TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#445 人生を考える...小さな喜びを大切に生きる②13:25 2025年6月3日 283再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、人生と人生における喜びについて考えます。AI目次自分探しの旅、行き詰まりを突破する鍵は?本当の幸せとは?日常の小さな喜びに気づく執着を手放し、自分らしさを見出す方法とは?焦らず丁寧に、自分と向き合うことの大切さ人生の指針、それは何気ない日常の中にAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 臨時のふるかわ集権です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 自分と向き合うことができるようになって... 今日は、昨日に引き続き人生を考える小さな喜びを大切に生きるということでお話したいと思います。 昨日もお話しましたように、私は修行道場へ行って、その上で今があるんですけれども、 修行道場に行くときは、何か札幌を開くとか、自分の悩みを解決するとか、そういう大きな目標を持って、目標が大きいから、それだけ強い決意だと覚悟を持って行くということになるんですよね。 札幌とか、そんな大事なことを振りかぶったことはないにしても、でも自分なりにやっぱり振りかぶった目標があるわけですね。 立ち上がったら、自分は何のために生まれてきたのかって、何をするために生きてきたのかって、人生で何をすればいいのかって、そんなことをはっきり掴んで、それをちゃんと生きるって、 そのためには、自分が生きる道、生きるべき道っていうことを見つけなきゃって、そう思ったわけですよね。 で、自分が得意で好きなことを見つけたけど、ずっとやっていると、どうも違うって、どうもこうじゃないみたいになって、思えてくるわけですよね。 で、そんなふうに、得意なことをやっているから、そんな地だらけなことをしているから、その甘えがあるから、そこに。 好きなことをやっているって甘えがあるから、だからダメなんだと思って、今度は自分が苦手な方へ飛び込んで、修学の世界に入っていって。 でも、好きなことをしていても、どうも違うと思いながらグルグルグルグルしているのが、今度は苦手なことの中で、右左右左って、もう失敗して振り回されているだけで、もう何をしてもダメダメって。 だから、どっちにしても、何も見つからなかったって。 で、その理由はどこにあるのかっていうと、どっちにしても、そもそも自分が、自分の人生にとって何が大事かっていうこと、何も分かっていないんですよね。 じゃあ、本当に自分がその時に立ち止まって、立ち止まってですよ。もう探し求めたいという気持ちも分かるし、苦しいから、迷っているから苦しいじゃないですか。 不安に駆られているし、絶望に駆られている時もあるし、で、自分のダメダメした加減が分かって、地獄になっているしって。 だから、すぐにでも答えを見つけたいと思っているから、気は入るんですよね。焦るわけですよ。 どうしてもそうすると、大きな目標を振りかぶって振りかぶって、探すことになるんですよね。 でも、本当に大事なことは、実は多分そうじゃなかったんですよね。 だって、ひょっとしてですよ、自分が探しているものが遠くにあるとしても、いきなりわけも分からず、東山南北上下、どこかが出しているか分からないのに、いきなり全力疾走を始めても、見つかるわけないですよね。 それこそ本当にルーレットじゃないですか。 だから、仮に遠くにその答えがあるとしても、やっぱり本当に自分が必要なものはどういうことなのか、一回立ち止まってですよ。 焦る気持ちがあって、焦る気持ちがあって、せぐ気持ちがあっても、一回立ち止まって、ちゃんと自分の心に問いかける。 自分に自信がないと、自分にとっては自分で大事じゃないですか。 だから、大事なんだけど、でも自信がないと、大事であっても自信がないと、自分自身に丁寧に、じわじわと真剣勝負で向き合って聞くことはやっぱりできないですよね。 やっぱり自分が嫌だからつらいじゃないですか。だから向き合うことはなかなかできないんですよね。 じゃあ、かといって自分なんかは捨てちゃって、バーっと外へ走っていけるかって、そんなことはできない。やっぱり未練がたらたらたらたらあるんですよね。 で、やっぱり一生懸命、自分は遠くのものを求めていく。 でも、ずっと道場行っても振り回されるばっかりで、何年か必死でついていくように一生懸命努力していると、だんだんマスターしてきて、落ち着いてきて、自分がいろんなことができるようになって、いろんなことがわかるようになって、 で、まあ、なんとかかんとか3年も5年もやっていると、どんなにごとなことでもどっぷり使って、道場みたいに逃げ場がないところにどっぷり使って、3年も5年もやっていると、1、2万円にはできるようになりますよね。 