TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#602 木を栽えるならば~夢窓国師『夢中問答集』を読む(35)「意句俱到と長養」②12:58 7月8日 235再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、「根本智」と「後得智」について、夢窓国師の教えるところを考えます。AI目次根本知と御徳知の深い関係性悟りへの鍵「教えを捨てよ」修行を「木を植える」ことの真意根っこを育む心の向け方とは「打上一遍」境地の奥深さAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。山梨県の甲州市、高田信玄公の母大寺、 エリンジの留宿を務めております古川周券と申します。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 本を得たら末を憂いてはならない 今日は、木を植えるならば、ということで、昨日に引き続き、無双国志の無中門道志を読むの第35章。 育愚等と徴用というところを読んでまいります。 昨日は、根本知とそれから御徳知という、まあ悟り方の区別のお話を、無双国志の説明に従ってやってまいりました。 根本知というのは、仏の内緒、仏の心の中で、悟った人の心の中で起きていること、それが手に取るようにわかる。 つまり自分自身の心が、自然に素直に泉がこんこんと湧き出るように、自然に素直にいろんな思いが出るんだけど、それが悟った人、つまり仏様の教えとぴったりかなっている。 御徳知というのは、仏様のその教え、まあ仏様というのは悟っているわけですから、悟った時に煩悩や妄想、欲望や執着にとらわれて、 自情自爆で苦しんでいる人に向かって、ここで苦しんでいるぞ、ここでとらわれているぞということを教えて、それから自由になるようなことを導くために教えをいっぱい残すわけですね。 それは全部方弁と呼んだけど、他家の方弁、つまりまだ苦しんでいる他人を家というのは、まあ導くという意味ですよね。科学もかとかいて導くという意味なんですけども、 まだ迷っている人を導くための方弁、手段ですよね。いろんな教えがあるわけですが、その教えを大切に大切に守って、その教えに自分を合わせて生きていく。 このようにして得られた知恵を全て御徳知と呼んでいる。 誰もが最初は、まず最初に御徳知から始まるんですね。仏教の教えに従って生きていく。こういう教えがあるから自分はこう生きる。 自分はこういうことをするし、こう考えるのは、この教えが仏教の教えに従っているんだって、そのようにして自分の心を整えていく。 自分の意識、昨日使った言葉だと無双告知の言い方だと心意識、心という意味で知識の意識と書いて心意識なんですけども、この心意識の上で全部御徳様の教えに従ってそれからそれないように生きていく。 そのようにして自分の中の欲望と執着を抑制し、それを自分勝手に生きないようにする。 そうするとだんだんだんだん自分は成長し変わっていくわけですよね。 それはすごいことなんだけど、でもそれは所詮御徳知だって。 まだ教えに従っている、何かに従っている、自分の行動の基準を外に求めていて、仏様の言葉に従っているうちはまだまだ本物じゃない。 そういう時には我に変えた瞬間にわがままになってしまうことはあるわけですよね。 そうじゃなくて本当に根本調を得て、いちいち教えなど意識しなくても行動できるように心を磨いていくという必要があるわけですね。 だから無双告知はちゃんと根本調を得たら、いちいちお経文なんかに頼らなくても、自分自身で御徳知を得て、人の苦しんでいる姿を見たら、何でその人が躓いているか、どこに囚われているかが手に取るように分かるはずだよって。 根本調が得たら、人の苦しみが分かるはずだよって。 で、どんなふうに言葉をかけて導いたらいいかということが、そこそこちゃんと浮かぶ、思い浮かぶし、そういうふうに導くことができるぞって。 それができるかどうかということで、その人が根本調を持っているのか、まだ御徳知に囚われているのかが分かるって、そんなことを言っておられたんですよね。 ですから、誰もが仏教の教えに従って生きていって、まず最初、御徳知を我がものとするって。 でも、御徳知の中に囚われていたら、それ以上先進めなくなってしまうんですよね。 じゃあどうするかって。 で、息子国師はその教えとか、そういった手本みたいなものを飛び出ろって、超出しろって、超え出ろって言ってるんですね。 超え出るために何が大事かというと、まず最初に自分の日常生活の一挙一動を、仏教の教えにかなうように合わせること。 合わせたら、今度はそれを捨てなさいって教えなんですね。 その仏教の教えをマスターしたら、今度はいつまでもマスターしたまま、それを御所大事に守っていたらダメだって。 教禅、教えるっていう字に、禅宗の禅の字、教禅、訪問、教えを胸の中に蓄えている限り、ずっと大事にしている限り、本文には至らないぞって言ってるんです。 そこで、禅宗らしい言い方ですね。 仏祖の言経を見ること、あだがたきのごとく捨てって言うんですよ。 仏様の教えをあだがたきのようにして、嫌えよ、嫌えって、捨てよって。 一瞬、仏教の教本、教えを全部捨ててしまえって言うんですよ。 