TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#449 人生を考える...良い友を持つ①11:30 2025年6月10日 378再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次人生の岐路、良き友との出会い修行道場での貴重な経験と仲間仏教と友情、人生観の深化良き友は仏道成就の全て?理想の友人像と出会うための心構えAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 友達と道友 今日は、人生を考えるということで、良い友を持つことについてお話ししたいと思います。 私が修行道場に長いこと修行させていただいて、その間にたくさんのことを学ばせていただいたり、たくさんのことを経験させていただいたんですね。 で、その中でも特に大切な思い出になっていること、大切な自分の財産になっていることって、その中でもやっぱり良い友を得たということがあるんですね。 修行の仲間のことをどういう道の友と言います。 で、人生の一番つらい時に一緒に頑張った仲間って、一番つらい時に諦めないで、妥協しないで、自分でやるべきことを一生懸命努力して頑張るような仲間って、やっぱり信頼度は違うんですよね。 だから、その時に頑張っている仲間の姿を見て、素晴らしいなと思って、自分も負けないように頑張ろうって、そんな風に思う方が先輩にもいましたし、同輩にも後輩にもいたわけですよね。 で、そういう風にして、心の中で自分は頑張っていこうって、自分の人生の中で一番大事なことは、一回しかないこの命をもらって、人生をいただいたんだから、それを悔いのないものにしたい。 だから、安売りしたくないですよね。せっかくいただいた命なんだから、一回しかないんだから、頑張って後悔ないようにしたいって、一生懸命生きるじゃないですか。 そんな思いを共有できる仲間って、とても大切ですよね。 まあ、そうは言ったって、つらい時やしんどい時にずるずるずるずるとなったりするんです。 でも、その時に頑張っている仲間がいたら、やっぱり自分を負かせちゃいけないなと思って頑張れるじゃないですか。 そんな風にして、仲間というものが自分を助けてくれるんですよね。 そういう意味で、宿道場にいた時の仲間というのが、一番自分にとっての宝物なんですよね。 それは、道場を離れて、命々が自分のお寺へ行って、新しい仲間を作っていくんだけども、 だけど、その道場を離れて、何年も会わなかったりするんだけど、でも道場時代のいろんな思い出があるじゃないですか。 その時に、相手の姿や、相手の表情や、相手の雰囲気というのは、今でも心に残っているんですよね。 あの時は頑張ってたなって、そういうものが今でも励みになる。 自分が辛い時に励みになるんですよね。 そんな風にして、自分が自分の人生をちゃんと生き残ろうと思って頑張る時に、 励みになるようなもの、励みになるような力を与えてくれるような関係性、それを同友というんですよね。 だから、この良い友を持つという場合の良い友というのは、やっぱり同友ということになるんです。 よく、仏教って修行の宗教ですから、堅苦しすぎるって、厳しすぎるって言う方がおられますよね。 だけど、それはちょっと誇張した考え方なんですよ。 どうしてかというと、だって同友って言ったって、一生懸命修行してるって言ったって、 もうずっとケチケチに詰めた状態で、やっぱり続かないんですよ。 こう、何かモチベーション、スイッチが入って、ずっと続く瞬間ってあります。 人間って、巡り合わせによって、巡り合わせの力を借りて、 もう本当にそれこそ、よく続くなっていうぐらい厳しいことを続けることができることってありますよね。 それは、自分の意思だけじゃ無理なんです。 良い仲間がいて、良い師匠がいて、そして、上京に恵まれて、 その中で自分を執拗しながら、いろんなことが揃ってできることなんです。 普通の人間は、自分の意思だけで長期間にわたって厳しい業を続けることは、なかなかできないんですよね。 だから、そういう意味では、仏教は厳しいって言うけれども、何も借死状況に生きろって言ってるわけじゃないんですよ。 自分の心が疲弊してしまって、業が続かなかったら、休んでいいんですよね。 