2026年6月
#071 『無門関』を読む...049:無門曰く(第16則)
35:46
無門曰く、
大凡(およ)そ參禪學道は、切に忌(い)む、聲に隨ひ色を逐うことを。
縱使(たと)え聞聲悟道(もんしょうごどう)、見色明心(けんじきみょうしん)なるも、也(ま)た是れ尋常なり。
殊に知らず、納僧家(のうそうけ)、聲に騎(の)り、色を蓋い、頭頭上(ずずじょう)に明らかに、著著上(じゃくじゃくじょう)に妙なることを。
然も是のごとくなりと雖も、且らく道(い)え、聲、耳畔(にはん)に來るか、耳、聲邊に往くか。直饒(たと)い響と寂と、雙(なら)びに忘(ばう)ずるとも、此に到って如何んが話會(わゑ)せん。若し耳を將(も)つて聽かば、應(まさ)に會(え)すこと難かるべし。眼處(げんしよ)に聲を聞きて、方(まさ)に始めて親しからん。
わたくし無門が言おう、大体、禅に参究し修行するには、音声についてまわり姿形を追いかけることを厳しく避けなければならない。
たとえ音声を聞いて道を悟り、姿形を見て自心を明らかにしたとしても、それは普通のことでしかない。
それでも禅僧たるものが音声を使いこなし、姿形を活かし尽くして時々刻々機に当たって、一挙一動自在である境地を知ることはないのだ。
しかしながら、たとえそのような境地に到ることができたとしても、さあ、ここで言って見よ、音声が耳の処までやって来るのか? 耳が音声の方に行くのか?
たとえ響きと聴取と両方とも脱落したとしても、ここでそれをいかに言い表すのか? 耳で聴いて会得しようとしてもそれは難しい。眼でもって聴いて、初めて親しく会得することになるであろう。
大凡(およ)そ參禪學道は、切に忌(い)む、聲に隨ひ色を逐うことを。
縱使(たと)え聞聲悟道(もんしょうごどう)、見色明心(けんじきみょうしん)なるも、也(ま)た是れ尋常なり。
殊に知らず、納僧家(のうそうけ)、聲に騎(の)り、色を蓋い、頭頭上(ずずじょう)に明らかに、著著上(じゃくじゃくじょう)に妙なることを。
然も是のごとくなりと雖も、且らく道(い)え、聲、耳畔(にはん)に來るか、耳、聲邊に往くか。直饒(たと)い響と寂と、雙(なら)びに忘(ばう)ずるとも、此に到って如何んが話會(わゑ)せん。若し耳を將(も)つて聽かば、應(まさ)に會(え)すこと難かるべし。眼處(げんしよ)に聲を聞きて、方(まさ)に始めて親しからん。
わたくし無門が言おう、大体、禅に参究し修行するには、音声についてまわり姿形を追いかけることを厳しく避けなければならない。
たとえ音声を聞いて道を悟り、姿形を見て自心を明らかにしたとしても、それは普通のことでしかない。
それでも禅僧たるものが音声を使いこなし、姿形を活かし尽くして時々刻々機に当たって、一挙一動自在である境地を知ることはないのだ。
しかしながら、たとえそのような境地に到ることができたとしても、さあ、ここで言って見よ、音声が耳の処までやって来るのか? 耳が音声の方に行くのか?
たとえ響きと聴取と両方とも脱落したとしても、ここでそれをいかに言い表すのか? 耳で聴いて会得しようとしてもそれは難しい。眼でもって聴いて、初めて親しく会得することになるであろう。
禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
恵林寺 古川周賢
- 00:151.
初めのあいさつ
- 01:082.
チャプター 2
- 08:143.
何を見て、何を聴くのか
- 06:414.
耳で聴き、目で観て悟る
- 05:185.
目も耳も自由に使いこなす
- 07:376.
気づくだけではまだまだ...
- 06:277.
目と耳を超えて...
- 00:098.
終わりのあいさつ
コメント
バックナンバーを購入するとコメント欄に参加することができます