TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#106 人生を考える...探すことと求めること②12:36 2024年1月23日 458再生 問題を報告する 再生する シェアする 人生を考える...探すことと求めること、の2回目です。AI目次人生の転換点、新たな景色とは?憧れの山から、自分の山へ本当に目指すべき山とは?迷いから見えた、真の道自分探しの旅、そして新たな出発AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジュの古川周天です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 気がついたら景色が変わっていた 今日も昨日に引き続き、人生を考える、探すことと求めることということで、お話をしていこうと思います。 昨日の続きですね。 昨日お話ししましたように、最初自分は、自分の人生の道は学問にあるというふうに思って、この道を行くというふうに歩み始めたわけですよね。 ずんずんずんずん、自分の道はこの道だというふうに思って、ずっと真っ直ぐ行くわけですよ。 ところが、ずっと歩んでいるうちに、いろんなことがあって、本当に自分はこれをやり通すことができるのかな、あんなすごいところに行けるのかな、最初は囲われているんですよね。 あそこへ行きたいな、あの山の頂上に行きたいな、学問という山だったんですけどね。 そこへ行きたいなと思ってやっているんだけど、どんどんどんどん歩いて歩いて歩いてやっていくうちに、 その山の素晴らしさ、最初に私を惹きつけた山の素晴らしさ、山の魅力というものが、逆にそのところには自分には行けないんじゃないのかなって。 そうやって自信がなくなってきて、いろんな出来事があって、自分と周りの人と比較したりね、いろんなことがあるわけですよ。 自分のダメダメさ加減にがっかりしちゃったり、焦りが出てくるんですよね。 そうすると最終的に、自分を惹きつけた山の魅力、景色の魅力が、そこから私は弾き出されているって、自分なんて追い払いじゃないという思いに変わってしまったんですよね。 そうやって迷っている中で、何に出会ったかって。 その山を目指すんじゃなくて、黙々と自分の道を歩んでいる人に森の中で出会う。 それが私にとって仏教だったって。 人生にはいろんな出会いを経験しますからね。 最初、山を一生懸命登っているうちは、山を登っていく、同じ方に登っていく人しか目に入っていませんね。 だけど、自分が進んでいる方に登っていくことに、自分自身が疑いを持って迷い始めると、周りを歩いているいろんな人に目が向くんですよ。 その中で、やっぱり自分が憧れるのは、迷わず歩いている人に憧れるんですよ。 私の場合には、仏道、仏教、世界だったんですよね。 仏教の世界の人は、哲学の山を山と例えるならば、もうそんな方向と全く違う方向に向かっていますから、 もう下り道になったり、谷に降りていったり、また上がったりって、無駄みたいな道をどんどん行くように見えるわけですよね。 実際、修行道場でやっていることなんて、学問しか知らなかった私からすると、こんな役に立つかみたいな話なんですよね。 毎朝、毎朝、雑巾で同じところを拭いたりね、人間の手でどんどん宝器で毎日毎日履くんだけど、 もう5分後には落ち葉を打っているなんて世界じゃないですか。 だけど、自分自身が最初求めていた道から自分は弾かれていると思っていて、もう絶望しているから、 だから、良いも悪いもわからないけど、その歩いている人に惹かれてついていくんですよね。 ずっと他に道がないから、もう自分を持って歩いている人、自分がすごいなと思う?何か知らないけどすごいなって。 今考えると、老子の凄さも道場の成敗の凄さも当時はわかっていなかったんですよ。 だけど、何かすごいなって、すごそうだなって思っていて、その後ひたすらついていくんですよ。 ずっと歩いていくと、だんだんだんだん歩き方も覚え、道の見方も覚え、 これは山を登るときに得てきた知識やノウハウと違いますよね。 違うものの考え方、感じ方、違う道の選び方、違う注意事項、いろんなことを覚えていくんですよ。 同じ山を登ると言いながら違うんですよね。 登山もあれば、トレッキングもあるみたいな話です。 歩いてつくついているうちに、いつの間にか景色が変わるんですよね。 当然ですよね。違う道を歩いているんだから。 良い景色だなって思い始める時が来るんです。 私の場合は道場に入って5年目から6年目かな。 