TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#169 とらわれなく生きる08:38 2024年4月18日 553再生 問題を報告する 再生する シェアする 「執着」を手放すというとき、目指されていることは、「とらわれなく生きる」ことではないかと思います...AI目次有限な命、どう生きるか?執着を手放し、自由を掴む人生の苦しみを受け入れるとは?意味と喜びを見出す方法とは?感謝を持って人生を終えるAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エレンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 有限な生命にふさわしく... 今日は、「とらわれなく生きる」ということでお話をしたいと思います。 このところ、この「執着を出放す」ということでお話をしてきましたけれども、 「とらわれなく生きる」ということを言うときには、 この同じことをお話しするんですけれども、むしろ反対側から考えたときのことわなんですよね。 執着を出放すのは、何のために出放すのかって、 そこで目指されているものは何かって、そこで出てくるのがおそらく、「とらわれなく生きる」ということ。 何のために執着を出放すのか、それは、「とらわれなく生きたいからな」ということになると思うんですよね。 で、「とらわれなく生きる」ってどういうことかって、 まあ、人間って生きている上で苦手なことや嫌なこと、つらいことにあいますよね。 そういうのを避けることができないかなって誰もが思うんですよ。 苦しいことを避けて楽しいこと、楽なことを選びたいって。 それが人間の差がなんですけれども、でも人間の命って有限なんですよね。 仏教は、「生老病死」って言いますよね。 宿泊の苦しみっていうことを仏教は言うんですよね。 で、この人間の命が有限であるからには、この生老病死と宿泊っていうことは引き受けられないんですよね。 生まれてくる時のどこでいつどんなふうに生まれるかっていうことを選べないから、 生まれてきた時の条件を自分は嫌わなく引き受けなきゃならないです。 ハンディを引き受けて生きなきゃならないですよね。 自分がどれくらいの能力があるのか、どんな時代に生きるかって、 人と比べたらキリがありませんよね。不公平なんですよね。 そこにハンディがあるなってやっぱり感じちゃうんですよね。 年を取る、それから病になる、最後は死ぬ。 それから愛別劇と言って愛する人と分からなきゃならない。 温存劇と言って嫌な人とやっぱり一緒に生きていかなきゃならない。 誤音ジョークと言って自分の見たり聞いたり感じたり思ったりっていうことを自分で制御しきることができない。 思うようにならない。 それから愚不徳と言って求めてやらないって。 これは私たちが世話なきゃならないことなんですよね。 囚われなく生きるっていうことは、こういうことに直面した時にそれを避けることができないって。 避けることができないから引き受けなきゃならないんだけれども、 その時にいつまでもいつまでもこの宿泊の苦しみに囚われないで、 あったことはあったこととして引き受けた上で、いかにそれから自分を引き離すか。 いかにそれを自分から引き離して、それに囚われないように生きることができるかって。 直面してギューッと捕まわざるを得ないんですよね。 辛いことも嫌なことも捕まわざるを得ないんだけど、 一回ギューッと捕まわなきゃならないんだけど、それを掴んだ上でパッと手放すっていうね。 そこをこの囚われなく生きるっていう風に説明するんですよね。 # 人生を引き受けて... 囚われなく生きるということで考えられていることは、別な言葉で言うと自由ということになると思うんですね。 普通、自由ってどういうことかというと、何かこう自分で嫌なことといいこととかあったときに、嫌なことを避けて、自分にとって都合のいいことを選ぶことができるのが自由だという風に考えがちなんですよね。 でも、これはとても抽象的なんですね。 人間が生きている上では、嫌なことだとやらなければならないし、だから、そもそも命というものに限りがあって、私たちが有限な性を生きている限りは、自分で選ぶということが自由じゃないですよね。 だから、理屈でいくら嫌なことをやらなくてもいい、好きなことだけができるということが自由だという風に、いくら言い張っても実現できないことですよね。 そんな夢みたいな自由を言っても仕方がない。 