TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#167 続・執着を手放す?09:39 2024年4月16日 502再生 問題を報告する 再生する シェアする 「執着」と向き合うことはとても難しいです。ということで、昨日に引き続き、「執着」について考えます。AI目次執着を手放すとは?その真意とは?執着からの解放、解決への道筋とは?熱情と冷静、相反する二つの力苦悩の根源を見極める重要性とは?解決への糸口、あなたは見つけられるか?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジュの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 執着を手放すことで、問題は解決するのか? 今日は、昨日に引き続いて、執着についてのお話をしたいと思います。 まあ、ですからタイトルとしては、「続執着を手放す」という形になると思います。 昨日お話ししましたこと、なかなか簡単な話ではないですよね。 で、執着を手放すというのは難しいですから、 簡単に話ができて、簡単に解決できるんだったら、誰も苦労はしないですよね。 で、みんないろんな形で執着を手放す努力をします。 だけれども、なかなかうまくいかないことが多いんですよね。 で、なんでうまくいかないのかって。 まあ、やり方が悪いのかもしれませんし。 でも、私がいつも見て思うことは、そもそも求めているものがずれているということが多いと思うんですよね。 つまり、そもそも執着を手放すというところから始まるようなことをおっしゃることがあるんだけれども、 だけども、そもそもなんで執着を手放すの?って。 何か理由があるから執着を手放そうとするわけですよね。 で、例えば何か理由があるという理由を求めるものと考えるならば、 じゃあ本当に欲しいものは何かということですよね。 何か欲しいから執着を手放そうとするって。 そういうことが多いわけですよね。 人間というのは、何を求めているかということを実は分かっていないことが多いんですね。 誰もが自分が欲しいものを言うと、これが欲しい、あれが欲しいってすぐに思いつくから、 本当に欲しいものが分かっているってすぐに思ってしまうんですけれども、 実は目の前のものに気を取られているだけで、その奥底にそれを欲しいと思う動機が隠れていることが結構あるんですよね。 だから本当に欲しいものとは何かって、本当に必要なものは何かっていうことが分かっていないことが多いです。 例えば執着を手放すって言うけれども、なんでそもそも執着を手放すかって。 例えばですね、その執着を手放すっていうことじゃなくて、もうちょっとちゃんと丁寧に保護していくと、 自分が何らかの形で苦しみを感じていて、例えば求めても得られないようなものをどうしても欲しくなっていて、 求めても求めても努力しても得られないから苦しいって。 で、その苦しいから苦しい原因が執着だってここで考えるわけですよ。 だからこの執着さえ無くせば苦しくなくなるって考えるとすると、 それも一つの考え方の筋道なんですけども、でもそれだけではないですし、 それが一番強い根拠の連鎖かっていうと違ってたりするんですよね。 例えば苦しいって感じること、本当に苦しいって感じることの原因が執着にあるんじゃなくて、 執着を増幅させている自分のわがままだったらどうだろうかって。 執着は立つんじゃなくて、わがままと向き合って、わがままを増幅させる心と向き合わなければ、 例えば仮に自分が苦しいと思っているものの執着を仮に立つことができたとしても、 そうやって何でも自分の欲しいものを増幅させてしまうわがままの心を抑えなければ、 結局別のものに執着して苦しむっていう、結局いたちごっこになっちゃうんですよね。 だからきちっとした形で、執着を手放すって言うけど、執着を断ち切るとか手放すって言うけども、 何のために執着を手放したいのか、執着を断ち切れないのかって、 そこは本当に執着を手放すとか断ち切るっていうふうに自分が思っているその筋道で、 本当に自分が得たいものが手に入るのかって、そこはきちっと考えなきゃならないですね。 # 熱情と冷静 仏教と一口に言っても、いろんな御趣旨があります。 長い歴史の中で、その時その時の歴史的必然性に応えるために、 いろんな教団が形成されて、いろんな宗派が形成されて、 いろんな宗家たちが目の前の問題に対して、 仏教的なものの考え方を手がかりに、いろんな答えを出していくんですよね。 その中でいろんな宗派が生まれてくるんです。 例えば禅とか浄土というのは、中国でその当時の問題意識に対して立ち向かうために生まれてきた中国仏教ですね。 ただ、その仏教の基本的な教えというのは何かというと、 苦しみと向き合うことが仏教の本質なんですが、 自分の苦しみの正体をしっかり見極めないと解決に至らないということは仏教の根本なんですよね。 