2025年4月
#010 沢庵和尚『不動智神妙録』:「理之修行」と「事之修行」
19:37
理之修行、事之修行と申す事の候。
理とは右に申(もうし)上(あげ)候(そうろう)如く、至りては何も取(とり)あはず、唯(ただ)一(いっ)心(しん)の捨(すて)やうにて候。段々右に書付け候如くにて候。
然れども、事の修行を不仕候(つかまつらずそうら)えば、道理ばかり胸に有りて、身も手も不慟候(はたらかずそろ)。事之修行と申し候は、貴殿の兵法にてなれは、身構(みがまえ)の五(ご)箇(こ)に一字〔五箇三学〕の、さまさまの習事にて候。
理を知りても、事の自由に働かねばならず候。身に持つ太刀の取まはし能く候ても、理の極(きわま)り候(そうろう)所(ところ)の闇(くら)く候ては、相(あい)成(なる)間(ま)敷(じく)候(そろ)。事(じ)理(り)の二つは、車の輪の如くなるべく候。
理とは右に申(もうし)上(あげ)候(そうろう)如く、至りては何も取(とり)あはず、唯(ただ)一(いっ)心(しん)の捨(すて)やうにて候。段々右に書付け候如くにて候。
然れども、事の修行を不仕候(つかまつらずそうら)えば、道理ばかり胸に有りて、身も手も不慟候(はたらかずそろ)。事之修行と申し候は、貴殿の兵法にてなれは、身構(みがまえ)の五(ご)箇(こ)に一字〔五箇三学〕の、さまさまの習事にて候。
理を知りても、事の自由に働かねばならず候。身に持つ太刀の取まはし能く候ても、理の極(きわま)り候(そうろう)所(ところ)の闇(くら)く候ては、相(あい)成(なる)間(ま)敷(じく)候(そろ)。事(じ)理(り)の二つは、車の輪の如くなるべく候。
禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
恵林寺 古川周賢
- 00:111.
初めのあいさつ
- 01:242.
理之修行、事之修行と申す事の候
- 06:553.
「理」とは心のこと、「事」とは身体のこと
- 05:414.
「唯一心の捨てよう」...
- 05:195.
理と事、心と身体は車の両輪のように...
- 00:106.
終わりのあいさつ
コメント
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