TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#451 人生を考える...良い友をもつ③12:17 2025年6月12日 401再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、人生と「友について考えます。今回は、「愛」と「渇愛」についても...AI目次コスパ社会と友情のジレンマ無償の愛の押し売りとは?見返りを求めない難しさとは?『コリント書』が示す愛の深淵友情の本質と真の繋がりとは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 無償の押し売りになってはいないか? 今日は、引き続き人生を考えるということで、良いと思うことについての3回目のお話をしたいと思います。 昨日は、友人との関係に悩んでいる若者のお話をしました。 今の社会の大きな流れの中で、いつの間にか身についた考え方があります。 それが、コスパ、タイパーという考え方です。 今、社会は、効率性が重視されています。 最適化を図って、無駄を省いて、効率を重視する。 それで、生き方をどんどん豊かにしていく。 これが、社会的な当たり前のコンセンサスです。 だから、全てのことを、こういった方向性に向けて考えていこうということが浸透しています。 だから、若い人は、そういった社会の流れに敏感です。 友人との関係も、コスパフォーマンス、タイムパフォーマンスと考えるように、段々となっていくわけです。 だけど、どこかで変だと、おそらく若者も思っていると思います。 わざわざ、お坊さんにそんなことを相談するくらい、質問に来るくらいなので、 自分で、それでもいいのかな、それでいいのかな、と思っているのです。 揺れているということです。 それは、お金で買えないもの。 友情とか、愛とか、信頼とか、共感とか、そういったもの。 理屈ではないもの、無償のもの、そういうものをお金で測ってしまう。 あるいは、そういった効率、作業効率で測ってしまう。 損とかで測ってしまう。 そんなことを受け入れちゃうと、 そういう人間なんだと、自分はそういうことをする人間なんだというふうに、 自分を安心することになるんだ、とお話をしたのです。 友情とか、愛とか、信頼とか、共感というのは、基本的には無条件のもの、無償のものなんです。 そういう意味では、このコスパタイパーという観点から、 本来無条件であるべきもの、無償であるべきもの、 友情、愛、信頼、共感といったものを見るということは、やっぱり良くないよね、と。 ズレてしまっているよね、と。 それを押しつめていくと、最終的に、ものすごく冷え切ったような、ものすごく殺伐とした、 氷を落とした世界が広がっていくのではないか、というふうにお話をしたのです。 だけど、今日お話しすることは、今度は反対側から、この問題を見るときにどうなるか、と。 それを、友情とか、愛とか、信頼とか、共感というものは、 この無償だ、ということですよね。無条件だ、無償だということなんです。 でも、だからといって、これを無償だから尊いんだ、無条件だからいいんだ、と。 そういうことを言う、そういう人ももちろんおられるわけじゃないですか。 そういう声もあるんですよね。 だけど、簡単にそうはいかないということ、本当にそうなのかということ、これも、当時、私も気になることがあるんですね。 友情、愛、信頼、共感というのは無償のものだって、無条件のものだって、だから尊いんだって。 だけど、私は、それを尊いって、口に出すときに、なぜわざわざそれを口に出す人がいるのかって。 無償のものって、主張するものじゃないんですよね。無条件のものって、主張するものじゃないんですよ。 尊いって人にした瞬間に、価値があるって、こう、ご了承していることになるんですよね。 実は、本当に無償のことであるならば、それについて人が誤解しようが、共感しようが、どう思うか、それは余計なことなんですよ。 無償ということを本当に貫くんだったら、誤解されることも、やっぱり、卑怯なのかならないんですよ。 だから無償なんです。 価値があるって、自分が言うから、価値を認めない人、価値が分からない人に対して、間違ってるぞ、価値があるんだぞって、小肌がにごながらない。 だけど、確かにそれは無償は尊いですよ。尊いんだけど、尊いものを尊いものにしておくためには、そこでこれは無償なんだが尊いになって、主張してご了承した瞬間に、違うものになってしまうんですよね。 これ、とてもデリケートな問題なんですけど、よくあることなんですよね。 最初は無償のつもりで、無償の思いでやってたつもりなんだけど、気がついたらどんどんどんどん無償だから尊いんだって思いが膨らんでくると膨らんでくると、意見が違ったり、考え方が違ったり、人に理解してもらわないときに怒りが湧いてくるって。 本来無償で無条件だったら、人に誤解されても怒りが湧いちゃいけないんですよね。 怒りが湧いて主張するんだったら、それはたとえ尊いものだったとしても優秀なものなんですよ。 だから、やっぱり無償の尊いものを、本当に無償のまま尊いと言うんであれば、それについて尊いだろ、いいだろって言うことは余計なことなんです。 ああだこうだ言わないで黙って行動するか、黙って感謝すればいいだけのことなんですよ。 これを勘違いすると取り違えると、友情や愛や信頼や共感をコスパ対馬で図るのとは今度は反対の意味で、 反対の意味でやっぱり黙ってて気がつかないうちに、無意識のうちに譲り渡す。 価値があるんだ、価値があるんだって。要求してないから無償なんだから尊いんだって。受け入れろってご容赦するって。 その無償の押し売り、無条件なものの押し売り、そういったものになる。 善意の押し売り、あるいは抗議の押し売りって。そういうものと同じ行動になってしまうって。 そういうことも実はよく文化芸術のことであるんですよね。とっても怖いものなんです。 # 「無償」「見返りを求めない」の難しさ こうやって考えておく上で、いつもそれにつけて思うことは、無償ということがいかに難しいかということなんですよ。 見返りを求めないということがいかに難しいかということなんですよね。 無償だ、見返りを求めないということは、この例えば心の中にある欲望と執着というのが誰もが持っているし、それとぶつかっちゃうということもそうですけれども、 そもそも、そういう欲望と執着ということと無関係に、無関係に考えるとしても、因果関係というのは人間の論理的思考の中にあるんです。 