2025年5月
#018 沢庵和尚『不動智神妙録』:「無心の心」に至るならば
34:50
此(この)無心の心に能(よ)くなりぬれば、一(いち)事(じ)に止(とどま)らず、一事に欠かず、常に水の湛(たた)えたるやうにして、此身に在りて、用の向ふ時出て叶(かな)ふなり。
一所に定(さだま)り留(どどま)りたる心は、自由に働かぬなり。 車の輪も堅からぬにより廻るなり。一(ひと)所(ところ)につまりたれば廻るまじきなり。心も一(いち)時(じ)に定(さだま)れば働かぬものなり。
心中に何ぞ思ふ事あれば、人の云ふ事をも聞きながら聞(きこ)えざるなり、思ふ事に心が止るゆゑなり。
心が其(その)思ふ事に在りて一方へかたより、一方へかたよれば、物を聞けども聞(きこ)えず、見れども見えざるなり。是れ心に物ある故なり。あるとは、思ふ事があるなり。此有る物を去りぬれば、心無心にして、唯用の時ばかり働きて、其用に当る。
此(この)心(こころ)にある物を去らんと思ふ心が、又心(しん)中(ちゅう)に有る物になる。思はざれば、独り去りて自(おのずか)ら無心となるなり。
常に心にかくすれば、何時(いつ)となく、後(のち)は独り其位(そのくらい)へ行くなり。急にやらんとすれば、行かぬものなり。
古歌に「思はしと思ふも物を思ふなり、思はじとだに思はしやきみ」。
水上打胡蘆子(すいじょうにころすをだす)、捺着即転(なっちゃくすればすなわちてんず)
胡(こ)蘆(ろ)子(す)を捺着(なっちゃく)するとは、手を以(もっ)て押すなり。 瓢(ひさご)を水へ投げて押せば、ひよつと脇へ退(しりぞ)き、何としても一所(ひとところ)に止らぬものなり。
至りたる人の心は、卒度(そっと)も物に止(とどま)らぬ事なり。水の上の瓢(ひさご)を押すが如くなり。
一所に定(さだま)り留(どどま)りたる心は、自由に働かぬなり。 車の輪も堅からぬにより廻るなり。一(ひと)所(ところ)につまりたれば廻るまじきなり。心も一(いち)時(じ)に定(さだま)れば働かぬものなり。
心中に何ぞ思ふ事あれば、人の云ふ事をも聞きながら聞(きこ)えざるなり、思ふ事に心が止るゆゑなり。
心が其(その)思ふ事に在りて一方へかたより、一方へかたよれば、物を聞けども聞(きこ)えず、見れども見えざるなり。是れ心に物ある故なり。あるとは、思ふ事があるなり。此有る物を去りぬれば、心無心にして、唯用の時ばかり働きて、其用に当る。
此(この)心(こころ)にある物を去らんと思ふ心が、又心(しん)中(ちゅう)に有る物になる。思はざれば、独り去りて自(おのずか)ら無心となるなり。
常に心にかくすれば、何時(いつ)となく、後(のち)は独り其位(そのくらい)へ行くなり。急にやらんとすれば、行かぬものなり。
古歌に「思はしと思ふも物を思ふなり、思はじとだに思はしやきみ」。
水上打胡蘆子(すいじょうにころすをだす)、捺着即転(なっちゃくすればすなわちてんず)
胡(こ)蘆(ろ)子(す)を捺着(なっちゃく)するとは、手を以(もっ)て押すなり。 瓢(ひさご)を水へ投げて押せば、ひよつと脇へ退(しりぞ)き、何としても一所(ひとところ)に止らぬものなり。
至りたる人の心は、卒度(そっと)も物に止(とどま)らぬ事なり。水の上の瓢(ひさご)を押すが如くなり。
禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
恵林寺 古川周賢
- 00:101.
初めのあいさつ
- 02:552.
此無心の心に能くなりぬれば...
- 06:293.
気力充実した無心...水がたっぷりと湛えられているように
- 06:274.
心の切り替え
- 09:505.
心の「構え」から始まる
- 08:536.
「水の上の瓢箪」の喩えが意味しているものは
- 00:107.
終わりのあいさつ
コメント
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