でもそれって、いつの間にか景色が変わっていたというのは、後から考えるとですよ。 確かに景色も変わったんだけど、でも山登りをしているつもりの自分だったら、そんな景色は多分目に入らないと思います。 景色が変わったなって気づいたということは、景色が変わったことに気づいたんですよ。 だから景色そのものが変わったというよりも、自分の考え方、感じ方が変わったということですよね。 日本の考え方、感じ方が変わるというのは、方針転換したらすぐに見えるというものではないですよね。 ある程度歩き方が分かって、ある程度ノウハウも覚えて、ある程度慣れてきて、ある程度馴染んできて、 本当に自分が体でそういうものを受け止めることができて得得して、初めてこういうものかって気づくって、そういう世界なんですよね。 # 自分の目指す山を見つける そんな風にして、先輩、それから師匠について、ずっと森を歩いて、山を登るんじゃなくて、 何か知らんけど、仏教の仏道の人たちが歩む、歩み方、ルートの取り方を習いながら森の中をぐーっと歩いていくんですよね。 ずっと歩いていって、だんだんだんだん自分で歩き方を覚えて、もう師匠の後をくっついていかなくても、どっち行くか、どこをどう進むかっていうのは見えてくるんです。 で、だんだんだんだん自分の見え方ができてくると、もう何年もすると、師匠の道の取り方と先輩の道の取り方と、自分がこうじゃないのかなって思うところが、少しずつ変わってくるんですよね。 で、最初のうちはね、自分の方が正しいなと思ってても、だいがい師匠の方が良かったりするんだけど、だんだんだんだんそうじゃなくなってくるんですよ。 確かに師匠や先輩の行く道ってすごいけど、でもすごくなくてもこっちの道を僕は行くべきじゃないのかなって、だんだんだんだん自分の見え方ができてくると変わってくるんですよね。 で、そうやって途中から自分の道を歩き始めるんですよ。 最初は師匠とつかず離れずですよね。 同じような方向に行ってても、師匠とは違うルートを歩いたり、でまた合流したり、違うルートを歩いたり、合流したり、峠ひとつ違う道を歩いてるから分かられたと思ったら、ふっと消えてたらまた同じ道を歩いたりって、そんな風にして少しずつ少しずつ師匠や先輩たちと道が変わってくるんですよね。 で、その頃には自分がどうすべきかってことは、自分の決心、自分の心で歩き始めるんですね。 で、よく考えると、この風にして初めて実は自分の道を歩き始めたってことですよね。 人生の最初にこういう人生を歩みたいって誰もが思うじゃないですか。 私の場合は学問だったんですけど、で、山を見つけてこの山へ行きたいと思って自分の道を歩み始める。 その時、自分の前に山が見えててこの山を登ろうと思ってるから、それは自分の山を目指して自分の道を歩いてるように見えるんですよ。 だけれども、実は途中でフラフラフラフラする、試されたり吟味されたり、あるいは途中よく考えてみたら、その山ってどんな山か、透明な姿しか知らないんですよね。 何のデータもないけど、ただ憧れて歩いてるだけじゃないですか。 だから、自分がこれは自分の山だと思ってても、それはなんとなくなんです。やっぱりなんとなくなんですよ。 でも今度、山の中を先輩について歩いてるうちに、自分で歩き方を覚えて、自分で道の取り方を覚えて、自分の足で歩けるようになる。 その時に、こっちの方向じゃないか、こっちの方向じゃないか、こっちじゃないかって、だんだんだんだん自分の道が見えてきて、その先に山の隙間から違う山の姿が見えてくるって。 で、これが自分の山じゃないかなって思う。 最初に見えた山って、大概は高くてかっこいい山を選ぶんですよね。憧れですからね。 だけど、次に自分が道を歩いてて、自分の道で自分が出会った山ってのは、高いとかかっこいいとかってことは、あんまり関係ないんですよね。 自分が出会って、この山だなって思うって。 だから同じように、自分の道を見つけるとか、自分の道を自分で歩むと言いながら、見えてる山の見え方や気づき方や出会い方が違います。 私の場合はだから最初、なんとなく思ってた学問っていう山を見てたんだけど、今度、修行道場の先に見えてきた山って、そんなに高いわけじゃない、華やかじゃないですよね。地味なものです。 当たり前のようなことを当たり前にやる生き方ですよね。 だけど、これが自分で山なんだって、今度はちゃんと思ってるんですよ。 そこまで歩けるかどうか。もちろん人生何が起きるかわからないけど、ずっと自分は自分の道を師匠に頼らなくても歩み始めてるって。 あとは自分の覚悟するじゃないかって。あの山だったら自分で歩める、行けるっていう風に思うんですよね。 