それで、少しずつ少しずつ自信がついてきて、1、2万円できるようになるんだけど、何も食わないですよね。好きなことをやっていても見つからなかったけど、こんな苦手なことをやっても見つからなかったんです。 昨日もお話ししましたけど、苦手なことをやって見つかるんだったら、簡単ですよね。そうはいかないんですよ。だから得意とか好きとか苦手とかってこととは無関係なんですよ。 じゃあ、本当に自分に大事なことは何かって、それは自分が立ち止まって、丁寧に丁寧に自分の心と自分自身を押しながら、本当に大事なことは何?本当に大事なことは何?って、やっぱり自分自身と向き合って探せなきゃならないですよね。 で、これには時間がかかるんですよね。で、時間がかかるのはなぜかって、自分と向き合うことって、例えば自分自身に自信がなかったり、自分自身を受け入れることがなかなかできないと、どうしても目は外へ行っちゃいますよね。 で、その求める気持ちが強ければ強いことを頑張ることができる代わりに、足元が疎かになる。遠くばっかり見ることになるんですよ。じゃあ、遠くを求めないで足元を見ることはどうしてかっていうと、今度はそんなに緊迫感を持って求めない。 難しいですよね。求める心が強ければ足元が疎かになる。足元をちゃんと丁寧にしようと思うと、まあ、こんでいいかなって。だって足元を見てコツコツコツコツと地道なことをできるって、ある程度折り合いがつけられる人しかできないじゃないですか。 本当に自分で求めてたら、もう焦って焦ってこんなことしていいんだろうか、こんなことしていいんだろうかって思うじゃないですか。だから自分で向き合ってなかなかできないですよね。 そういう意味では、やっぱり自分がこの道場で道を見つけることができたのは、本当に落ち着いて立ち止まって、本当に大切なことは何かって焦らず、慌てず、イライラせず、はやらず、落ち着いて落ち着いて丁寧に自分と向き合うことができた。 冷静に自分と向き合うことができたって、自分の姿を落ち着くことがちゃんとできるなんて、初めてってことになるんですよね。 # 欲望と執着を振るい落として... 私の場合は結局どうだったかと言いますと、 自分でこうあれをする、これをするって、どんなに精力を注いでやっても、 自分で意識してできることなんて、所詮は分かりきったことなんですよ。 知られたことなんです。 だから自分でこうする、こうする、こうするって言ったって、 その先に自分が本当に納得するものって、私の場合は見つからませんでした。 私が何か大事なことがこれじゃないかって気づいたのは、 そんな風に自分が求める先じゃなかったんですよ。 そうじゃなくて、ふっと気が付いたら、当たり前のことがそこにあったって、 その当たり前のことが大事だったって、そんな気づきの体験だったんですよね。 例えば、こう、私は自分が得意で好きでやりたいと思ってたこの哲学を一生懸命やってたんだけど、 ずーっと10年以上やってたわけじゃないですか。 で、かなりこう、外から見たら、そこそこのところまで行ったわけですよね。 自分でもそれを誇る気持ちもあったし、良かったと思う気持ちもあったんだけど、どっか違うって。 でも、そんな自分が大好きで、それまでの人生ずっと若い頃のエネルギーと時間を注ぎ込んできたもの、 それを投げ捨てて、土壌に宝にはすごいものをつけなかったなんて、やっぱり思うじゃないですか。 だからもう、振りかぶって振りかぶって思うんですよ。 でも、焦るばっかですよね。 焦るばっかだけど、自分の実力がついていかないし、しかも自分の弱さがものに出るんですよ。 振りかぶる割には、しんどくなってポキンと折れてしまったり、ずるずるずるずる流れてしまったりって。 焦れば焦るほど、自分の駄目さ加減が見えてきますよね。 だから、これだけのものを犠牲にしたのにっていうふうな思いがあると、焦るばっかです。 結局、それがうまくいかない。 でも、そこまで焦る気持ちがあって、そこまで自分を駆け立てるものがなかったら、ちょっとやってみて。 まあ、なんか違うそうだねって。これも違うねって。 楽盤も違ったけど、この修行も違ったねって。 じゃあ、もっと都合にもないからって。 なんて知らんけど、ちょっとだけやって、駄目そうだったら、 なんか良さげなものを、次から次への手当たり次第に求めて、ぐるぐるぐるぐる回っていくだけの人生。 良いとこ取りしようと思って、動くだけの人生になっちゃったかもしれません。 ただ、繰り返しますけど、本当に難しいんですよ。 私の場合は、でも、そういうのが嫌だったですよね。 