TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#433 人生を考える...人生は一発勝負の繰り返し②10:51 2025年5月13日 321再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、人生を「一度きり」という点から考えます。テーマは「無常」です。AI目次人生は一発勝負の連続である無常への向き合い方とは?老いを味方につける方法とは?苦しみからの解放への道筋人生の全体像を見つめる時AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「無常」のこと 今日は、昨日に引き続き人生を考えるということで、 人生は一発勝負の繰り返しの続きをお話したいと思います。 昨日はこの一発勝負と言いながら、それはこの博打みたいなそんなもんではなくて、 その小さな小さな積み重ねが日常であって、 人生の大きな転換ですら、実は気が付いたら、 一個一個の小さなパーツをどれだけ丁寧にちゃんとするかということにかかっているんだって、 そんな話をしました。 今日はその続きなんですね。 今日の話はちょっと少し、私もそうですけれども、 年齢がいって、人生というものがいろんなことが分かってきた立場で考えるという話になってくると思うんですよね。 一発勝負ってどうしてそういうことが言えるのかって、 一つは人生ってやり直しは効かないということがあるんですよね。 そのやり直しは効かないということ、どんどんどんどん過ぎていってしまうということと、やり直しは効かないということ、 この二つを合わせて、私たちは無常と呼んでいるんですよね。 仏教の基本はこの無常と直面するところから始まるんですね。 お釈迦様が仏教を始めるとき、最初に初期の修行に功を出した理由というのは、 四つの大きな苦しみに直面したと言われていますよね。 それは皆さんご存知かもしれませんけど、生、老、病、死、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病になる苦しみ、そして死ぬ苦しみ。 この四つともそうですけど、特に老いること、病になること、死ぬことって、 これはこのどんどんどんどん人生というのは、自分が願おうと願う前と無関係に、どんどんどんどん無慈悲に移っていってしまう、変わっていってしまうということ、 そしてやり直しは効かない、これが切実に身に迫ってくるということですよね。 だから仏教というのは、無常というものに出会う、そこから始まるということですよね。 若いうちはなかなか頭でわかっていても、これを受け入れることは難しいですよね。 だから受け入れることができないから、正面から向き合うことはできません。 だけれども、ある程度人生が流れていって、人生の時は流れていって、私ももう50の後半にささっていますけども、 この人生の区切り区切りをだんだん過ごしていって、ある程度人生を過ごしてくると、もう自分の人生がどんな風になるかって、 残りの人生、どんなことを望むことができるか、どんな怖いことが待っているかということも含めて、 だんだん人生の全体像というのが具体的にはっきり見えてきますよね。 そうすると初めて、もう嫌をなく自分でわかってきていて、しかもだんだんうすうすわかっている状態が何年も続いてくると、 やっとちゃんと直面できる、ちゃんと直視できるという準備ができる。 そうすると、いわゆる中年になってくると、この無常ということをちゃんと正面切って扱うことができる。 だから、年を取った時に、そういう風に、若い頃にはできなかった無常にちゃんと付き合ってやろう、向き合ってやろう、 そういう決心をして、無常に本当に真剣に正面から向き合って、自分のライフスタイルを考えるということ、 それは大事なことだと思うんですよね。 だから、人生、若い頃から中年過ぎて歳をとって、その中で、どこか一番大事な節目で、 一回本当にそれまでのものの考え方を一回きちっと見直して、ちゃんと相談して、 この自分の人生はもう無常にさらさらでいてということ、本当に若い頃からわかってはいるけど、 なかなか直面できなかった自分の人生の終わりって、人生の限界って、 そういうものをちゃんと晴らす上で、ちゃんと向き合おうって、そういう決心ができる、 そういう決断ができるということ、とっても大事なんですよね。 