でもそれによって、自分が良くなってきたことが分かっているから捨てられないんですよね。 自分が少しずつ変わってきたって。 その成功体験があるから、仏教って大事になっちゃって、いつまでもとらわれてしまうんですよ。 それを捨てなければいけない。 どっかでだから、前もお話ししましたね。 その川を渡ったら、イカザーを捨てろって。 禅を学んで、いろんなことが分かるようになって、自分の生活が整ってきて、心が整ってきたら、 どっかで、自分でパッと捨てなきゃならないって。 その時、なかなか勇気が湧かないけれども、国師は、 もとを得たならば、松を植えることならないって。 本末転倒の本と松ですよね。 もとを得たら、松を植えるとはならないって。 そんな風に、教えてるんですね。 # 修行は一生のこと 細告子は、この辺りの根本地と御徳地の関係性を説明するのに、この木を植えるたてを用いているんですよね。 要するに修行というのが木を植えるようなものだ。根本地というのは根っこだって言うんですよね。 根っこはちゃんと、根っこって地面の中に埋まってますからわかんないんです。でも根っこが一番大事だって言うんですよ。 根っこがちゃんと地面につけば、枝も葉っぱも自ら茂って、花も実も成るぞって言うんですよ。 だから木を植えたら、木を植えたらまず最初に根本に心を入れろって。枝葉に気を取られるなって。 もうともかく根っこに力を入れろって。水をやって土をやってってやれって。 だけどこれは枝葉なんかどうでもいい、花も実もどうでもいいって言う訳じゃないんですよ。 花も実も枝も葉も大事にするためにはまずは根っこだけちゃんとやらなきゃならないってことなんですよ。 そうやって根っこに心を向けろってこれが修行だってんですよ。 だから御徳地っていうのを通じて木を植えたら木の姿が見えるわけですよ。 だからどんな程度の水やるしたらいいか、どのタイミングで肥料やったらいいかってことは枝葉を見ながら決めるんです。 だけど心を使う。心を使うのは根っこのことだって。 じゃあ枝葉を見ながら肥料やったり水をやるんだけど、だけど根っこが一番大事で。 じゃあ根っこがあれば枝葉どうでもいいかって違うよって話ですよね。 まず根をちゃんと付けなければ枝葉も茂らないし花も実もならないってことですよね。 場合によると根っこが弱ってきたらその枝や葉っぱがこの根っこの栄養を奪って根っこは枯れることがあるんですよ。 もしかして根っこが弱ってきたら場合によってはせっかく付いている枝や葉を切ってしまう必要なんですよね。剪定も必要じゃないですか。 新しく木を植える時には根回しをして枝葉も小さく切り縮めていくんですよね。そうじゃないと枝葉にエネルギーを奪われちゃうと根っこは枯れますよね。 でも枝葉を切ってしまうのは枝葉が要らないからじゃないですよ。根っこを付けないと枝葉も死んでしまうから。 仏教の仕事はそういうものになってるんですよ。 だからまず最初に自分の修行がどうなっているかちゃんと進んでいるかどうかってわからないから枝葉を見る。 つまり心に怒りが湧くのか慈しみが湧くのか 修行に対する気持ちが湧くのかそれとも怠け心が湧くのか 枝葉を見ながら自分の修行を捉えるようにするんだけど一番大事なことはこれができればいい あれができればいいって枝葉じゃないんですよ まずは心の疲労をやる。つまりどういうことかというと自分の修行がうまくいったからいい行動ができた 自分の修行がダメだからうまく行動できなかったって一気に打中するなってことなんですよ それを手がかりにして自分の心の境地を図るべきではあるけど一気に打中してもダメってことですよ だから自分がずっと親切に振る舞えるようになった人の悪口を聞いても怒りを感じなくなったって 煩悩や妄想欲望や執着から自由だったってそれは心に根っこにちゃんと肥料が入っている水が入っている証ではあるから 大事なことではあるけれどもでも俺心が自由だからもういいんだって 枝葉だけ見て 根っこがちゃんとついているかどうか枝葉だけではわからないんですよ だからむすこし言っておられるんですよねいろんな縁によって例えばめぐまるで縁の人っていうのは雨がいっぱい降って水が 豊かになるようなものだってだから雨がいっぱい降ってきたことのおかげで葉っぱが茂ると あ俺修行がせるせるから根っこがついたななんて勘違いするなよって 一時的にいろんな出会いに恵まれたりいろんな環境に恵まれたり 能力遺伝的な資質に恵まれたり 容姿に恵まれたりってそれで一時的にその力を借りて枝葉が生えるように見えるけど本当に 根っこがついたかどうかっていうことに対して慎重に慎重にならなければいい気になって枝葉を伸ばすと枯れるよって まあそんな話ですよね とっても怖いお話をしています 実は仏教というのはとても難しいものなんですね まあ最初からこんなこと言うとそんな大変なことをやりたくないって言う人がいるかもしれないけれど 小老病死という最大の観望を背負って人間で生きているわけですから 一生懸けて立ち向かうべきものだと私は仏教はそういうものだと思います だけど今お話したように根っこっていうのは枝葉を通じてしかなかなか見えない でも本当に根っこがちゃんとついたら自分でわかるんですよ だから自分でパッと心から思うことがいちいち 仏様の教えこれ正しいんだかなんだかって悩まなくてもいちいち心ってのはパッと動くわけだから