でも、決して道を行くということを忘れないって、これが大事です。 だから、そういう意味では、ついつい自分の心が疲れちゃってる時に、 あるいは体が疲れちゃってる時に、休みを取るんだけど、どこかでやっぱり頑張らなきゃなって、 その時に頑張ろうって、頑張る方へ、 自分が後で5年、10年してから、後悔じゃなくて、やってて良かったなと思えるような方へと、 自分を鼓舞してくれるような、そういう生き方を貫いている仲間、 それが同友って、そういう意味であるんですよね。 そういう意味で、人生を考えるという意味で、良い友を持つって、 これはとっても大事なことなんですよね。 だから、その良い友の中にも、いろんな良い友があるんですよ。 楽しい、一緒にいて楽しい友達って、仲間っていいじゃないですか。 気の合う仲間って、それも良い友なんですよ。 だから、そういう良い友がいっぱい持ってたらいいと思うんです。 たくさんの友達をいっぱい持ってもいいと思うんです。 私もそういう友達いっぱいいます。大事にしてます。 だけど、その中でも、やっぱり特に、自分が本当にもういいかなって、 これまでいいかなって、諦めようと思った時に、 ズルズル、ズルズルいっちゃったら、一回しかない人生って、無駄になっちゃうんですよ。 やっぱり仏教がある程度厳しい人生観を持っているのは、なぜかというと、 別に仏教は厳しいんじゃなくて、人生って一回しかないんですよ。 で、失われた時間って帰ってこないじゃないですか。 どうせ一回しかない時間でズルズルやっちゃって、もっとやっとけばよかったって。 それは一番情けないし、辛いことじゃないですか。 その時、頑張るだけのことなんですよ。 でも、じゃあ反対に今度、無理してガムシャラになって、 無理して、もう人間の心はそんな強いもんじゃないから、 やる気なくなるところまでやっちゃったらダメじゃないですか。 そういう意味では、バランスよく自分が、長い年月の間、 バランスよく、バランスよく、ちゃんと自分の道を凍らせて向かって歩いていけるように、 そういう時にいい刺激を与えてくれる仲間、支え合ってくれる仲間、 晩に寄ると、おい休めよって、そこまでカリカリするなら休めよって、 そういうことをお互いに言い張ったり、そういう刺激を与えてくれるような仲間、 長い時間、そんなに良かったなと思えるような仲間、 そういう風にすると、やっぱりたくさん友達、仲間がいる中でも、 そういう仲間っていうのは、やっぱり絞られてきますよね。 そういう仲間を特に大事にしよう。 それを同友と呼ぼうという風に私は思っているんですよね。 # 良い友をもつことは... 友達というものについて、仏教の教えは、 この自分に道を開いてくれるような人、師匠であったり先輩であったり、 あくまでも道の上で自分に導きを与えてくれるもの、知ってしてくれるような人、 それを友と呼ぶって、そういう良い友と付き合いなさいという風に仏教は教えているんですよね。 だから、仏教の友情感、友達感というのは厳しすぎるとよく言われるんですけれども、 背景にはやっぱり人生は一回しかないし、 そのある程度の年齢がいたら振り返った時に、人生ってやっぱり短いですよね。 だから短い人生に後悔しないためにも、やっぱりそういうある程度厳しい人生観を持っていた方がいいってこと。 若いうちはそうは思えないんだけど、私ももう50後半になってきましたからね。 その時にどんどんどんどん自分の人生が短いと思ってくるわけです。 だからそうするとやっぱり、この仏教の厳しい言葉が実はとても親切だなって思えるんですよね。 その中で、私がとても印象に残っている仏教の教えがあるんですけれども、 お釈迦様のお育子さんで、いつもそばにお仕えしていた阿南尊者が、 お釈迦様と一緒に修行をしている時に、自分の師匠であるお釈迦様に尋ねたんですよね。 良い友がいるということ、良い友を持っているということ、 そして良い友と一緒に付き合って、それで一緒に行為ができるということは、 それができるならば、この仏教の道、仏道の半分が成事できているなって、 そういうふうに私は思うんですって。どうでしょうかって、阿南がお話ししたんですよね。 それに対して、お釈迦様はどう言ったかって。 阿南よ、そうではないって言うんですよ。 