TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#170 人生の足し算と引き算09:30 2024年4月19日 567再生 問題を報告する 再生する シェアする 今週は「執着を手放す」ことと「とらわれないで生きる」についてお話ししてきました。今日は、そのまとめです。AI目次人生の引き算、始めの一歩は?足し算と引き算、そのバランスとは?生命の更新、足し算と引き算の両立仏教が教える、自利と利他の行あなたはどのように人生を彩るか?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 引き算と足し算...両方とも大切 今日は人生の足し算と引き算ということでお話したいと思います。 今週は最初に執着を手放すという話をしました。 それから前回ですね、囚われなく生きるという話をしました。 執着を手放すというのは、まあ言ってみれば引き算ですよね。 どっちかというと執着を手放すためには、捨てるということが中心になりますから、これは引き算の働きですよね。 それから、囚われなく生きるというのは引き算だけじゃないんですよね。 囚われないということは引き算がないとできないことだけど、でも生きるというところがあるんですよ。 引き算をしたままでどう生きるかというのが、囚われなく生きるということですよね。 だから引き算だけではないです。 執着を手放す、囚われなく生きるって、同じことを言っているようでも、やっぱり表と裏があるんですよね。 どっちかというと私は、執着を手放すというのは入り口の話として、どっちも分かりやすくて有効だと思うんだけども、手放すだけじゃないんですね。 手放してそれからどう生きるかというのが必要ですよね。 だから執着を手放すということをした後、囚われなく生きるという、この両面を大事だと思っているんですよね。 そこで両方の話をしたいと思ったんですよね。 生きることを考える上で、この足し算と飛算という考え方はとても大事で、 例えば私たちが自由ということを言いますよね。 人間の生き方、人間の生きる上でとても目標とされるもの、大事なもので自由に生きるということがあるんですね。 誰もが自由に憧れるんですよね。 でも自由ってじっくり考えると、 例えば自由って何ですかと聞かれたときに、束縛されないことという考え方ができますよね。 これは何かに縛られないという意味で、ひぎ算の方から自由を考えているんです。 でも自由で同時に束縛されないだけじゃなくて、やりたいことができる自由がありますよね。 これは積極的にやりたいわけだから、これは足し算なんですよ。 だから自由って考えるときには、ひぎ算で見る自由、足し算で見る自由、両方の方から自由を見なければならない。 どっちが正しいというのは、この両方から見て、全体としてどうかという話になりますよね。 # 生命の理に適った考え方 現代の私たちにとって、まあ切実な問題からするならば、どっちかっていうと、今の日本ってとても豊かな社会で、しかも情報がどんどんどんどん流れてきますから、 物が多すぎて、情報が多すぎるわけですから、だからどうしてもまず入り口のところで引き算ってことは共通されるんですよね。 だから断捨離ってことが言われたり、それから執着を出回すってことが言われたりします。 でもこれは切実な問題としてまず入り口のことが大事ですからね。そういう意味ではとても正しいことだと思うんです。いいことだと思うんですよね。 でもまず入り口でそういうことをした上で、次に問題となるのは、引き算をした上でどう生きるかってことなんですよね。 だからやっぱりどう考えても、命っていうのは引き算だけでは始まらないんですね。今の私たちの生きている状況が引き算を強く求めているだけであって、 生きるってことはトータルで見れば、引き算して足し算、足し算して引き算って両方ですよね。 そもそも生きるってどういうことかって、生きるって命っていうのは常に常に更新していく、新たに新たにバージョンアップして更新していくことなんですよね。 だから生きるってこと自体が引き算だけじゃないんですよ。 若いうちっていうのは、まだまだ命がどんどんどんどん大きくなっていく時期だから、勢いもあるから成長期ですよね。 だからプラスが大きくてプラスが大きくて、どんどんどんどん更新しながら成長して成育していって。 で、だんだん年を取って衰えていく、今度は下れ高になりますよね。 この時には、衰えて失われることの方が多いんだけど、でもやっぱり実は更新し続けているんですよね。 だから足し算と引き算のバランスが変わっていくだけで命があるってことは、常に常に古いものから新しいものへって、新しいものを捨てて古いものを捨てて新しいものを捨ててって動いていくことですよね。 この更新するってこと、バージョンアップするってことが嫌な時が命の終わりだって、生きることは足し算と引き算の両方ですからね。 だから私たちが意識して自分の人生を考える時にも、命の理にかなった考え方をする必要があるわけです。 だから足し算と引き算の両面から自分の生き方を考えるということが必要になってくるんですよね。 # 仏教の教え そんな風にして考えていくと、執着を手放すのは引き算ですよね。 引き算だけではやっぱり辛くなっていくし、うまくいかないのは、引き算のことだけで終わっちゃうから、足し算を考えていないからですよね。 だから入口のところで執着を手放すこと、ここでいくら引き算を徹底しても、生命そのものが自動的に行っていく、更新していく、足し算のところをほったらかしにしてない場所にしていると、 いくら引き算を徹底しても、うまくいかなくなっていくんですよね。 だから引き算に地道をあげて捨てるということに地道をあげて欲望を抑え込んでいっても、どんどんどんどん命が更新するところで、やっぱり心の奥底から欲望や執着が湧いてきてしまいますよね。 だから執着や欲望が湧くままにするんじゃなくて、まず引き算をした上で、それでも更新するときにどんなものを生み出していくかというところ、そこを意図的にやるのが大事なんですよ。 だから心の奥底から欲望や執着が湧いてくるけど、ほったらかしていくとそれが欲望や執着という形で、せっかく引き算をしても元のもぐわみになりますよね。 でも湧いてくるものを元のもぐわみにならないように、欲望や執着という形で固まったり固まったり、そういう束縛的なものにするんじゃなくて、 何かどんどんどんどん次へ次へと更新していくような、新しいものにつながっていくような、そういったものをどう引き受けるかということが大事ですよね。 繰り返しになりますけれども、余計なものを削る。削ったらそこに何を作っていきますか。 引き算をして空いたところに何を足していきますか。 この足すところをどう引き受けるかというのが生き方であり、人生の醍醐味ですよね。 どう生きるかということです。 執着へとわだかまってしまったりこだわってしまったり、そこへぐるぐるぐるぐるととぐろまくんじゃないものを、 とらわらないために生き方をどうしたらいいか。そこをとらわらないと言うんだけれども、 その仏教はここで何を教えるかというと、利他の行を教えるんですよね。 自分のためにするのは自利。人のためにするのは利他。 自利というのは、誰もがやりやすいんですよね。自分のためのことだから、欲望に移られてやりやすいからやりやすいんだけども、 これそのままでないがしろにしておくと、ほったらかしにしておくと、どんどんどんどん欲望や執着につながっていってしまって、 自分は最終的に苦しみますよね。 だから実は利他だけでは、今度逆にまた狂ってなりますよね。自分の命のことがありますから。 だから正確に言うと、仏教は入り口で利他を教えるんですよ。 ちょうどそのまず最初に、非難を教えるようにまず利他を教えるんだけども、 利他をまず学んだ上で、利他だけだとバランスが悪いから、そこに自利が生まれてくるって。 だから仏教の教えって基本的には、利他の教えって言うけど、やっぱりこれも半分しか説明してないんです。 仏教の教えは、自利と利他と、利他と自利って、この両方がくるくるくるくるとうまく回っていくってことがポイントなんです。 だから入り口のところでね、わがままにならないように、自分都合にならないように、まずは利他をしなさいって、利他を教えるんです。 ここで悲惨をするんですよね。自分についての悲惨を。 でも利他をしながらそこに喜びを感じていくって、そうすると利他の中に自利が見えてくるわけじゃないですか。 だから自利と利他というのは、お互いの中にそれが見える。 自分のためにやってるけれども、それが人のためになるって。自利の中に利他が見えるって。 人のためにやってるんだけど、その中に喜びがあって、自利になるって。利他の中に自利が見えるって。 だから自利、利他っていう双方向のことを意識して行動しなさい。意識して生きなさいって。 人を生かし、自分を生かす。自分を生かすことは、人を生かすことになるって。 その大乗仏教では、修行者の理想は菩薩と言いますけれども、菩薩の教というのは、自利と利他。利他と自利って。 これを積み重ねていって、自分をどんどん変えていくってことですよね。 そういう意味で、修行者として菩薩行ということを考えるのであれば、その中にある動きとして、 その引き算と足し算、執着を手放すけれども、とらわれなく生きる。 自利と利他って、この両方の面を一緒に抱え込んで生きるということが大事じゃないかなという風になります。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして誠にありがとうございました。 どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #人生 #執着を手放す #仏教の教え #自利と利他 #人生の足し算と引き算 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ02:222.引き算と足し算...両方とも大切02:223.生命の理に適った考え方04:294.仏教の教え00:095.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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