TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#お酒飲む派飲まない派05:07 2024年1月6日 375再生 問題を報告する 再生する シェアする お酒の問題は、お坊さんにとっては少しセンシティヴ...ですが...仏教には「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」という戒めがあります。AI目次仏教と酒:戒律の真意とは?酒に溺れる人の意外な共通点お坊さんの酒との向き合い方依存しないための境界線とは?飲酒のコミュニケーションと葛藤AI文字起こし(β版) # お酒飲む派飲まない派...お坊さんのこと おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 さて、今日はお酒飲む派、飲まない派ということについてお話をしたいと思います。 お坊さんにとっては実はちょっとディスクイーターな問題なんですよね。 でもお話ししたいと思います。 まずですね、ご存知の方も多いかと思いますけれども、 仏教には戒律というのがあって、それを守るか守らないかというととても大事なことなんですよね。 仏教とお釈迦様のお弟子様になるためには、戒律を守らないとなりません。 それを約束して出教しますからね。 その中には不穏受戒といって、お酒を飲んではならないという、そういう戒律がちゃんとあるんです。 お酒を飲んでしまうと、この冥帝状態になってしまいますから、 その瞑想修行の中心にある集中と観察というのがダメになってしまうんですよね。 それから、おぼろいてしまって生活がみずられちゃうんです。 だからこれは禁止されているというのは、とてもよくわかることですよね。 私の個人的な経験で言いますと、私の身近な人がですね、お酒で身を滅ぼしたようなことがあったんですね。 だから私自身は、実は心の奥底に、お酒に対する嫌悪感というのがあって抜けないんですね。 その人のことをとても尊敬していましたから、お酒を飲んでダメだという姿を見ていて、もうハラハラして見てやらなかったんですよね。 そんなこともあって、本当私はお酒そのものは、飲むことは嫌いじゃないんだけれども、 お酒に対する嫌悪感って、今でも実はだいぶ抜けましたけど、今でも残っているんですよね。 本題に戻りますけども、そういった不恩受戒という戒律があるんですけども、守ればいいというものでも実はないんですね。 戒というのは、守ることそのことが大事という戒と、それから守らないとか守るとかそのことよりも、守る目的というのがあって、目的を果たすことが大事という場合があるんですね。 仏教の場合は、修行のための戒律なんです。 だから、守ることそのものよりも、修行のためになっていることが大事ですよね。 そうすると、破っても言い訳ができる代わりに、目的が守られていなかったらダメなんです。 だから、お酒を飲まなければいいというものではなくて、お酒を飲まないけど、その先にあるものができているかということが問われちゃうから、 言い訳ができる代わりにある意味においては厳しいんですよね。結果主義的なところがあるんです。 実は、禅門道の世界では、かなりしっかり時間をかけて、戒律を一個一個丁寧に師匠と老人を一対一で学ぶんですね。 もう一年以上かかります。そんなことですごくしっかり大事にするということもあります。 守るか守らないかということで思うことは、実は大事なことがあって、 お坊さんもそうなんですけれども、学者や芸術家とか、地位が高くて責任が強い真面目な人ほど溺れがちになるんです。 お坊さんだとそういうことは聞こえてくるし、見えてくるし、実際よく相談も受けるんですよね。 立派な人ほど、実はお酒に溺れがちになるんですよね。 これどういうことかというと、やっぱり孤独と、それから責任があるものだから、自分自身で処理できないことにさらされているわけですよね。 努力しといてということでどうにもならないことってあるじゃないですか。 自分のことを身にしとくならいいけれども、社会的地位や責任があるとそうはいかないですよね。 そういうことにさらされる緊張感に耐えられないって。 そういうときに、そういう責任感や緊張感やそういったものを逃がす方法、趣味とかがあって、知っている人はいるんだけれども、 不器用で本当に仕事を生きずって人が多くて、そういう人は不器用にできないんですよね。 だからもう他に逃げ場がないから、いっその関係になってしまうんですね。 私自身は個人的にはですよ、飲まないでも平気だし、その飲むときに、先にお話しした身を滅ぼしたから人のことを思い出しちゃうから、むしろ時々ずくずくと心が痛むこともあるんだけど。 そんなわけで、私自身はだから飲まないでいることは難しくないんですよね。 でもお酒の席に出ていかないとできないコミュニケーションがあるということもよくわかります。 お坊さんだから心の問題を扱いますよね。 そうすると飲むことによって生まれるコミュニケーションというのはやっぱりあるんですよね。 私は今は飲みにはいきます。誘われたら飲みにはいきます。 でも先ほどお話ししましたよね、依存関係になってしまったらどうにもならないです。 修行の上からでもお酒に対する依存関係ができてしまったら修行どころじゃなくなりますよね。 そんなわけで、飲む派か飲まない派かというと、飲む派なんだけども依存関係には絶対ならないように注意をしています。 今日はこのところにいたいと思います。 お聞きいただきましてありがとうございました。どうぞ今日も良い一日をお過ごしください。 もっと見る #仏教 #孤独 #禅問答 #僧侶 #責任感 #戒律 #お酒飲む派飲まない派 #不飲酒戒 #依存関係 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!05:071.お酒飲む派飲まない派...お坊さんのことコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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