TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#446 人生を考える...小さな喜びを大切に生きる③11:03 2025年6月4日 272再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、人生と人生の意味、生きる喜びについて考えます。AI目次人生の目的、遠くを見すぎると?小さな喜びに気づく方法とは?足元にある幸せを見つめ直す丁寧な生き方への転換点自分らしい生き方を見つける旅AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エリンジュの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 自分の求める先に答えはあるか? さて、今日も昨日に引き続き、人生を考える。小さな喜びを大切に生きる、ということでお話しさせていただきたいと思います。 昨日までの2回、自分の修行道場のお話を中心にさせていただきました。 何か目的を持って人生に向かう。心足が大きく、あるいは切迫して思うのが強くて、自分ごととして引き受けて頑張る。 そういう強いパッションがあればあるほど、人間ってつい遠くを見てしまうんですよね。 遠くを見て、足元がおろそがられてしまう。 じゃあ、足元を見て、おろそがられないように、足元を見ていけるかというと、やっぱり強い気持ちがあればあるほど、当たるんですよね。 こんな当たり前のこと、こんな日常のことでいいんだろうかとついつい思ってしまう。 そうすると、だんだんそこで折り上げつけてしまって、これでいいかなって、そこそこ楽しい、人生でこんなもんでいいかなって思っちゃったら、 どんどん慣れちゃって、もつ迷う気持ちが薄れていって、日常生活の中にずっと溶け込んでいくんですよね。 それでもいいんです。それでもいいんですけれども、でも本当にそれで自分の人生ってこれでいいって思い切れるのかって、なかなかそうはいかないですよね。 その証拠に、そこそこ満足できるうちはいいですけれども、人生には山ある谷あるですからね。 いろんな目に遭うわけですし、病気になることもある、事故に巻き込まれることもある。 いろんな形で失敗をしてしまったりとか、不安に駆られたり、後悔の根に駆られたりって、その時にグラグラグラグラしますよね。 どこかでやっぱり、どんなに大変でもこれが自分の生きる道だ、自分はこういう人生で生きるんだってことをはっきり掴んでいれば、 強烈な波風、人生の苦労も乗り切れるんだけど、それではなくて、そこそこ現状を楽しくやっていればいいか。 そこそこ現状、成果が出ていればいいかって、そういう風に思っていると、思わぬ結果に振り回されて苦しくなるだけですよね。 だから、どこかでちゃんと求めなきゃならないってことがある。 昨日までのお話で、ずっと私が振り返りながら思っていることなんですけれども、 まあ、結晶面ってことをお話しするんですけど、この何かを成し遂げなきゃって、 強い懲らしがあればあるほど、何かを成し遂げなきゃっていう風に遠くを見ちゃう。 だから、人生において何かを成し遂げなきゃっていう考え方、もちろんそういう考え方もあるんですけれども、仏教はそうではないんですよ。 仏教の修行の目的っていうのは、悟りを開くこと、目立つすることだって言うんだけど、 それで成し遂げていることって、ある観点から見てはとってもなくすごいことですけど、 ある観点から見れば、別に当たり前のことなんですよね。 お釈迦様は当時としては、画期的なくらい悩みされたわけですよ。 薬もまともでない、医療もまともになかった時代に、八十三まで生きておられたわけですから、すごいことでもあるわけですよ。 でも別に、何か奇跡を成し遂げたわけじゃないし。 だから、そういう意味では、何かを成し遂げなきゃならない、そんなわけでもないんですよね。 大きなことを成し遂げるっていうのは、どうしても遠くへ遠くへ目が行ってしまう。 大きなこと、大きなことっていうのは、外へ外へ外へ目が向かうですよね。 でも、本当に自分が良かったって、自分の人生を良かったって受け入れるってことは、外に向かって大きなことではないんですよ。 どんなに大きくてもがっかりするってこともあるんですよ。 そうじゃなくて、大きかろうと小さかろうと、成功しようと失敗しようと、 自分がちゃんと自分と向き合った上で、これはどうなの、これはどうなの、これはどうなのって、 一個一個手近なことを丁寧に丁寧に積み上げていくしかないんですよね、結局は。 例えば、自分が思った通りにならなかったとしても、思わぬ反響がある。 その反響も大きくなかったらいいんですよ。 例えば、一生懸命やったけど、上手くいかなかったって。 だけど、ありがとうございました、良かったですよって。 なぜでしたね、だけど良かったですよって。 そんな一言で救われたらいいってことありますよね。 だから大きなことをしなきゃって、何かすごいことを成しようなきゃって。 そんなふうに思い込むことっていうのは、大切なことでありますよ、繰り返しますけど、 そういうふうに思わなかったら、人生に向かって、それほど真剣にならないじゃないですか。 ちゃんと真剣に向けば必ず成し遂げなきゃってなるんです。 誰もが一回はなりますよ。 愚かですけど、愚かですけど、聖運の死って言葉があるじゃないですか。 少年は大将をやけって言葉があるじゃないですか。 やっぱり人生という大きな大航海ですよね。 