TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#347 ほんとうに大切なものを探すために10:20 2024年12月24日 379再生 問題を報告する 再生する シェアする このところ、以前には想像もできなかったような出来事が私たちの身の回りで起きつつあり、心が痛みます。AI目次本当に大切なものとは何か?切実さから探る真の価値にもかかわらずの思想を学ぶ矛盾を抱えながらの探求自分探しの旅の始まりAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「切実さ」を手掛かりに... 今日は、本当に大切なものを探すために、ということでお話したいと思います。 本当に大切なものって何だろうかって、大切なものっていっぱいありますよね。 お金も大切だし、健康も大切だし、人間関係も大切だし、みんな大切なものがあると思うんですけれども、 いろんな程度で大切だってそれぞれあるんだけれど、 じゃあ本当に大切なものってどういうものかって、自分が全てをなくしてもそれを守り抜きたいと思うようなもの、 そういったものになると思うんですよね。 全部一枚一枚剥がれていって、それでもこれを最後に守るって、そういうものですよね。 で、そういうものってあるのかなって思うじゃないですか。 で、私は修行道場に行って、そういうものを探すってことになったんですよね。 今から思うと自分が悩んだり迷ったりしてた向こうに何があったかって言うと、 それってやっぱり大切なものを探してたんですよね。今思うとそう思います。 世の中には素晴らしいものがいっぱいあるわけですよね。 例えば自分がやりたいことをやるって、やってる時の快感ってある、それから成功ってこともあるって、 人から認められるってこと喜びもあるって、プライドが満たされるとかね、あるじゃないですか。 だけどそれって時間の中でどんどんどんどん失われていくものですよ、やっぱり。 どんどんすごい人があって、だんだんだんだん衰えていって、最後は死ぬってことです。 道路業種の問題ってありますよね。 だからそこが気になって気になったら仕方がないから、死ぬってことが何とかしたい、どうにかしなきゃって思う人もいるだろうし、 いろんなことやったって、けど最後は無くなるんだからって、割り切っちゃって斜めに車に構えちゃう人もいるだろうし、 いろんなことがあると思うんですよね。 だけど本当に大切なものって、ダメになってしまうって、それは分かってるんですよね。 それでもこれは守るって、それは何だろうかって、こう考えていくんですよね。 反対から言えば本当に大切なものって、簡単に無くなるようなものであってはあるはずがないじゃないですか。 大切なんだから、それはもうどんなことをしても守るべきものであってって、 それってふわふわふわ消えてしまうようなもんじゃないですよね。 それって何だろうかって、自分の人生の中で、これが大切なんだ、これを自分が見つけるために生きてきたんだって、 これを守っていくんだって思うようなものに出会うことができれば自分の人生って変わるんですよね。 で、どう見つけるかって、私は今思うんですけど、 切実って、切実なものって、切実さっていうことを追いかけていくことによって見つけることができるんじゃないかって。 で、これ簡単に言ってはいけないことなんですよ。 じゃあ切実に感じれば本当に大切なものなのかってなるんですけど、 実はそれは切実に感じるものって大切なものはあるんですよ。 切実ではあるんだけど、でもそれを握りしめて掴むことが本当に自分にとっていいものなんだろうかって。 自分が例えば何かに傷ついたときに、それを取り返そうと思って食い下がるって。 それが結果的に良くなることもあるけど、無益なことに食い下がってしまうことってあるじゃないですか。 本当に大切なものは苦労して苦労して追いかけていって、その結果はやっぱり自分のためにならなきゃいけないと思うんですよね。 自分を痛めつけたり自分をはめてみているようなものはやっぱり違うと思うんですよ。 そういう意味で何が自分にとって本当に大切なものなのかって、 そういう風に考えたときに、切実さっていうのは手当になるんだけど、 じゃあ切実であるという風に自分が思えばいいのかって、そうは簡単にいかないと思うんですよね。 # にもかかわらず...という思想 自分にとって大切なものを探すときには、例えば良さげに見える、見た感じとか、そういう形から入るってことがあったりする。 それから形からじゃなくて、自分でいろいろじーっと観察していて、結果がいいものから入るって。 いろいろやり方があると思うんですよね。 でもたぶんおそらく最後は自分自身に聞くしかないと思うんですよね。心の声なんですよ。 切実さってそういうものですよね。自分自身に聞くもの。 良さげなものじゃないですよね。比較していいものでもないです。 結果からわかるというものでもないですよね。 切実さっていったところに勢いで、自分がガンガンガンガン感じるって、勢いで感じるって、そういうものとも違いますよね。 流されてしまってはいけないんですよね。 だからやっぱり切実であるからこそ、流されないでずっと立ち止まって、ずっと粘って、苦しさがあってそれを求めるっていう粘りって大事ですよね。 