どんどんどんどん新しく更新しなきゃならない。刺激というのは儚いですから、その刺激ってすごくいいんだけど終わっちゃうんです。 だから終わっちゃったからやっぱり寂しいし足りないしってどんどんどんどん欲しくなるって。 そんな調子で刺激というのは儚いものだから、しかもどんどん慣れちゃうものだからって、要するに食い散らかして放り散らかすっていう感じになっていくんですよね。 だからいくらいいものであっても、刺激という風になってしまったら、例えばブランドバッグにしても美味しい食べ物もそうですけれども、それが気を付けないと刺激になってしまうんですよ。 刺激になってしまってそれが異相になってしまったら、戻る価値っていうのはもうなくなってしまうんですよね。 だから良いバッグを持っても足りなくなっちゃう。美味しいものを食べても足りなくなっちゃうんです。 本来なら良いバッグを持ってたり美味しいものを食べたりするとその良さがずっと持続するはずですよね。 だけどそれが本当に儚いものだから、本当に二足三門のものになってしまうんです。 どこまでもどこまでも新しいもの、新しいものって、何百万もするようなものを持っててもそれが飽きちゃったら二足三門なんですよね。 でも育ってしまうっていう怖さがあります。 だからこの刺激を求めていく浪費、刺激を求めていって依存に繋がってしまう浪費っていうのは、結局は根本的な意味で物とちゃんと向き合えていないから大切にできないってことですよね。 なんで大切にできないかというと、それは結局は自分を大切にしていないからなんですよね。 要するに自分を刺激と刺激への依存へと引き渡しちゃってるんです。 人間って自分の人生を生きなきゃならないんですよ。 自分の人生を生きるっていうのが大事なのに、自分の人生を放り出して刺激と刺激への依存へと空き渡してしまってるわけですよね。 だからそんな風にして自分を空き渡しちゃったら、自分を大切にできないような状態になってしまったら、結局は全てのものを刺激と依存へと放り投げるわけだから、手近なものをやたらめたら掴み倒して血入れ倒して食い散らすだけになってしまう。 だから人も物も大切にできないって。欲望のまま執着に流されてしまうって。 だから欲望に執着されて生き方になってしまって、要はドーパミンバンバン出してるだけなんですよね。 ドーパミン出してるだけの生き方になっちゃったら、結局は動物の実験なんかで、よくドーパミン出るような快感を与えるようなことをすると、狂ったようにボタンを押すんじゃないですか。 ネズミでも犬でも、ドーパミン出るとボタンを押すんですよね。グググッと押しちゃって、もうどうにもならなかったんです。 人間も同じですよね。そうなっちゃったらどうにもならないです。そういう怖さがあるんですよね。 # 人間らしく生きるには... 人間も結局は動物なんだって、ここで割り切ってしまったら、そこで話は終わりなんですよね。 でも、人間は違うんですよね。刺激の強さに依存してしまうんじゃなくて、そこに意味を見せることができるんですよね。 人間ってもちろん刺激には弱いです。で、刺激って大事ですよね。 だけども、その刺激の強度だけに依存するんじゃなくて、刺激の質っていうものに意味を見せることができるんですよ。 同じようなものを見ていても、こう経験を増して学びを得ると、同じ景色を見ていても、そこに美しさを発見することができるって。 人と出会ってて、同じように人に出会ってても、その人の振る舞いや姿に崇高さを感じたり、あるいは感謝を感じたり、共感を感じたり、思いやりを感じたりって。 人間ってただ刺激が強いってだけじゃないんですよね。そこにいろんな意味を見出すことができるって。 そのために精神的な学びっていうのがあるわけですよね。 その精神的な学びっていうものを得ることができれば、そこにこの複雑で奥深い世界が開かれてくるって。 そうすると、やったらめったら刺激を求めて依存するって。 ドーパミンが出た嬉しさ、ドーパミンが出るって確かに快感ですよね。 でもそれに引きずられちゃって、もう凶悍してボタンを押すような、そんな言い方じゃないって。 そうならないためにはどうするかって。 やっぱり感性を磨いて、精神を磨いていって、その刺激はきっかけにはなるんだけど、 強さだけじゃなくて、そこに意味を見出して、質の違いを見出していって、 人間がずっと歴史的に大事にしてきた精神的な価値、美しさ、崇高、 あるいは言い方を変えれば、感謝や共感?思いやり? そういったものへと変えることができるんですよね。 そうすると、ドーパミン出るだけじゃないような精神の世界があるわけです。 でも一歩間違えると、浪費っていうものをもたらす喜びっていうのは、 気をつけないと依存、刺激と依存へと傾斜するって。 だからそもそも私たちが浪費してしまうって、それは人間がどうしても刺激に弱いってことですよね。 だからやっぱり浪費っていうのはそういう意味でも大変危険なものだって。 それが分かってはいけないし、浪費がいけないとか浪費がどうのこうのってことを言うよりは、 むしろ根本的に人間っていうのは、やっぱり意味の世界に生きてるんだって。 そんな風に精神的なものの価値っていうのを、もう一度再確認するべき時が来てるんじゃないかなって思います。 かつて哲学の勉強をする頃に、フリドリシー・ニーチャーっていうドイツの哲学者が言ってたんですよね。 人間というのは意味っていうのを放棄しちゃって、ただ強度だけを求めるって。 刺激の強度だけを求めてしまうようになるって。 そういうのは、要するに家畜の群れと一緒だって。 フィーって、チクフンってニーチャーが呼んでましたけど、そうなっちゃってはいけないって言うんですよね。 意味っていうものにこだわりすぎてしまって、こぐらがってしまって、意味の病に取り憑かれるっていう人間には悪い癖があるんです。 でも今度じゃあ意味っていうのを放棄しちゃって、感覚とか刺激だけに向かっちゃうと、 またこれは反対に、いわゆるドパミだけ出すような、家畜の群れのような畜になってしまうんですよね。 その真ん中を行くってとっても難しいです。 だからそういう意味で、修行っていうのもやたらべったりやればいいってもんじゃないんですけども、 人間というのはやっぱり生きるってのはとっても難しいってことですよね。 それを忘れてはいけないような、そのふうに思うんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お待ちいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #ニーチェ #精神性 #欲望と執着 #浪費からの脱却 #刺激と依存 #意味の世界 #畜群 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:562.「浪費」の問題を掘り下げると04:363.刺激と依存へと引き摺り込まれて...04:064.人間らしく生きるには...00:095.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#644 ほんとうの坐禅とは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(48)「坐禅の本意」① 14分・9月21日・ 186再生AI目次坐禅に秘められた多様な目的心身の回復を促す坐禅の力乱れた日常にリズムを生む坐禅集中力と自己を見つめる坐禅真の坐禅へ導く「己」の理解