で、逃げるわけにもいかないしって、道場で喰らえついてやってて、 でも、しんどくなってきて、もう続かなくなってきて、 それで、ある時、ふっと罠に返ると。 本当に自分が良かったなと思ったり、素晴らしいなと思ったりするものって、 もう自分が求めていく、これはすごいもんだと思ってる、 その求めていく先に先に先に、当分にあるものじゃなくて、 当たり前のことをきちっとやってる中で、日常生活の中で、大切なことっていくらでもあるわけですよね。 それこそ本当に、自分の役割をきちっと果たすって。 そのきちっと果たすってことはあって、 例えば、問題なく仕事を完了すればいい、そんなもんじゃないですよね。 やっぱりそこに丁寧に、丁寧に、電輪は丁寧にやるって。 真剣職で一生懸命やるって。 綺麗に、例えば雑巾かけて磨くとするじゃないですか。 まあ、綺麗になってればいいって。 でも、本当に磨いて磨いて磨いて磨いて、そこまで磨かんでもええわいって。 でも、磨いて磨いて磨いていくってことの中に、大切なものがあるかもしれません。 やっぱりなんかそうやって、そん時の国、一心不乱に磨く姿の中に、すごいものがありますよね。 ああって思うことがあるじゃないですか。 なんかこう、結果的に綺麗になってればいい。 結果的に衛生的で清潔であればいいって、それとは違いますよね。 よく掃除をすると気持ちよくなる、心がきれい和らかになる。 お部屋がきれいになれば、心もきれい和らかになるなんて言いますけど、 それってやっぱり実感なんですよ。 何かただ掃除で言うならば、外見上、外のことをきれいにするだけじゃないんですよ。 何かこういう自分の行動って、自分自身の鏡ですよね。 自分はどんな人間かってことは、行動に出るんですよ。 そしたら、人生に何を求めるかってことは、行動で示せばいいんですよね。 私はどういう人間だってことを、遠くに遠くに求めていって、それを探すんじゃなくて、 私はどういう人間ですかって、目の前の机をひたすら一生懸命真剣に磨いて掃除をするって。 人が見てようと見てまいと、損しようと得しようと、人がそれでいいよって言おうと言うまいと、 黙々と一生懸命自分がやるべきと思ったことを徹底的にやるんですよね。 それでいいんじゃないのかって。 それが自分の生きるべき姿じゃないのかって。 だんだんそういうことに、少しずつ少しずつ気付くんですよね。 そうやって一生懸命やっていると、はっと気が付いて、素敵だなと思うこと、はっと気が素晴らしいなと思うことがある。 例えば、道場の先輩で、すごい方がおられたんだけれども、その姿はすごいですよ、私はとても真似ができないんだけど、 やっていることを一個一個見てみたら、立って、座って、息を吐いて、息を吸って、 臓器をかけて、ホウキで吐いて、チルトルでゴミを取るって。 やっていることの一つ一つは、何にも変わらない等身大の人間ですよ。 でもそれを本当に真剣に真剣に真摯にごまかさないで、黙々と黙々とやり続けている。 そうすると当たり前のことをしているのに、その中にその人の人間性が出てくるんですよ。 その人の生きる姿勢が見えてくるじゃないですか。 それが本当の意味での、自分は何者かっていうことじゃないのかって、 どんくさいけど、7年も8年も9年も10年も道場にいて、そういう姿を見て初めて自分で思い当たるところがあるって。 そんなことですよね。 だから自分が求めていって探すんじゃなくて、そうじゃなくて、あるものに気づかされるんですよ。 でも求めていって探して、求めていって探して、その中にあるものって、結局所詮は欲望と執着ですよね。 自分にとって都合の良いものを欲しているだけなんですよ。 でも欲望と執着をきれいに振り落とさないと、本当に大事なものが見えてこないですよね。 そんなことを気づかせてもらったんです。 # 終わりのあいさつ さて、少し長くなりすぎそうですので、今日はここまでさせていただきます。 今日も長い時間お待ちいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #修行道場の暮らし #人生を考える #小さな喜びを大切に生きる 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ06:332.自分と向き合うことができるようになって...06:283.欲望と執着を振るい落として...00:154.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#644 ほんとうの坐禅とは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(48)「坐禅の本意」① 14分・9月21日・ 186再生AI目次坐禅に秘められた多様な目的心身の回復を促す坐禅の力乱れた日常にリズムを生む坐禅集中力と自己を見つめる坐禅真の坐禅へ導く「己」の理解