TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#353 令和7年新年のご挨拶10:34 2025年1月1日 375再生 問題を報告する 再生する シェアする 令和7年新年を迎え、謹んでご挨拶を申し上げます。AI目次令和7年、新たなスタートを切る決意減る人手と続くお寺での奉拝『林下十年の夢』から学ぶ境地迷いを断ち切る、境地への到達希望に満ちた一年への展望AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ 新年あけましておめでとうございます。 エリンジの古川周券です。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 # お寺の年越し 今日は初めに新年のご挨拶をさせていただきました。 そして、新しい年を迎えて、最初、ちょっと心に浮かんだことをお話しさせていただきたいと思います。 エレンジでは人手が減ってしまいまして、ずっと続けていた従来の借り付きを中止ということに去年からしております。 今年もだから金はお寺の中だけで済ませてしまって、もう皆さんにお菓子をいただいて作るということはできなくなってしまいました。 だんだん山梨県の国家公衆市ですけれども、人口が減ってきて、特にお寺スタッフというのは高齢者が多いですからね、そんなことでどんどん今まで当たり前にやってきたことができなくなる。 例えば、私が十数年前にここに来た頃、お寺でいろいろな行事があると、お寺のお団子屋さんの奥様たちが集まってきて、お料理を作ったりしてもらっていたんですよね。 でも、もうそれを思うようにはならなくなってしまいましたので、お弁当で済ませるとか、どんどん縮小していくという、やむを得ず育っていくということですよね。 とても残念なことではありますけれども。 今年育って枯れつきもやめましたけれども、せっかくですので、新年の初放養というのをやっているんですね。 数年前から、実はエレンジとすぐ近くにある、新豪州の地産派の宝庫寺というお寺がありまして、このお寺は平安時代の改装ですから、遥かに遥かに歴史と伝統があるお寺なんですけれども、 ここのお寺というのは、開園時代の安田、吉田のお寺寺で有名ですね。安田家というのはものすごい勇猛な、勇猛果敢な方が出る部門の、いいですけど、ここのお寺寺で有名です。 竹田信玄の祈願所でもあったんですよね。そこで竹田つながりで生き生きがあるんです。 今のご入職とは一つ違いですから、大変長くさせていただいていて、いろんなことをやっていたんですね。 コロナまでは一緒に寿愛の借り付けをしようと、二つのお寺が回って、両方寿愛の借り付けをできるようにしようということで、 いろいろ地域の若手の人たちとか、地域の皆さんの力を借りて、恵林寺、宝庫寺、寿愛の借り付けをやっていたんですよね。 灯籠を並べてみたりとか、いろんなことをやらせていただいたんですけれども、残念ながら、うちのお寺が寿愛の借り付けから脱落という、そんなことですよね。 この宝庫寺さんは、年が明けた瞬間に新年のご祈祷をするんですね。 初祈祷というのをやって、それを皆さん楽しみにしておられるので、うちはその後、0時半から新年の最初の奉養をするということで、 年明けにやる祝神という奉養があるので、その祝神の奉養を0時半から毎年やるようにしているんですね。 うちは借り付けは止めてしまったんですけれども、0時半からの新年の初奉養をさせていただいて、 今年も新年の初奉養をさせていただいたら、20人ぐらいの方がお越しになりまして、ありがたいなというふうに思います。 借り付けはないんですけれども、集まっていただいて、奉養をしていただいて、とてもいいなというふうに思っています。 # 林下十年の夢 湖辺一笑新たなり さて、昨年、令和6年を振り返って、3回にわたってちょっと難しくごちゃごちゃと終わらせていただいたんだけども、 まあ、ようやくしてしまうと、ごちゃごちゃごちゃごちゃして、何となく落ち着かないってことですよね。 良くも悪くもです。いろんなことが始まって、こう忙しく慌ただしく社会が動くってこともそうですけども、同時に何かこう座りが悪い。 これが良いふうに向かってごちゃごちゃするんだったらまだいいんだけど、何かこう不安も増えていくっていう。将来どうなっちゃうんだろうなって。 そういう先行きに対する不安が増すような、そんなごちゃごちゃがあったような気がするんですよね。 じゃあ、今年新年どうするかって。もうできることは一つ。もう切り替えるってことですよね。 気持ちを切り替えて、心を切り替えて、前へ進むってもうそれしかないです。 お寺では新年を迎えにあたって御朱印を作ったりとか、あと私はお客様に、あるいは関係の方に色紙をお配りするので、色紙に江戸の言葉を書いたりするんですよね。 あとは新年の朱印も江戸の言葉を使ったりするんですけども、今年はこの蛇、身年ですよね。 蛇なので、あんまり良い禅語で将来に向けていくような力強い禅語って意外とないんですね。 江戸時代にあんまり良い言葉がない時には、直題の言葉をお借りすることがあるんだけど、直題は夢。 で、夢っていうのはとても良い言葉だけれども、このお寺っていうか仏教圏では夢っていうのは、この蛇の人生、蛇の命は儚く夢のようなものだっていう、あんまり意味じゃないんですよね。 だから法師なんかに夢って書けるのは、この儚くて脆い人生の無常ってことを思い起こせっていう、そういう感じのニュアンスになるんですね。 