だからこの時初めて自分の山を見たって。 # 何を目指すのか... ここまでのところで大事なことだと私が思うのは 最初に自分の人生においてこういう風に生きたいと思うような 最初の願い、最初の願望、最初の目標というのは 実はそれが自分の山なのかどうかってことはあんまり考えてないんですよね ただなんとなく人間というのは いろんなものを求めて目指して生きるわけですよ 欲しいものがいっぱいありますからね だから自分が何か欲しくなるものっていうのは 高くて格好がいいって そういうことでなんとなく思い始めるんですね で、歩き始めてるといいと思ってますからね ずっといいと思ってるし だからその山ばかり見てるから 途中の景色って目に入らないし その途中で行かなきゃならない道や 登んなきゃならない山や こうやって行かなきゃならない区間も目に入らないですよね 遠目だから綺麗に見えるんですよ でも側に行った時に 本当にその山が自分がいいと思えるかどうかってわからないですよね 下世話にも遠目の富士って言う言葉があるじゃないですか 富士山って遠くから見ると綺麗だけど 実際登ってみるとガラガラで もう岩場だらけで 今はしかも環境もすごく良くないですからね ゴミだらけだったりとかって言うじゃないですか そもそも良い山ってどんな山かっていうのも あまりにも若くて経験がないからわかってないんですよね いい山ってどんな山かって 景色がいい山って でも景色って ふもとから見る景色がいい山がいい山なのか 頂上から見る景色がいい山なのか どっちなのって 高いからいい山なんだろうかって 何が高いからいい山なんだろうかって そこを目指したりそこを登ることが みんながすごいって チュヤフヤするからいい山なのかって みんながチュヤフヤするってことと 自分が納得していける 自分の人生ってこととどんな風に関わるのかって そんなこと何も考えちゃいないんですよね それって本当に自分の道なのかなって 自分の人生の道を見つけたと言えるんだろうかって ただ憧れであって求めてることと 本当に自分が見つけて求めることとは違う 同じ求めるのでも違いますよね だから自分で実際に歩きながら迷いながら 目に入るものを 自分で歩いてみて自分が苦労してみて 自分が体験してみて 自分が変わって学んで変化していって 自分がわかって 自分って初めて自分の目指す山が見えるって 自分が変わってこないと 自分が変わって変わった結果 自分が本当はどんな人間で何をしたいのか 何が大事なのか 何を大切だと思うのかってことが見えてこないと 自分が目指すべき山ってのは見えてこないんですよね だから人生は私は ところにコロコロ変わりましたよね いろんな形で変わっちゃって想像もつかないようなところにいますけども でも私みたいに極端に変わる例は 稀だとしても 人生の中において ターニングポイントで道を変えていくって ガラッと変えていく 思い切って変えていくってことは とっても大事じゃないかって 今は思っています # 終わりのあいさつ さて、今日も時間がなくなってきましたので、このあたりで終わりにしたいと思います。 今日も長い時間お聞きいただきました。誠にありがとうございました。 どうぞ、今日も良い一日をお過ごしください。 もっと見る #自分が変わる #人生を考える #探すことと求めること #師匠と先輩 #景色が変わる 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:091.初めのあいさつ04:452.気がついたら景色が変わっていた04:193.自分の目指す山を見つける03:074.何を目指すのか...00:175.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#645 ぼんやり坐禅は無駄になる?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(48)「坐禅の本意」② 14分・9月22日・ 227再生AI目次「ぼんやり坐禅」は本当に無駄なのか?夢窓国師の指導に見る真意段階に応じた坐禅の深め方とは坐禅を継続する精神の秘訣逆境を乗り越える心境転換の極意
#644 ほんとうの坐禅とは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(48)「坐禅の本意」① 14分・9月21日・ 186再生AI目次坐禅に秘められた多様な目的心身の回復を促す坐禅の力乱れた日常にリズムを生む坐禅集中力と自己を見つめる坐禅真の坐禅へ導く「己」の理解