TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#389 今日は「梅花祭」...菅原道真公の命日12:32 2025年2月25日 395再生 問題を報告する 再生する シェアする 2月25日は「梅花祭」、菅原道真公の命日です。AI目次菅原道真公の生涯と悲劇天神祭と怨霊の物語渡唐天神と悟りの境地梅の花が伝える深い教訓心の平安への道とはAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エリンジの古川周玄です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 天神祭と菅原道真公 今日、2月25日は梅花祭、梅の花の祭りですね。 私は今、山梨に住んでいますけれども、主要道場は京都でした。 だから、毎月25日になると天神祭というのがあって、天神さんの祭りがあるんですよね。 だけども、この天神さんの中でも一番大事なのは2月の25日。 この日が、菅原道真の明日なんですよね。 皆さんご存知のように、菅原道真は、宇大神まで登り詰めるんですよね。 宇大天道の厚い信任を得て、その後、大和天道の厚い信任を得て、大活躍をするんですよね。 だけれども、残言あらぬこの疑いをかけられた言葉を受けて、突然この島流しは左遷になってしまうんですよね。 当時としては平気だった九州の名財府へ流されちゃうんですよね。 これは結構厳しい処置でして、名財府まで行く者は全部慈悲だったし、息子さんも含めて家族全員が流されてしまうんですよね。 しかも流された先では、お給金ももらえない、仕事もつかせてもらえない状態で、ほぼ露経みたいな感じですよね。 一応、名財府の役職はもらっているんだけれども、何もさせてもらえないまま、露経ですよね。 それで、失意のうちに紛失することになるんですね。 皆さんご存じのように、その後、島流しを獲得したと言われている人たちが病気で早く死んでしまったり、 それから後の天道は、後継ぎがどんどん殴られたりして、うまくいかないんですよね。 最後には、清涼殿、空家さんたちがいる平安京の大理の清涼殿に雷が落ちて、何人もの人が亡くなるということがあって、 これはもう天神山の菅原道真さんの恨みだということで、恐れ驚いて大和天皇は亡くなってしまうということがあるんですよね。 それで菅原道真の怨霊を沈めるために、それで今の明け幕がある。 もういろんなことが起きている段階で、大和天皇は菅原道真の霊を慰めるために、いろんな約束を元へ戻したり、 宇大寺に戻したり、約束を差し上げたりするんだけど、収まらないんですよね。 そんなふうにして、怒れる神として天神山が威力を振るうんですよね。 それをなでめるんだけど、天神山は梅のイメージが強いじゃないですか。 これも皆さんご存知かもしれないけど、とてもいい話なんですよね。 道真が流される前に庭にあった木に自分の別れの言葉を切々と言うと、桜は悲しみであまり枯れてしまった。花を散らして枯れてしまった。 梅と松は道真が追って空を飛ぶんですよね。 でも松は途中で折れちゃった。山口県だったかな。折れちゃった。 飛び松伝説なんですよね。 だけど梅はちゃんと太宰府まで飛んでいったって。 今、太宰府天満宮に飛び梅の有名な木がありますよね。 あれは京都の道真公の自宅から空を飛んで太宰府まで飛んでいったって。 それくらい太宰府の梅が飛び梅のあるくらい。 これはこの物語は、要するに道真公がどれくらい梅の花が好きだったかって。 その梅の花が愛する、自分を愛してくれる道真公を慕って飛んでいくって。 それくらい当時、情が厚いってことですよね。 その情の厚さの例え意味なものなんですね。 # 渡唐天神の物語 さて、伝道世界では、徒党天神図というのがあるんですよね。 党に渡った天神さんという図で、これは室町村時代からよく出てくる図像なんですね。 古いところだと摂取の描いた絵が有名ですけど、伝道的なお約束としては、 その天神さんが梅の木を捧げ持っている姿で描かれるんですよね。 これは要するに、後世、いろいろな伝説ができるんだけども、 東北寺を開いた昭一国師、縁理さんのところへ、 突然この夜、天神さんが現れてきて、禅の教えをこぶったって。 それで昭一国師が、自分じゃなくて、自分のお師匠さんの宗の国にいる武雄四番禅師、 仏観禅師に、禅のことは聞けって言ったら、神様ですからね、 そのような夜のうちに、仏観禅師のところへ、武雄四番禅師のところへ行くんですね。 武雄四番禅師が、禅の奥義を教えて、その場で天神さんが悟りを開いたって。 それで漢詩と歌の応集があるんですね。とても不思議な話です。 平安時代の天神さんが鎌倉時代の昭一国師や武雄四番禅師のところへ現れてきて、 また平安時代に帰ってくるという、子供向けな話なんですけど、 この物語の面白いところは、天神さんが悟ることによって安心を得るんですよね。 あまり知られていませんけど、悟りを得た後、天神さんが読んだ歌が漢詩に残っているんですけど、 それを見ると、もうこうして悟りを開いたからには、 そのダサい方で、空を見上げながら悔しい悔しいって悲しみの歌を歌ったら、もうその人はないんだって。 空を見上げて、そんな悲しみを見せる人はないんだって。 最後にそうやって救われたってことが、漢詩に書いてあるんですよね。 これどういうことかというと、怒り狂って荒ぶる神として、雷を落としたり呪いをたたりを及ぼしたような、 それだけ激しい激しい悲しみと怒りと苦しみ、天神さんの苦しみを解消するとすると、 それは悟りしかないんだってことなんですよね。 だからずっと怒ってて、いろんな悟りと騒ぎ寄せた天神さんが、 お祭りされてもなかなか治まらなかった天神さんが、 その悟りを得ることによって、もはやそういう怒りを治めて、心の安らかになったってこと。 だから反対から言えば、それだけ善と悪しみをちゃんとしないと悟れないってこともそうだけど、 じゃあどういうことかというと、いくら無実の罪でしたらごめんなさいって言われて、 後から喰らいを贈られたり、みんなから褒められたり、神様として祀られたって、 その時に失われた者は二度と帰ってこないわけです。 