最近になってですね、いろんな問題が起きるんですよね。 自暴自棄になってしまったり、絶望してしまったりっていろんなことがあるじゃないですか。 それってよくわかるんですね。やっぱり私も何をしていいかわかんなくて苦しんだ時があるからよくわかるんです。 でも今があるのはなぜかというと、諦めなかったってことってあるんですよ。 何で諦めなかったかというと、切実に響いてくるからなんですよね。 切実に響いてくるっていうことを切実さに任せてしまって、それで自暴自棄になってしまうことってあるじゃないですか。 でも多分それじゃはいけないと思うんですよね。 だから切実だからこそ流されないって。 だから切実にっていうことは、犯罪をする二つの顔を持ってるんですよ。迫ってくるものであるから。 だからどうしても目の前のもので取られてしまったり、流されてしまったりしがちですよね。 でも流されちゃったら、結局自分が使うものって本物じゃなくなっちゃうんですよ。 じゃあそういう切実に感じるってものがなくして、冷静に冷ややかに物事と向き合っていれば、わかるかって言うとそんなことないですよね。 やっぱり人間って生きていて、そこに切実に求めるってものがあるからこそ、その素晴らしさって、その凄さがわかるわけじゃないですか。 無くてはならんってものは迫ってくるはずなんですよ。 無くてはならんもの、本当に素晴らしいものが自分はまだ掴めていないって。 自分はまだそれをはっきりと確かにしていないってなったら、やっぱり一旦一旦と、どういうものなんだ、なんだんだのかどうじゃないのかって迫ってくるわけですよね。 そういうわけで、この切実さっていうのはどういうものかって、二つの顔を持ってるって。 一つは迫ってきて自分に急いでそれを掴むことをしぎる。 あともう一つは、だからこそ手力者に流されてしまったり、慌てて掴むことはいけないって。 そういうふうに、違ったもの、二つにぶつかるものがあるんですよね。 ちょっとわかりにくいって言われてるかもしれないけど、人生って簡単にいかないですよね。 大事なものって簡単に見つからないんですよ。 だからそれを見つけておくためにどうしたらいいかっていうと、やっぱり尻に叩いて、むちぶって、自分で頑張るって。 それが切実な思いっていう必要です。 でも切実だからっていう理由で目の前のもの、特に迫ってくるものを掴めばいいかっていうと、そうじゃないんですよ、やっぱり。 先に流されてしまったり、気がつかないうちにずれていってしまったりする。 だから自分で追い立てられてるから、これが一番強烈に迫ってくるから楽しいんじゃないかと思って掴むんだけど、やっぱりそれを安易に掴むんじゃなくて、じっと吟味するって。 そういうことで言うと、時間をかけてじっくりと取り組むっていうんですね。 切実さっていうのは慌てたり急いだりっていうことでもあるんだけど、短時間に決するってことじゃないですよね。 そうじゃなくて、時間をかけて吟味する。吟味するように強いるものって。 で、急がせるように強いるんだけど、同時に慌てて掴んではいけないっていうように強いるって。 何回矛盾してるけど矛盾したことって人間にありますよね。 昔、哲学を勉強してるときに、ドイツの哲学でトロチタムって、にもかかわらずって言葉があるんですけど、そのトロチタムって思想って大事だって書いてあったことは、なんか心に響いたことがあるんですよね。 それは矛盾するものを二つ抱えながら探求するってことが哲学の真実だっていうことを言いたかったようなんです。 一つはだから、例えばカルバルトっていうスイスの信学者がいるんだけど、この人がよく言ってたのは、急ぎつつ待ちながらって。急ぎつつ待ちながらって。 急い急いで心が急かされていくんだけど、でもじっくり待たなきゃならないって。だから心が急かされていくってすごい大事なんですよ。 だから急ぎながら、急ぎつつしかし待ちながらって、そういうふうに言うんですよね。 それから絶望しながら、しかし希望を持ってって。 そういうふうに矛盾するものを二つにもかかわらず掲げ込みながら生きるってことがある。 そういう意味で説理図ってのはそういうものを特徴付けるものじゃないかと思って。 高校近年、特に今年ですよね、いろんなことが起こるところに、そういったことがぐちゃぐちゃになってしまうことの一番の理由は何かというと、やっぱり迫ってくるものに身をのんでるっていうこと。 同時にそれに負けてしまわないで、流されないで、じっと見続けるっていう強さ、これが大事だなというふうに特に思うんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお受けいただきまして誠にありがとうございます。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #切実さ #今年一番の学び #にもかかわらずそれでも 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ04:122.「切実さ」を手掛かりに...05:513.にもかかわらず...という思想00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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