わかってくるんだけどわかってくるんだけどそこまでは行くまではもう一つ一つやっぱり 枝葉を見ながらやるしかないんですよね で要するに30年50年綿密に練馬しってもう簡単にはいかない 国師がそう言っておられるんですね国長との人でも長い年月かけてやれって 徴用しろって長く癒やしないって今日のところの章にありますよね 育愚等と徴用 育愚等の育ってのは根本地のことです心の奥底から その仏様と一体化する至っているということですね 食ってるは言葉意識する上で自分のやっていることがちゃんと 悟った人のことにぴったり立っているだから心も行動も 根っこも枝葉も思いの奥底も現れもみんなちゃんとかなってるってこと同時それだけじゃなくて それが本当に根を張るまで長い年月かけて修行しろよ 一生かけて修行しろよだけど特別そんなの面倒だと思う人ない生きてる限り気を使って気を使って 根が付くようにって頑張ればいい そんな風に言っておられますね 最後に打上一遍ということがありますね レノ世界はなりきりって言うじゃないですかもう無心の境地全身全霊になりきれって教えます それを打上一遍の境地とは言うんですね だから初心の人間も修行に入った人間も打上一遍無心なりきれいって教えるんだけど 息子くしゃ怖いこと言っておられて ずーっと心が本当に仏様とかなうように行動して そしてこういうふうに行動できるようになった時それはずーっと長い時間続けていって 初めて根っこがついた状態を打上一遍と言うんだって だから仏道修行仏教の修行って一生のことだよって 一時的に気持ちが良くなったからと言って油断するなよって でもそうやって心を木を植えるように一生懸けて木を植えるようなつもりで修行するって それが本当の仏教なんだって 怖い言葉ですけどもなかなかできない言葉だけどもそういうもんだ じゃあ一歩でも近づけるようにってそんな風に生きていけたらいいなというふうに思ってるんですよね # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #夢窓国師 #夢中問答集 #夢中問答集を読む #意句俱到と長養 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:151.初めのあいさつ05:302.本を得たら末を憂いてはならない07:063.修行は一生のこと00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
#640 AIの衝撃の大きさを受け止める② 16分・21時間前・ 102再生AI目次IBM Watsonと開発者の情熱理想のAIが蝕む人間の本質知のブラックボックス化の危機人間的行為とコミットの喪失AI時代に蘇るソクラテスの問い
#639 AIの衝撃の大きさを受け止める① 14分・9月10日・ 114再生AI目次AI開発の原動力、IBMの熱狂人間の夢を映すAIという存在Watsonの誤答が示すAIの未来AIの冷静さと人間の情熱の対比AIにできない人間の情熱の真価
#638 辛い思いをして修行をしても、無駄になってしまうのではないか?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(47)「円満具足の本分」① 13分・9月9日・ 188再生AI目次厳しい修行と拭えない心の疑問成果主義がもたらす仏道への誤解誰もが持つ「円満具足」の真の姿他人との比較を超える喜びの源泉理屈抜きに「良い」と味わう体験
#637 どこまでも己にとって返す~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」② 13分・9月8日・ 138再生AI目次他人の是非を越え自己へ帰れ徹頭徹尾「自分のため」の修行「自他」の区別以前の自分を掴む「お前は何者か」という深遠な問い途方に暮れる悩み、悟りへの一歩
#636 他人の是非を口にする前に~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」① 16分・9月7日・ 184再生AI目次他人の是非に悩む心の現実修行者への唯一の指摘「一両剣」他者の評価が示す自身の未熟さ自己向上を促す「良い点を見る」教え他人の言動が示す自己の内面とは
#635 禅の物語~葉落ちて根に帰す 六祖慧能大師(其の五) 14分・9月3日・ 204再生AI目次禅の革命者 六祖慧能大師とは仏を見出す鍵 自身の衆生を知れ葉落ちて根に帰す 慧能の死生観形式を排した最期の教えの真意言葉を超えた慧能禅の遺志とは
#634 一切を棄てるとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(45)「悟入」 14分・9月2日・ 212再生AI目次心の捉えどころない性質消えない記憶と煩悩の根源「一切放下」が示す悟りの本質達磨大師が語る「心牆壁」不完全でも歩み続ける境地
#633 永い修行の道程に向かって~夢窓国師『夢中問答集』を読む(44)「大乗の工夫」 15分・9月1日・ 221再生AI目次「現実が全て」という常識を疑う仏教の視点仏教の「方便」:強固な思い込みを破る方法とは大乗仏教の修行:不完全でも前に進む心構え悟りへの道:常見と断見の罠を避けるには永い修行の道程:自分に誠実に、粘り強く歩む秘訣