TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#153 人生を考える...自分の人生を引き受けること③「病」09:29 2024年3月27日 440再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、人生を考える...自分の人生を引き受ける、の3回目です。今回は、「病」についてです。AI目次病弱な子供時代と喘息の恐怖禅の教えと病の修行病気の苦痛と内省の機会体と心の有限性への気づき病を克服し成長への転換AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エレンジの古川昭賢です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 病弱だった子供の頃 今日も引き続き、人生を考えるということで、 人生を引き受けることの3回目。今回は、病について考えたいと思います。 私自身のことですけれども、私は今でこそ体丈夫ですけれども、 子供の頃はとても病弱で、病気のデパートみたいなもんだったんですよね。 中耳炎に扁桃腺肥大、自家中毒、 特に小児喘息がありました。 喘息はかなりひどくて、小学校の時に発症してから、 中学の2年生ぐらいまでずっと、喘息の吸引薬ってありますよね。 カプセルを機械にくっつけて、ブーッと吸い込むと、 羽がくるくる回って胸に吸い込む、その吸引薬を毎日毎日捨てたんですよね。 よく風邪をひいたので、風邪ひくと喘息の症状が出て、 寝転がっていると息ができなくなるんですよね。 そうすると布団を積んで、座っているような形にして、 体を起こしていないと呼吸が苦しくて苦しくて、 怖くなって一生懸命吸うじゃないですか。 そうすると吸って吸って吸い続けるもんだから、 どんどん吸えば吸うほど胸の中に空気が入りますからね。 余計に空気が足りない感じがするんですよ。 息が窒息して詰まるんじゃないかという恐怖にずっと駆られていて、 吐けば良かったかもしれないけれども、 その時はそんなことは思いもしませんから、 ともかく必死で吸って吸って苦しくて苦しくてって、 窒息することの恐怖って今でもはっきり思えていますからね。 それから中止炎も結構ひどくて全然治らないので、 医者に通って、毎週のように医者に通って注射してもらったりとかね。 あとは耳を取る時に耳に鼓膜に散らすじゃないですか。 あれも痛くて痛くて。 今は成長して大きくなって体が丈夫になって、 仕事場に行くぐらい丈夫になりましたけれども、 子供の頃に病気で経験したことって、 今でも心身ともに深く深く染み込んでいますよね。 承認性毒は治ったと言ったってもう感じではないと思うんですけど、 今でもちょっとしんどかったりすると、 時々ゼーゼーと喘息みたいな音が胸から聞こえたりもしますし、 それよりも恐怖に残っている病の辛さとか恐怖っていうのはありますよね。 いいことと言えば、あんだけ注射打たれてるから注射慣らせて、 この施術の時に痛いとか注射打たれるとかってことはもう慣れっこになっちゃったから、 今はもう全然注射なんか平気になりましたけれども、 いいことと言えばそれぐらいで、 あとはもう全然そんなあれはなかったですよね。 子供の時のそんな病の記憶がずっとあったので、 うちの近所に小児科の主治医の先生がおられて、 そこへ行くと胸を開けてポンポンと聴診器で音を聞いてくれて、 結構口の悪い先生でポンポン言うんですけど、 大丈夫だこんなもんみたいな感じで先生に言ってもらうとほっと安心するって。 そんなことがあったです。 だからその先生へ行くと安心できるから、 子供の頃は将来はお医者さんになりたいなーなんて思ったりしてね。 で、この図鑑なんかでね。 お医者さんの世界の図鑑なんかで一生懸命勉強したりも自分なりに読んでたから、 小学生の翌年に野口秀夫とか北里柴桜とかね、 しがきよしとかね、ロベルトコウホーとかルイパスとかね、 そういう人の名前をいっぱい知ってて、 で、病気のいろんな名前とかなんかも覚えてるぐらい、 そんな風に子供の頃ね、お医者さんになりたいなーと思うぐらい、 自分の心の中にね、この問題は大きな影響を残していることは今でも思います。 # 病の時には... さて、私のことをお話しさせたんですけれども、次は禅のことをお話しします。 禅だらは、修行遷一、すべてが修行になるという世界ですよね。 前、お話ししましたように、一教一道が全部修行になるように、 まあ、座禅の修行がメインなので、日常的なことは最低限にして、 できるだけ座禅に集中できるようにっていうのが、昔の仏教のスタイルだったんですよね。 で、禅修の新しいところというのは、そうじゃなくて、 座禅も当然大事にしますけれども、薪を割ったり畑を耕したり、ご飯を食べたり、 一教一道全部、心の持ち方ややり方によって修行にすることができるぞって、 そういうことに派遣を持ってたんですよね。 だから一教一道全部修行になるような、そんな風に工夫しろという風に教える世界です。 で、病気になったときどうなるかというと、禅寺では縁寿堂ってことぶき、寿命、寿命を伸ばすお堂、建物ということで、 縁寿堂という建物があって、そこが病気の修行僧が休息する場所なんですよ。 まあ、なかなか入らせてもらえませんけどね。 で、その縁寿堂というところに入って、許可をもらって、縁寿堂というところに入って休むんですけども、 縁寿堂寄所といって、その病気のお坊さんが休むその部屋にもルールがちゃんとあって、 こうしなさい、ああしなさいといろいろ書いてあるんですよね。 で、その最初に書いてあることは、病のときだって修行だぞって。 むしろ、白印禅師という方が、病のときこそ一番いい修行のときなんだと。 で、この病を自分の修行の好機と、最高の場所と考えて、最強の機械と考えて、修行に励めというふうに書いてあるんですよね。 で、まあ私は自分が病気になったということもありますから、病気のことについていろいろ経験も多いんですけども、 確かに病気になると人間って内静的になりますよね。 で、いろんなことをやっぱり振り返って考えたり、ずっと病気のときって何もできないじゃないですか。 そうすると時間が経っていくんです。 で、時間の中で徐々に徐々に最初のうちは焦りがあって、あれしなきゃこれしなきゃとか、修行の仲間に申し訳ないとか、いろんなことを思うんだけど、 じたばたしても始まりませんからね。 まあ観念して休むんだけれども、そのときにこう、自分の越し方とか行く末とか、まず自分のことが気になってきますよね。 で、いろんなかつての思い出が出てきて、で、自分がなんで生きてるんだろうかなとか、自分で生きてる意味ってなんだろうかなとか、 こういう風に修行して、本当は自分はどうなったんだろうかなとか、本当に自分自身と向き合う時間をいっぱいもらえるんですよね。 特にまた、病気のときには熱が出たり、喉が痛かったり、お腹が痛かったり、痛みとかそういう不快な症状があるから、そこに気持ちを持っていかれますよね。 で、病気のときっていうのは、自分の体や自分の心のところにその痛みや苦痛があるものだから、どうしても外のことじゃなくて自分自身のことに心が向くんですよ。 だから、内省的に自分を見つめるには、やっぱり病のときっていうのが一番いいかなっていう風に今でも思います。 修行の生活に入ろうと思っても、どうしても日常の雑に気を取られてしまって、なかなか修行ができない。 それで、昔の人は深山、幽谷、凶中で静かな場所を求めて山へ入って行ったんだけど、ちょっと考えてみれば、山に語るだけで、もう外のことなんか気にならなくなりますからね。 だから、深山、幽谷に山の奥まで入っていかなくたって、居ながらにして自分の心と繊維とに向き合うことができるっていう意味では、 確かに博士様が言うように、病気っていうのは自分と向き合う修行の一番いいチャンスだなっていう風に思います。 しかも、病気っていうのは自分の体の脆さっていうのを伝えてくれますよね。 あるいは自分の心の脆さも伝えてくれますよね。 病気になって体の調子が悪いとどうしても気持ちが塞ぎ込みがちになってマイナスへマイナスに向かってきますよね。 それじゃいけないと思っても、どうしてもマイナスに心は向かってきます。 そうすると、鍛えているようでも、体も心も実は大して鍛えられていないって、自分がアカンなアカンなってことに傷が取れますよね。 だからそういう心と体の有限性や儚さ、そういうものを違和もなく思い知られるんですよね。 