だから将来に期待を持った夢みたいな感じは、仏教は持たないですよね。 そこでどうしようかなと思ってましたら、ちょうどこの林下十年の夢、古編一生新たなりっていう禅の言葉に思い浮かんだんですよね。 林下、林の下、十年の夢、古編、湖のほとり、一生一つの笑い、新たなりっていう禅語があって、ちょっと思い起こしたんですよね。 思い出したんですね。 で、林下っていうのは、林の下っていうから、林の中に隠世して、引退して、引逃して暮らせるっていう不安、あの言葉がニュアンスがあるんですけども、 それだけじゃなくて、修行僧侶のことを林って表現することがあるんですよ。 修行僧達の集まりのことを僧林同盟会って言うんですよ。僧侶と僧同じ林って。 僧林同盟会ってことがあるように、修行者が座禅している、林の木が並んでいるようにずらずらと並んで座禅している姿を、林に例えるんですよね。 だから林下っていうときには、このお者達が集まっているっていうニュアンスがあるので、林下十年の夢っていうときには、十年の修行っていうことですよね。 でも、それは夢だって言ってるんです。 ずーっと修行してた。ずーっと修行してた。その修行は厳しい修行をして、厳しい修行をして、生きてきたんだけど、それは夢だって言ってるんですよ。 何で夢だって言えるかって。一生懸命修行してるじゃないですか。夢じゃゴールじゃないですよね。 社場の生きてる、勝ったり負けたり、そろしたり得したりっていうのが夢みたいなものだ、仇みたいなものだから、真実を求めて修行するわけですよ。 だから修行道場での十年の修行っていうのは夢じゃないですよね。 社場が夢だから、そんなあぶくのような、どうでもいいことを悪せく悪せく、ちびきをあげるようなことは嫌だから、だから道場で修行するわけですよ。 でも、この言葉では、林下十年の夢、修行道場での十年は夢のようなものだっていう。なぜかって。 次の言葉が、下野君が表現を説明しているんです。 古兵一生新たなり、湖のほとりで一つの笑い。 まあ、おそらく湖のほとりっていうから、地名、場所で言うんだったら、おそらく美輪湖かもしれないですよね。 湖の、お、広い湖のほとりで座禅をして、徹夜で座禅をして、ある朝、はっと悟りを開くって。 一宮さんは、やっぱり美輪湖の船の上で徹夜で座禅するんですよね。 で、はっと悟りを開いたって。 美輪湖みたいな広いところ、湖のような広く広げたところで座禅をして、はっと気が付くってよくあるんですよ。 狭いところよりも広いところでパッと気付くってことがある。 あるいはひょっとすると、心が行き詰まって行き詰まって行き詰まって苦しくて悩んで、 って疑いの中で暮らしている、ぐるぐるぐるぐる回っている閉塞感があるんですよね。 それがパッと気付いて御悟りを開いた瞬間って、さーっと広がるわけですよ。 それを、美輪湖に例えているかもしれませんよね。 どちらにしても、美輪湖のほとりで、わははははと笑う、大笑いするって。 一生、新たなりって。新しい気持ち。 もう生まれ変わった気持ちで、御悟りを開いて、はっと気付いて、生まれ変わった気持ちで、わははははと笑うって。 これがしもろく。 で、このしもろくが、神徳の説明なんですよ。 10年間の修行道場の厳しい修行は、夢のようなものだって。 なぜそれは夢と言えるかというと、ある朝、はっと気付いて、 あっ、って、今までの自分のぐるぐるぐるぐる迷っていた悩み、ぐるぐるぐるぐる悩んでいたことは、間違っていたっていうんですよ。 もどろみ方、感じ方、考え方が間違っていたから、ぐるぐるぐるぐる苦しんでいたんだって。 なんだって、こういうことかって。 ふっと気付いてみれば、悩むことなんかなかったんだって。 そんなふうに、わははははって、こんなつまらんことで、何を悩んでいたんだって。 大笑いしながら、生まれ変わったように、新しい一歩を踏み出す。 まあ、そういうニュアンスですよね。 ですから、夢という言葉が、そんな言葉になるといいなって。 直大の夢という言葉が、ちょっと閉塞感がある。 不景気だったり、戦があったり、先行く不安があったり、どんどんどんどん、激乱の世界の中で、将来がわかんない。 だけど、ふっと気が付いたら、そんなこと、大変でも仕方がない。気にしても仕方がない。 どんなことがあろうと、自分の力で生き抜いてみせるって。 どんどんどんどん、新しい道を切り開いてみせるって。 そういう覚悟をひとつでやっていくんだ、というふうに、思い切っていく。 心配しても仕方がないって。自分に自信がなくても仕方がない。 自分が、自信があろうがなかろうが、やるべきことはやるわけですよね。 そんなわけで、気持ちを切り替えて、わはははと、思い切って立ち上がって、一歩進んでるって。 そんな年にしたいなと思って、この言葉を選びました。 # 終わりのあいさつ さて、今日も新年の最初のお話ですね。長い時間お聞きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ今日も良い一日をお過ごしください。 もっと見る #新年のご挨拶 #令和7年 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:131.初めのあいさつ03:222.お寺の年越し06:473.林下十年の夢 湖辺一笑新たなり00:124.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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