本来の自分としての牛を捕らえ、吾がものとしたその先には、この牛を「忘れる」というステージが待っています。
道元禅師は「仏道を習うとは自己を習うなり。自己を習うとは自己を忘るるなり」と言っておられます。
AI目次
牛を忘れ、人は何を想うか?
「牛」を宗となすとは?一体何を意味するのか?
焦らず、静かに、熟成の時を待つ
悟りの境地、それは一体どんなものか?
本当の自分と向き合う旅の先に…
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禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
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    初めのあいさつ

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  2. 07:28
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    牛を忘れる

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  3. 05:21
    3.

    「牛を宗となす」生き方

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  4. 03:38
    4.

    焦らず静かに、じっくりと成熟する

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    終わりのあいさつ

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禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで

恵林寺 古川周賢

山梨県にある、武田信玄菩提寺の住職が、日々の暮らしについて、人生について、仏教・禅・社会について、感じ、考えることを語ります。
音楽一家に生まれ、西洋哲学を学び、その後、一念発起して禅の修行道場に入門。四〇過ぎまで修行僧の暮らしを経験しました。自分自身のアイデンティティに苦しみ、まわり道を重ねて今日に至ります。
学問の世界と修行の世界...対照的な場所に長く身を置き、まわり道を繰り返してきた経験が、皆さんのお役に立つこともあるかと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

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