2025年5月
#019 沢庵和尚『不動智神妙録』:「応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」
40:32
応無所住而生其心、此(この)文字を読み候へば、をうむしよじうじじやうごしん、と読み候。
万(よろず)の業をするに、せうと思ふ心が生ずれば、其する事に心が止るなり。然る間(あいだ)止(とどま)る所なくして心を生ずべしとなり。
心の生ずる所に生せざれば、手も行かず。行けばそこに止る心を生じて、其事をしながら止る事なきを、諸道の名人と申すなり。
此止る心から執着の心起り、輪廻も是れより起り、此止る心、生死のきづなと成り申し候。花紅葉(はなもみじ)を見て、花紅葉を見る心は生じながら、其所に止らぬを詮(せん)と致し候。
慈円の歌に、柴の戸に 匂はん花もさもあらばあれ、ながめにけりな 恨めしの世や。花は無心に匂ひぬるを、我は心を花にとゞめて、ながめけるよと、身の是れにそみたる心が恨めしと也。
見るとも聞くとも、一所(ひとところ)に心を止めぬを、至極(しいごく)とする事にて候。
敬の字をば、主一無適(しゅいつむてき)と註(ちゅう)を致し候て、心を一所に定めて、余所(よそ)へ心をやらず。後に抜いて切るとも、切る方(ほう)へ心をやらぬが肝(かん)要(よう)の事にて候。殊に主君抔(など)に御意(ぎょい)を承(うけたまわ)る事、敬の字の心眼たるべし。
仏法にも、敬の字の心(こころ)有り、敬白(けいびゃく)の鐘とて、鐘を三(み)つ鳴(なら)して手を合せ敬白す。先づ仏と唱へ上げる此(この)敬白の心、主一無適、一心不乱、同義にて候。
然れども仏法にては、敬の字の心は、至極の所にては無く候。 我心をとられ、乱さぬやうにとて、習ひ入る修行稽古の法にて候。
此稽古、年月つもりぬれば、心を何方(いずかた)へ追放(おいはな)しやりても、自由なる位に行く事にて候。右の応無所住の位は、向上至極の位にて候。
敬の字の心は、心の余(よ)所(そ)へ行くを引(ひき)留(と)めて遣(や)るまい、遣れば乱るゝと思ひて、卒度(そっと)も油断なく心を引きつめて置く位にて候。
是は当座、心を散らさぬ一旦の事なり。常に如是(かくのごとく)ありては不自由なる義なり。
たとへば雀の子を捕へられ候て、猫の縄を常に引きつめておいて、放さぬ位にて、我心を、猫をつれたるやうにして、不自由にしては、用が心のまゝに成(な)る間(ま)敷(じく)候(そろ)。猫によく仕(し)付(つけ)をして置いて、縄を追(おい)放(はな)して行(ゆき)度(た)き方(かた)へ遣(や)り候て、雀と一つ、居ても捕へぬやうにするが、応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)の文(ぶん)の心にて候。
我(わが)心(こころ)を放捨(はなちす)て猫のやうに打捨(うちす)て、行度き方(かた)へ行きても、心の止らぬやうに心を用ひ候。
万(よろず)の業をするに、せうと思ふ心が生ずれば、其する事に心が止るなり。然る間(あいだ)止(とどま)る所なくして心を生ずべしとなり。
心の生ずる所に生せざれば、手も行かず。行けばそこに止る心を生じて、其事をしながら止る事なきを、諸道の名人と申すなり。
此止る心から執着の心起り、輪廻も是れより起り、此止る心、生死のきづなと成り申し候。花紅葉(はなもみじ)を見て、花紅葉を見る心は生じながら、其所に止らぬを詮(せん)と致し候。
慈円の歌に、柴の戸に 匂はん花もさもあらばあれ、ながめにけりな 恨めしの世や。花は無心に匂ひぬるを、我は心を花にとゞめて、ながめけるよと、身の是れにそみたる心が恨めしと也。
見るとも聞くとも、一所(ひとところ)に心を止めぬを、至極(しいごく)とする事にて候。
敬の字をば、主一無適(しゅいつむてき)と註(ちゅう)を致し候て、心を一所に定めて、余所(よそ)へ心をやらず。後に抜いて切るとも、切る方(ほう)へ心をやらぬが肝(かん)要(よう)の事にて候。殊に主君抔(など)に御意(ぎょい)を承(うけたまわ)る事、敬の字の心眼たるべし。
仏法にも、敬の字の心(こころ)有り、敬白(けいびゃく)の鐘とて、鐘を三(み)つ鳴(なら)して手を合せ敬白す。先づ仏と唱へ上げる此(この)敬白の心、主一無適、一心不乱、同義にて候。
然れども仏法にては、敬の字の心は、至極の所にては無く候。 我心をとられ、乱さぬやうにとて、習ひ入る修行稽古の法にて候。
此稽古、年月つもりぬれば、心を何方(いずかた)へ追放(おいはな)しやりても、自由なる位に行く事にて候。右の応無所住の位は、向上至極の位にて候。
敬の字の心は、心の余(よ)所(そ)へ行くを引(ひき)留(と)めて遣(や)るまい、遣れば乱るゝと思ひて、卒度(そっと)も油断なく心を引きつめて置く位にて候。
是は当座、心を散らさぬ一旦の事なり。常に如是(かくのごとく)ありては不自由なる義なり。
たとへば雀の子を捕へられ候て、猫の縄を常に引きつめておいて、放さぬ位にて、我心を、猫をつれたるやうにして、不自由にしては、用が心のまゝに成(な)る間(ま)敷(じく)候(そろ)。猫によく仕(し)付(つけ)をして置いて、縄を追(おい)放(はな)して行(ゆき)度(た)き方(かた)へ遣(や)り候て、雀と一つ、居ても捕へぬやうにするが、応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)の文(ぶん)の心にて候。
我(わが)心(こころ)を放捨(はなちす)て猫のやうに打捨(うちす)て、行度き方(かた)へ行きても、心の止らぬやうに心を用ひ候。
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