だから、まずそれをしようじゃないかって、そんなことを思います。 そういう意味では、今日のこのお話は、若い人ではなくて、どちらかというと、 ある程度、人生が分かった人向きの話になるんですね。 # 「老い」の力を借りて「無常」に向き合う 仏教の修行は、悟りを求めると言われるじゃないですか。 悟りというのは、気づきという観点から説明します。 これは反対側から、裏側から、同じことですけれども、裏側から説明すると、下達。 自分が嫌だな、苦しいな、考えたくないな、と。 そんな風に避けたくて避けたくて仕方がないような、そういうものから逃れることができる、解放される。 それを下達という、生きる苦しみから解放される。 不安とか恐怖とか、そういったものから解放されるのを下達と言いますね。 だけど、下達するためには、ちゃんと直面しなければ無理なんですよね。 仏教の悟りって、勘違いしちゃいけないのは、お釈迦様は下達した人です。 悟りを開いて下達した人だけど、ちゃんと天上全うして、八重で亡くなっている。 だから、仏教の修行をしたからといって、病気がなくなるわけじゃない。 年を取ることがなくなるわけでもない。 人生の苦しみはなくなるわけじゃないんですよね。 ただ、苦しくて苦しくて、嫌で嫌で仕方なくて、重圧に圧倒されちゃうような、そういう生き方を切り替えることができる。 どう受け止めたらいいかということが、しっかり分かってきて、苦しいけども、ちゃんと前向きに受け止めることができる。 苦しいことをしっかり受け止めながら、前に向かって進んでいって、与えられた命を最後まで全うすることができる。 そういう生き方をすることができることによって、乗り越えていくというものが、仏教なんですよね。 だから、仏教ってそういうものだから、大事なことは何かって、自分のとって都合が悪い事実と言ったって、 ちゃんとそれが自分の命の本質であり、それが事実であるならば、それをきちっと認めて、見つめて、それを引き受けることが必要なんです。 逃げて歩いていたら、苦しいばかりなんですよね。逃げても逃げても、ついてきます。 ダメなものはダメなんですよね。逃げても逃げても、現実は変わりません。 だから、逃げないで、立ち止まって、ちゃんと見つめる。 その時に、何でこれが、自分は逃げざるを得ないんだろう。何で立ち止まることができないんだろう。 それは、自分の中にある、自分勝手であったり、自分の愚かさであったり、自分の弱さであったり、自分のわがままであったり。 まあ、これを基本的には、仏教では、とんじんじって、むさぼりって。 自分のわがままのむさぼりですよね。 勝手な、わがまま。人のことも考えない。自分の身の程も考えない。 ただ、自分のわがままで、あれが欲しい、これが欲しいと思っているだけ。 しかも、それは、わがままだということを、ご利用しする。 思い通りにならないといって、腹渡ったり、せえたりする。 それは、とんじんじの、じんですよね。怒り。 そういうふうにして、自分で自分で、苦しめているということに気がつかない、愚かさ。とんじんじ。 だけど、まず、どうなっているかということ、真実を。 自分にとって都合がいいかどうかを、抜きにして、ちゃんと見つめる。 見つめた上で、どう引き受けるか、その引き受け方を学ぶ。 なかなか自分の心って、思い通りにならないから、真実がわかっても、受け入れることができませんよね。 受け入れることができないけど、努力して、努力して、自分を鍛えていって、自分を磨いていって、ちゃんと受け入れることができるようになる。 でも、受け入れることができた瞬間に、物の見え方って、ガラッと変わるんですよ。 やりやり仕方なかったものが、違って見えてくる。 私も、最初、苦しくて苦しくて、修行道場に行って。 修行道場に行っても、苦しくて苦しくて。 だけど、修行道場にいながら、あるとき、考え方が変わるんですよね。 修行道場に行って、初めて自分にとって都合悪いこと、自分の嫌なことを、 自分にとって、嫌な都合悪いこと、見てもらいたくないことでも、 引き受けて、思い切って引き受けてしまえば、生き方が変わるってことを気づいたんです。 で、私は道場に行って、思ったこと。 昔だったら、嫌で絶対できなかったであることを、 これが自分でやることなんだって、自分で引き受けることができるようになりました。 