因果関係というのは論理的思考にあるから、欲望と執着を振り回さなくても、これを出したら返ってくるって、やっぱり因果関係、普通に自然に思っていれば思うわけですよね。 何かをしたら反応があるって思うのがごく普通のことなんですよ。 だから、人にお礼なんか求めなくても、最初からお礼を求める気持ちなんかなくても、この全然のらに腕を失ったら、あれってやっぱり不自然に思うわけですよね。 そういう意味で、見返りを求めない、無償ということはとても難しいんです。 だからそれをご利用してご利用して、無理やり無理やり無償だ、無償だって、見返りを求めないということをあんまりにも強く自分にも相手にも要求しすぎてくると、これもまた不自然なものになるって。 本来の無償というのは、ありがとうって自然に受け入れることなんですよ。 パッとここから思ったら自然にやればいいんです。 やる方もやられる方も、自然にやればそれで済むことなんだけど、その自然にやるということがやっぱり難しいんですよね。 どうしてもそこに理屈や欲望やいろんなものが張り込んでしまうんです。 だからとても難しい。見返りを求めない、難しい。無償というのは難しい。 この見返りを求めない、無償ということの難しさを行う修行を不正行と呼ぶんですよね。 不正行というのはとても難しいです。 だから世の中には無償の愛だ、無償なんだと言いながら、結局愚痴を、不満をたらたら流して愚痴ばかり、そんなことよくあるじゃないですか。 そうなってしまうんですね。気がつかないと。 最初はいいものであったとしても、気がつかないうちに心の奥底で膨らんでいくんですよね。 だから愚痴や不満が出ている限りは無償ではないんです。 本当に見返りを求めない、本当に無償ということが実現できたんだったら、その人自身は愚痴なんかないはずなんですよ。 晴れ晴れとして清かしく軽やかに生きれるはずなんです。 それができない限り無償の愛、できないんですよね。 だから難しいものだけれども、どこかで無意識のうちに自分都合で無償、見返りを求めない、無条件ということを自分都合で膨らませていくと、 お金を出しても買えないから、それでも欲しくて欲しくて仕方ない。 その時にご利用する道具に使われてしまうことも結構あるんですよね。 よく問題するじゃないですか。 どうにも届かない時に無償と称して、無条件と称して、ご利用して、ご利用して、ご利用して、 確かにお金は求めていないかもしれない、見返りは求めていないかもしれない。 だけど自分が相手から認められたい、相手からの承認や相手からの愛情を求めるために、 そういう行動の上で一見無償に似たものをご利用するということは、世の中にいっぱいあるわけですよね。 そういうところに落ち込んでしまってはダメですよね。 # 『コリント書』の教え この問題をたどっていきますと、 例えば、仏教は愛というのをよくは取らないですよね。 仏教の世界では、愛というのは渇愛のことであると。 欲望と執着が根っこにある、無明の根っこにある、 その、もう渇望する思いだって、 もうそれに振り回されて、人間というのはどんどんどんどん、 自惚自憚に陥っていく、その渇愛だから、 愛というのは渇愛だから、いけないというふうに取られがちですよね。 でも、教室教のアガペ、この愛って、 教室教という尊い愛というのは渇愛ではないんだって、 そういう、じゃあどうなの?っていうことはあるじゃないですか。 で、これについて考えるときに、今のこの問題というのは手紙になるんですよね。 まあ、これは私が思ったんだけども、私がこう思っていること。 例えば、有名な、教室教の世界でいうと、 とても有名なコリントン書ってありますよね。 コリントン神徒への手紙って、パウロのコリントン書ってありますよね。 で、その有名な十三説のところに、いろいろな部分がありますよね。 愛は忍耐強いって、愛は情け深いって、愛は妬まないって、 愛は自慢しないって、高ぶらないって、礼を失しないって、 自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かないって、 不義を喜ばず、真実を喜ぶって、 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えるって言ってるじゃないですか。 もし、このコリントン書のように書いてあるような、 このようなものが愛であるならば、これは割愛ではないですよね。 だから、本当にこれは難しいんですよ。 こう書いてあるんだけども、こういう風に言っている言葉の背景に、 どうしてもいろんなものがうごめてしまうんですね。 なかなかこれは難しいですよ。 難しいけれども、もしこの順に書いてあるようなことが実現できるならば、 それは仏教でいう割愛だっていうことは、たぶんない。そうじゃないって。 仏教の徳、その道とは違うかもしれないが、 だけど、この教えを割愛だっていう風には、私はならないと思います。 まあ、そんな風に深い深いところに問題が繋がっていくっていうことですよね。 友情っていうのは、そういう意味では、人間と人間が出会って、 共に生きて、共に励んでいく、一番基本的な根本的な人間関係なんですよね。 だから、愛とも関わるし、家族の関係とも関わるような、 共に生きるっていうことの根本に関わるものなんですよね。 そういうわけで、こう立ち止まって立ち止まって立ち止まって、 簡単に考えないで、深く深く考えることが必要だなという風に思っています。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お聞きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #人生を考える #仏教とキリスト教 #コリント信徒への手紙 #愛と渇愛 #無償の押し売り #良い友をもつ 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ05:472.無償の押し売りになってはいないか?03:293.「無償」「見返りを求めない」の難しさ02:424.『コリント書』の教え00:105.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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