え?って。阿南よ、そうではないんだって。 そうじゃなくて、良い友がいるということ、良い友と共に修行ができるということ、 それは仏道、仏教の修行の道の半分ではなくて、全てなんだって。 そうやって仰っているんですよね。 この言葉はすごく重い言葉なんですよ。 どんなふうに考えたらいいかって。 一つは、修行ってあくまでも自分でやるものですよね。 人に代わってもらうものでもない。自分でやるものなんですよ。 仏陀、お釈迦様の教えを読んでいると、良い友がいなかったら一人で歩めって言ってるんですよね。 良い友が見つかることってあるんですよ。 だから探しても探しても良い友が見つからない。 でもその時には、まっすぐ一人で自分の道を歩めって教えてるんですね。 それは探したって見つからないんですよ。 そうじゃなくて、そういう時でも、やっぱりいくら友がいようが今いが、自分の人生は自分で歩むしかないんだから、 しっかりした道を自分できちっと歩んでいれば、自然に自らと見つかる。 でもその時に友達がいないからということで、寂しいからということで、ヘロヘロヘロヘロになってしまって、崩れてしまったんだったら、 良い人は自分を見つけてくれないですよね。 自分も良い友に会えないですよね。 良い友に会えるには、良い友にふさわしいお答えをしていないといけないんですよ。 でもそれは能力とかそんなもんじゃないんです。心構えなんですよね。 だから、素晴らしい人に会えた時に、自分は情けない、能力もない、だらしがない人間だけど、 せめて自分の持っている一番良い生き方をしようじゃないかって。 そういう風に生きていなかったら、良い人になんか出会えませんよね。 そういう意味では、良い友と出会うことができるということは、ある意味では、ある意味ではですよ、 チャンスもあった。恵まれたっていうことでもあるし、同時に、そのチャンスを生かすだけの努力は自分ができていたんだって。 良い友が見つかったってことは、自分がそれだけの頑張りをしていたんだってこと。 そこについては、自分を褒めてあげてもいいじゃないですか。 自分はこんな素晴らしい友に恵まれているって、そう思うことができるってことは、 満身起こしたいけど、自分の努力は報えられているわけだし、自分の努力の方向性が間違っていなかったんだって、 そういう風に思うことができますよね。 だから、行というのは一人でやらなければならないですよ。 自分自身のことだから、人に代わってもらえないから、あくまでも一人のこと、 私の言葉、いつも使っている言い方をすると、一人称のこと、自分のことなんですよ。 でも同時に、人間って一人で生きていかない。 助け合って生きていかなきゃならない。教え合って生きていかなきゃならない。 師匠も先輩もいるんですね。 そういう方がおられないと、自分はとても道なんか歩めないって。 じゃあ、一人で行かなきゃならないことと、共に歩むってことと、正反対じゃないか、矛盾してるじゃないかって。 でも、人間ってのはもう十三十分だから、その両方を見合いながら生きていくんですけど、 でもその時に、その時に、どういう道の友がいるって。 共にしっかり生きるために、一生懸命頑張るって。 一生懸命頑張っていれば、いい仲間が見つかるって。 友を見れば、その人がどんな仕事をしているかが分かるってことになるんですよね。 そんなわけで、いい友を得るってことは、とても大事なことですよね。 そんなことをおもちゃにもするんです。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お待ちいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い1日をお過ごしください。 もっと見る #道友 #人生を考える #仏教の友情観 #良い友をもつ 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ06:132.友達と道友04:593.良い友をもつことは...00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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