宗教というと、例えば苦行とか荒行ということをやったりする、 肉体を痛めつけたり、過剰の価格差を広ければ解決できるというイメージを持っている方がおられるかもしれませんけれども、 そんな簡単なことではないんですよね。 やっぱり一方で、自分が厳しいことをやるにしても、 向かっていく方向性がちゃんと事柄の本質に合っていないと、無駄なことになってしまうんですよね。 だから、きちっと自分が厳しい行を引き受けるにしても、その行がどういうふうに自分に影響するのか、 その影響は自分が目指しているもの、あるいは自分が引っかかっている苦しみの解決に、 ちゃんと寄与するかということが見えていなかったら、何もならないですよね。 だから行をする時には同時に、冷静に自分を見つめて、 冷ややかに、冷静に、冷徹に、精密、正確に自分のことが分かっていかないと、 先には進まないんです。 行ということを一生懸命やって、自分を追い詰めていくと、そこに充実感というのが生まれてくるんですよ。 この充実感というのは、行を推進させるエネルギーでもあるけれども、 実はこの充実感に惑わされちゃって、その充実感に酔っぱらうことによって、 自分は執着を克服した、と錯覚するというのはとても簡単で、 そういう勘違いは山ほどあります。 私も山ほど見てきましたから、もう行くかでもそんなのありますよ。 拝啓することあります。これは危険なことなんですね。 だから自分を苦しめている執着の根っこはどこにあるのか、 どこにあってどういうことなのか、どういう仕組みなのかということ、 これがはっきりと見ていかなければどうにもならない、 ここは絶対に忘れたらならないことなんですよね。 自分の苦しみの根源の正体をきちっと見極めて、 初めてその先へ進む、苦しみの根源を乗り越えることができる、 どうすればできるかということが見えてくるわけですよ。 そこで初めて、これを乗り越えていくために、 この行を引き受けるということが見えてくるわけですよね。 だからまずはっきりと自分の心の動きを見抜くのが第一なんです。 苦しい修行を引き受けるとしても、 引き受けるとしてもまずは自分の心の動きが見抜けてからやっと本格的になるんです。 冷静に自分の心を見つめてもなかなか正体が見えないから、 行をしながら見つめるということになるんだけれども、 行をしながら見つめ、見つめながら行をするということが大事なんですね。 ですから行の世界では、ひたむきに行を行う集中力と、 どこに向かってどう集中することで、 例えば執着なんですよ、何ですよ、苦しみを生み出している根源を克服できるかを見極める冷静な観察力ですね。 この集中力、一途な集中力と冷静な観察力というのは、修行における車の料理なんですね。 別な角度から言えば、理屈抜きでともあく行に勤しむ、 邁進するがむしゃらな熱情と、どこに集中してどこに突破口を見つけていけば、 自分がこの苦しみや問題を解決できる糸口があるかということを見極める、 徹底的に冷静な粘らじる観察力、この両方が必要なんですね。 私の経験からなんですけれども、苦しい時って人間って感情が刺激されて非常にパッショナイトになるんですよね。 人間は熱くなるんです。熱くなるのがいいんだけど、その熱さと情熱を冷静で粘らじる観察ということへと振り向けることができないと空回りするんですよね。 苦しくなって、行も苦しい。苦しいから行に来るんだけど、行も苦しい。 結局苦しみは解決にならないから嫌になってしまうって、そんなことがあるんですね。 私自分の経験からですね、苦しいから行の世界に来る人間、仏教の世界に来る人間、かつての私もそうだったんですけれども、 熱くなってカッカ来てくるんです。でもその熱くなることが冷めてしまったらどうにもならないし、熱さだけではどうにもならない。 その熱さを粘り強く自分を見つめて、自分と向き合い続けるって、その粘り強さ、冷静さと粘り強さに振り向けていくという努力というのがないと動きがないんですよね。 # 終わりのあいさつ さて、この問題はなかなか大きな問題ですので、簡単には言いませんね。 時間がなくなってしまうので、今日はここまでといたします。 今日もお聞きいただきました。 誠にありがとうございました。 どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #執着を手放す #集中と観察 #ほんとうに欲しい物 #ほんとうに必要な物 #苦しみの原因 #苦しみの根源 #熱情と冷静 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:482.執着を手放すことで、問題は解決するのか?05:263.熱情と冷静00:174.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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