海へ向かって出るためだったら、怖いし、不安だし、自分のダメダメさかげんは分かっているから、 それぐらいの強い心がなきゃ無理だし、その強い心はどう向けていいか分からないから、 最初は遠く遠く遥か彼方に置くんですよね。 でもずっと迷いながらやっているうちに、だんだん疲れ果ててきて、やつき、力折れて、 遠く見ること、目を凝らせずっと遠く見ることをやめたときに、 ふっと足元に、身近なところに素晴らしいものが入ってくるって。 必ずしも全部がこんな道を行くとは限りませんけど、そんなことを私自身はやっぱり体験したんですよね。 道場時代の思い出の中に、それこそ本当に、前もお話ししましたが、 鴨川の手も荒れている時の風がどんどん素晴らしかったかって。 座礼にする時の本堂で映画から見る夜の月はどんなに美しかったかって。 託発をしている時に、そのおばあちゃんが足が悪いのに一生懸命走ってきて、 骨と細って年金の暮らしをしている方だからそんなに有福じゃないはずなんですよね。 でも大切な大切なそのお金をずっと持ってきて持ってきて、 わざわざ私たちの後を急いで急いで送らせてくれて、 足引き強く歩かれてくれて、丁寧に合唱して渡してくださるって。 もうそんなことが一つ一つ。 それって自分がこうなれたり、ああなれたりって言っているものとは全く違う世界ですよね。 でもそういう世界の方がはるかにすごいということを体験することができたんですよね。 # あたりまえのものの中に... 自分自身の経験からここでお話していただくと、 上手に、器用に最初大きなこの足を持っていって、途中でだんだん賢くなって、 いろんなことに気づくって、そういう風になっていくんだろうと思うんですけども、 私も実際そういう風になってきたんですけども、 このタイミングでこうすればいい、このタイミングでこうすればいいって、 こうやってやっていけばうまく道がいくよって、 そんな都合のいい舵の取り方、そんな良い航海、海を行くプログラムってないですよね。 ごつごつ頭ぶつけたり、行き過ぎちゃったり、戻り過ぎちゃったりって、 そうやって時間をかけて自分で気づくしかないって、私はそんな風に思うんですよね。 でもそんな風にして回り道したることっていうのは、 その時は辛いけど、後で必ずその苦労も真剣にやっていれば、 自分にたくさんの素晴らしいものをもたらしてくれるはずなんです。 それも経験じゃないですか。経験ってすごく大事なことなんですよ。 経験すれば自分は変わります。 でも人間って愚かだから、残念だから、私自身がそうなんだけども、 辛い思いをして、それこそ本当にがむしゃらに努力するためにあって、 辛い中ではっくりしまって頑張ることの中で得たものの方が、たぶん素晴らしいと思います。 そういう意味では結論ですね。 そんな風に大冗談に振りかぶって遠くに求める、それは一時的には必要かもしれないけど、 最終的にはそれはしてなきゃ前へ進めなくなる時が来るんですよ。 そういう大冗談に振りかぶることをしてしまわないと、一ミリも先へ進まないという時が来るんです。 その時に、はっと気づくことができるかどうか。 当たり前の小さな喜びが大切になっていることに気づくかどうか。 自分の求める、求める、求める、求める、その先の先の先の先にあるんじゃなくて、 足元に思いもかけるあるもの。 それが大事ということに気づく瞬間が来る。 そのためにも、どこかでですよ、焦って焦って焦って、 そういうことを本当に死に物狂いで半狂乱で探すんじゃなくて、 一歩一歩、焦らず騒がず、丁寧に丁寧に味わいながら進むって。 そんな風に心を切り替えるというトレーニングをしていかないと、多分うまくいかないんじゃないのかなって。 そんな風に思うんですよね。 そうすると丁寧に丁寧に丁寧に生きていくと、 自分がダメであっても、命を生かしていただいているってわけじゃないですか。 だから、こうして生かしていただいている命を、 どうすれば役立つのかな、恩返しできるのかなって、 そんな風に考えるようになるんですよね。 私もいろんな先生や師匠、先輩方の顔が浮かぶわけですよ、仲間の顔が浮かぶわけじゃないですか。 そういう人をとっていくと、恩返しちゃんとできなきゃって思うようになってくるんですよね。 そういう意味では、丁寧に丁寧に立ち止まって生きるって、 先入観外して、本当に素晴らしいもの、小さくあろうと、ささやかであろうと、 本当に素晴らしいものにちゃんと気づくことができますかって。 そんな風に味わいながら生きるということが必要ではないかなって思うんですよね。 だから大きなことを成し遂げるんじゃなくて、ちっぽけであってもありきたりのもので、 いくらでも世の中に転がっているようなものであっても、 自分の人生は自分一人のものだから、しかも他に代わりがないものだから、 他と比較しないでいいから、丁寧に丁寧に丁寧に、 成し遂げることよりもむしろ丁寧に丁寧に丁寧に、 自分の与えられた命を生きるということが大事だって。 それが修行の生活を経て、今気づかせてもらった教えって、 そんな風に私は思っているんですよね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #人生を考える #小さな喜びを大切に生きる 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ06:422.自分の求める先に答えはあるか?04:033.あたりまえのものの中に...00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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