だから例えば、私たちが人生の中で辛い思いをしているじゃないですか。 でもその辛い思いを背負って、実は失われたら帰ってこないんです。 アクシデントがあったら取り返し聞かないじゃないですか。取り返し聞くこともありますよ。 でも取り返し聞かないことが多いですよね。一度失われたら帰ってこないことが多いんです。 ということを逆に言うと、人間って儚くて脆いから、だから失われたら帰ってこないことばっかりなんですよね。 そうすると、私たちが自分の幸せや人生の意味を世俗の中に置いたら、 実は失われたら帰ってこない。それだけ儚く脆いものの上に置いてはいけないんです。 天神さんが怒り続けたのはなぜかというと、天神さんが未練が立てなかったんですよ。 でも未練が立てなかったのはどこがまずかったかというと、 それは失われたら帰ってこないものをいつまでも思い続けたということですよね。 相手が悪い。誤解していたし、相手が悪いです。 でも後から気づいてごめんなさいと言っても帰ってこないですよね。 だから悪いことに対しての償いを求める気持ちはよく分かるんだけど、 求め続けてもせんがないこと。失われたら帰ってこないということ。 でもそのことに気づいて何とかしたいということで、悟りを求めて現れたということじゃないですか。 だからこの物語って、人間が失われてしまってどうにもならないものに対してどうやって折り合いをつけるかって、 そういう折り合いをつけて救いを得ていく物語をなぞっているようなところもあるんですよね。 そういう意味での教訓がそこにあるんですね。 # 清らかな梅に倣って ですから、この物語って、落ち着いて静かによく考えてみると、私たちによくありがちなことではないですか。 自分たちのまず幸せとかそういったものを、所属の中の利害関係だけに置いてしまったら、 もう理不尽なことで思い通りにならないことがいっぱいあるわけですよね。 で、失われたら取り返しがつかないことがいっぱいある。 私たちは取り囲んでいるもの。 例えば、お金で何でも買えるかもしれないけど、買えないものは山ほどある。 自分にとって一番大事なものはお金で買えない。 お金で買えないものって失われたら、いくら償いをしてくれますって、 ごめんなさいって謝られようが、お金で取り返せようが、償いできないものがいっぱいありますよね。 ということはそれだけ儚くて脆くて、失われたらどうにもならないようなものに取り囲まれて生きている。 そういうものの中で私たち生けざるを得ないという物語ですね。 そういうものに直面して、私たちが悲しくて悔しくて取り返しがきかないものに晒されるんだけど、 そこから出る方法は取り返そうと思って、いつまでも恨み続けることではない。 でも、トトトニの物語は道真根公のそんなに優れた人であっても、なかなか自分の心を思い通ることができない。 だから怒り続けたわけですよね。恨み続けたわけですよね。 でも、それを何とかして解消する。 禅の教えはそこで、禅宗はそれを救えるよって言いたかったのかもしれないけど、 でもそこに頑目があるんじゃなくて、菅原道真公ほどの素晴らしい人であっても、 理不尽者の中で一生懸命一生懸命精通にやったものが認められた時には、やっぱり怨霊となってしまうぐらい人間の心は怖い。 だから悟れたか救えたかって言うけど、そんな簡単にいかないぐらい人間の心は怖いということ。 そういう教訓がそこにありますしね。 それからやっぱり最後に、自分の心が何か、自分が失ったものを取り返すということでは救われないんですよね。 取り返すのではなくて、心の平安を別の形で得る。 そのためには、やっぱりある種、今風の言い方をすれば損切りできなきゃいけないんですよ。 いつまでも、ああしてくれ、こうしてくれと言っても、実際に道田猫の場合は、 喰らいを戻してもらって迷惑回復をなされたわけですよね。 それでも許さないわけです。私たちもそうですよね。 一回失われたものがあったら、帰ってもこんなものがいっぱいあるから、後から戻されても許さないじゃないですか。 だからそこに何とかして自分で新しい活路を探さなければならない。 そしたらどうするかって。心の平安を得るために、自分の心をやっぱりと向き合って、 自分の恨みとか怒りとか苦しみとか悲しみとか、そういったものを乗り越えていかなきゃならないということですよね。 最後は自分自身の心と向き合って、自分自身の心を何とかしていく。 そこに自分の力で執着と欲望の鎖を断ち切って、自分の力で自分の心を解き放つ。 それがやっぱり大事ということを教訓としてありますよね。 そんなわけで、道の猫を忍ぶ梅の花、梅の花というのは香りがとても素晴らしい。 そして小さな花ですけど、とても美しいですよね。 ですから、その梅の花を見ながら、この清らかな香りとこの凛とした姿を見ながら、 自分の心はいつまでもドロドロとした思いに囚われることがないように、 怒る気持ちはあるんだけど、分かるんだけど、それを切り捨てて、 新しいところへ、いつまでもこだわっているんじゃなくて、 新しいところへ自分を振り向けていけるようにしたいなというふうに思います。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お付き合いいただきまして、本当にありがとうございます。 どうぞ、良い1日をお過ごしください。 もっと見る #菅原道真 #天神さま #梅花祭 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:532.天神祭と菅原道真公04:313.渡唐天神の物語03:514.清らかな梅に倣って00:095.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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