引き受けて、一生懸命生きている中で、その中に素晴らしいものを見出したって。 昔だったら、思いもしなかったものを素晴らしいって、引き受けることができなかったって、 自分では想像できなかったことの中に、喜びを見出すことができるようになりました。 そんな風になることが、とっても大事なんですよね。 だから、仏教では、苦しみに向き合うことが仏教の始まりだと言いますけれども、 苦しみの中の一番大きな部分、仏教の教えでは、 思い通りにならない苦しみっていう風に要約してます。 肉体を持っているからには、痛みや辛さや、老いや、病がある。 だから、肉体を持っているからには、苦しいのは当たり前です。 それは誰もが苦しいし、それは引き受けざるを得ないことらしい。 引き受ければいいことなんですよね。 引き受けたいと思うが思うまでは、引き受けざるを得ないんです。 時代は経つがでも仕方がない。 だけど、それを引き受けて、引き受けての嫌な嫌だと逃げ回って、苦しくて苦しくて、 もう追っかけてくるものを逃げ回ったら仕方ないですよね。 足を止めて向き合えば、また浮かぶせもある。 身を防ぐでこそ、浮かぶせもあるって言葉もありますけど、 足を止めて向き合って見て引き受けて、そこから何か自分の乗り越えていくだけの力を得れば、見つかるんですよね。 私も自分で道場で見つけたから分かるんですけど、逃げないで引き受ける。 だから、思い通りにならないことを思い通りにしようと思ってご利用しをしたり、 あれは思い通りにならないことから目を逸らして逃げ回ったりするのやめようよって。 そうじゃなくて、勇気を持って思い通りにならない。 人間の限界って、人間の弱さ、脆さ、無情っていうものに付き合ってみようって。 引き受けてみようって、若いうちはなかなかやりたいことがいっぱいありますからね。 無理だかも。目没するし無理だけど、ある程度人生が分かってきたら、 人生ってのはどんなものか分かってきたら、引き受ける覚悟も勇気もできてきます。 だから、どこかで自分の人生、俺の人生ってこんなものかなって分かったところで、 思い切って引き受けるってことができたら、それはずいぶん大きな変化になると思うんですよね。 そんな風にして道と向き合うことができれば、そうすれば、 人生は一発勝負の繰り返しってことで、お話ししたこと、小さな積み重ね、 小さなことを大事にするってことが分かってきます。 一発一攫千金で、夢みたいなこと言うんじゃないって。 つまらないような日常の積み重ねの中を、それを引き受けることによって、 その中に喜びを見出す。希望を見出す。自分の人生を見出すって。 その準備は、歳を取ったら、かなり誰でもハードルが下がってくるんですよね。 そんなわけで、歳を取るということ、老いるということは、とても素晴らしい側面もあるんですよ。 覚悟ができますからね。そんな風にして、老いっていうことを上手く味方につけて、 そこから力をもらって、人生に向き合おうってことができればいいかなって思ってます。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #無常 #人生を考える #人生は一発勝負の繰り返し #老いの力を借りて無常に向き合う 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ04:082.「無常」のこと06:253.「老い」の力を借りて「無常」に向き合う00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう ぽーる2025年5月13日おはようございます☀本日もありがとうございました!生きる勇気や希望をもらえました😊本日のお話を聞いていると、私も最近知ったのですが、サルトルの「アンガジュマン」の思想が思い浮かびます。投げ込まれた現状を引き受けて、この瞬間を大事に生きていきたいと思います。1返信
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本日もありがとうございました!生きる勇気や希望をもらえました😊
本日のお話を聞いていると、私も最近知ったのですが、サルトルの「アンガジュマン」の思想が思い浮かびます。投げ込まれた現状を引き受けて、この瞬間を大事に生きていきたいと思います。