じゃあ、私たちの命にとって仕方ない有限性ということ、それを引き受けた上で、どこまで自由で生きることができるか。 それをまず最初に引き受けるということは、まずは避けることはできない。 その上で、いつまでも囚われてしまうのか。 それとも、どこかで自分で引き受けた上で、辛いことであれば何だろうと、それを執着しないで、その辛さということをひっくるめて受け入れることができるか。 それを受け入れる奴隷というんですかね。 その奴隷を囚われないと説明することができると思うんですよね。 誰もが嫌なことは避けたい。辛いことは避けたい。楽しいこと、楽なことを得たい。 それは差だけれども、そのように嫌なことを避けようと、自分にとって凄いものを得ようと思って、一生懸命一生懸命地道を挙げていると、そのこと自体に囚われてしまうんですよね。 そういうことに囚われようが囚われまいが、人間というのは決まった通り、嫌なこともあって、やらなければならないこともやらされるわけだし、楽しいことだってできないことはできないんです。 そうやって求めようが求めまいが、決まっていることはあるんですよね。 そこを無理なことをいつまでもいつまでも囚われて思い続けることよりは、まず引き受けたがならないものは、引き受けるって決めてしまうことがまず大事ですよね。 その上で、引き受けたがらないことの中で楽しいことがあったら、それはとうとう楽しむ。 つらいことがあったら、つらいことを避けようと思うのではなくて、つらいことは命のさがとしてしかたがない。 引き受けた上で、その中に何か喜びはないのか、意味はないのか、そこに意味や喜びを見出して、 心の中でも、これで引き受けることが自分の命なんだ、命、人生なんだというふうに引き受けられるように、自分で受け入れることができるように、そのものの感じ方、考え方を磨いていく。 そうやって私たちがいろんなものに対する受け入れる力というものを養っていく。 おそらくこれだけが、私たちを自分たちにふさわしい身の丈にあった自由で磨いていく技だと思うんですよね。 でも、人間の創造力ってとてもすごいものだから、苦しい苦しいことの最中でも、酒を酒をってただ反射的に頑張る。 楽しいことを言おう言おうって、ただ機械的に頑張るのではなくて、 その自分が辛い中でも、心のアンテナをぐっと敏感に感度を上げることによって、はっと気づくことっていっぱいあるんですね。 その中に意味を見出す力、それはいっぱいあるんですね。 だからそうやって、時間をかけて時間をかけて、少しずつ、私たちが引き受けながらならないことを、引き受ける中でそこに意味と喜びを見出すトレーニング。 おそらくそれをずっと死ぬまで引き受け続けることが、私たちのやるべきことだと思うんですよね。 で、最後に人生の終わり、人生の終わりで有限な命を全うする時に、辛いこともたくさんあったって、 だけどもこれだけのことに自分は気づくことができて、辛い中にもこれだけの喜びを見出すことができたって、意味を見出すことができたって、 そうやって感謝できるように、まあ大変なことですけれども、トレーニングによって必ずのことができるって。 私たちの身の回りにいろんな人の生き様がありますよね。 生きる姿があります。 その中で、辛い中でもそうやっていろんな喜びや意味を見出しながら、前向きに最後の瞬間まで生き出しとっていっぱいいるんですよね。 私たちもその人たちの姿を見ながら頑張ろうって、そうやって思うことが大事ですよね。 だから、執着でバラすって言い方よりは、私はむしろ引き受けたがならないものは引き受けて、引き受けた上で捉わらなく生きて、 しかも捉わらない中でそこに喜びや意味を見出して生きていくって、それが人生の宿題ではないかな、課題じゃないのかな、それが人生の宿題じゃないかなって思ったりもします。 # 終わりのあいさつ 今日もお聞きいただきまして誠にありがとうございました。 どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #自由 #執着を手放す #生老病死 #愛別離苦 #怨憎会苦 #とらわれなく生きる #五蘊盛苦 #求不得苦 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:022.有限な生命にふさわしく...05:173.人生を引き受けて...00:104.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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