そういう意味では、自分の一番見たくないところ、自分が一番得意したくないところ、自分の一番弱いところと向き合わせられるという意味で、 切実に自分と向き合ういい機会かもしれませんね。 嬉しいものではないけれども、嬉しいものではないからこそ、この機会に思い切って休息をとって、 気になっちゃうから、思い切って気になるのではなくて、とことん気になって、自分自身を深く見つめて、 自分自身の至らないところを心に染みて、最後によし、じゃあ一日も早く病を治して、 一日も早く次病やった時に、こんなに塞い込まなくてもいいように、自分をもう一回磨いて鍛えていこうというふうに気持ちを切り替えるということに、 心を開けるというのが大事かなというふうに思ったりもします。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして誠にありがとうございました。 どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #病 #修行道場の暮らし #白隠禅師 #人生を考える #自分の人生を引き受ける #延寿堂 #病の苦しみ #病弱な少年時代 #小児喘息 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:562.病弱だった子供の頃05:143.病の時には...00:104.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
#651 夢窓国師の命日に②夢窓国師の末後垂誡(まつごすいかい:最期の戒め) 15分・10月1日・ 132再生AI目次夢窓国師が残した末後垂誡の真意弟子たちへの厳しくも温かい配慮恩返しは修行のみ?世間の常識と乖離師の言葉に頼るな、真の教えとは自己の権威を否定した禅師の境地
#650 夢窓国師の命日に①夢窓国師の遺偈(ゆいげ:辞世の漢詩) 14分・9月30日・ 206再生AI目次夢窓国師の命日と恵林寺開山の歴史恵林寺名の由来「初転法輪」の秘話激動の時代を貫く「怨親平等」の境地夢窓国師 遺偈が示す自由な境地とは謎深まる遺偈「卑怯遺憾」「砲発羅立」
#649 身体でもなく、心でもなくとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(49)「真実の修行」② 15分・9月29日・ 194再生AI目次身体の修行に潜むエゴの罠心身の行における自己への執着「捨てる」ことの意味と実践法澤庵和尚が説く「不動智」の教え「捉われない」境地への道筋
#648 本当の修行とは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(49)「真実の修行」① 15分・9月28日・ 251再生AI目次禅の修行は身・口・意にあらず?東山陵介が般若心経に抱いた疑問「あるのにない」仏教の根本義幻としての体・口・心の正体真の自分に気づく悟りの瞬間とは
#647 禅の物語~甎を磨いて鏡にする 南嶽懐譲禅師 15分・9月24日・ 251再生AI目次瓦を磨いて鏡にする禅問答座禅で仏になる秘訣とは己は何者?8年後の境地牛車が進まぬ時、打つべきは悟りへの果てなき精進の道
#646 やった気になるだけではいけない~夢窓国師『夢中問答集』を読む(48)「坐禅の本意」③ 15分・9月23日・ 216再生AI目次座禅の本意と自己理解の重要性臨済と曹洞の論争に見る本質「やってる感」が招く修行の落とし穴行をなす心の針の向け方とは身口意の三業を超えた無心の境地
#645 ぼんやり坐禅は無駄になる?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(48)「坐禅の本意」② 14分・9月22日・ 227再生AI目次「ぼんやり坐禅」は本当に無駄なのか?夢窓国師の指導に見る真意段階に応じた坐禅の深め方とは坐禅を継続する精神の秘訣逆境を乗り越える心境転換の極意
#644 ほんとうの坐禅とは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(48)「坐禅の本意」① 14分・9月21日・ 186再生AI目次坐禅に秘められた多様な目的心身の回復を促す坐禅の力乱れた日常にリズムを生む坐禅集中力と自己を見つめる坐禅真の坐禅へ導く「己」の理解