2026年7月
#077 『無門関』を読む...055:無門曰く(第18則)
29:04
無門曰く、
洞山老人、些(いささ)か蚌蛤(ぼうこう)禪に參得し、
纔(わずか)に兩片を開いて肝腸(かんちょう)を露出す。
然も是くの如くなりと雖も、且(しばら)く道え、甚(いずれ)の處に向ってか洞山を見ん。
わたし、無門が言おう、
老洞山は少しばかり「蛤禅(はまぐりぜん)」とでも言うべきものに参じていたが
チラリと貝の口を開いて腸(はらわた)を曝け出してしまった
それはそうとして、さあ、言って見よ、どこにおいて洞山に見(まみ)えるというのだ...
洞山老人、些(いささ)か蚌蛤(ぼうこう)禪に參得し、
纔(わずか)に兩片を開いて肝腸(かんちょう)を露出す。
然も是くの如くなりと雖も、且(しばら)く道え、甚(いずれ)の處に向ってか洞山を見ん。
わたし、無門が言おう、
老洞山は少しばかり「蛤禅(はまぐりぜん)」とでも言うべきものに参じていたが
チラリと貝の口を開いて腸(はらわた)を曝け出してしまった
それはそうとして、さあ、言って見よ、どこにおいて洞山に見(まみ)えるというのだ...
禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
恵林寺 古川周賢
- 00:141.
初めのあいさつ
- 00:322.
洞山老人、些か蚌蛤禅に参得し...
- 09:263.
抑下の卓上(よくげのたくじょう))
- 08:454.
どうやって師に見(まみ)えるのか?
- 09:595.
脚下を照顧し、その時その場に徹する以外に道はない
- 00:106.
終わりのあいさつ
コメント
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