TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#619 菩提心を起こすとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(40)「菩提心」②13:56 8月6日 201再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き「菩提心」について考えます。AI目次菩提心とは何か?その深奥白雲禅師を悩ませた「浅近の道心」無常観から始まる道の「落とし穴」真実の菩提心は「呼吸する」心「求める」ほど遠ざかる菩提心の真理AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 山梨県の甲州市、武田信玄公の母大寺、 エリンジの住職を務めております古川周玄と申します。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 菩提心の深浅 今日は、菩提心を起こすとは、ということで、昨日に引き続き、無造国誌の無中門道士を読むの第四十章、菩提心について、昨日の続きをお話したいと思います。 昨日は、仏の心ということで、普通は仏心、仏性ということを言うんですね。 お釈迦様やだるまさんと、全く同じ心根がある。人間の心の憶測には、良いものがあるんだ、と、聖伝説につながる考え方ですね。 それを活かして伸ばしていくのが、仏道の修行ということになるんですね。 ただ、聖伝説に対しては、悪い心もあるじゃないか、堕落する心もあるじゃないか、と、そのまま仏の心があると主張するだけでは、絵に描いた餅ではないのか、という、異論があるという話をしました。 実際に、仏の心を持っているのなら、仏の心を立ち上げて、そして実行に移す。それを、菩提心を起こす、発菩提心、菩提心を発する、と書くのですが、そういう風になる。 ところが、良いことは、人間は分かっていると。昨日は例として、四端、四つの始まりというお話をしました。 側院の心、宗を、あるいは蓮地の心、そして地上の心、最後に是非の心。 そういう風に、四つの始まり、きざしがあるというお話をしたのですが、そのきざしを本当に生かそうと思うのは、なかなか難しいのです。 人は、その四つの始まりと同じような、良い気持ちで、良い心根でやっているようなつもりでも、気がついたら、その中に、自分都合や自分勝手が入り込んでいたり、ということが、いくらでも起こり得るわけです。 しかも、これは、四つの始まりとは別口で、そもそも、発菩提心ということで、仏道の修行をしよう、仏教の修行をしようと、修行しなければと思うのは、どういう思いか。 仏様の心があるから、良い人間になろうと思って修行するという時の良いって、どういうことなんだろうか。 例えば、その親切心というのがあると。 でも、その親切心の中に、人に何かやってやったって、最初は素直でいい頃であっても、やってやったのにって思いが出てくると、 お礼を言われなかった、あいつは恩知らずだったって、かえって恩気せがましくなってしまう。 こういう恩気せがましい執着が湧くんだったら、本末が転倒ですよね。 それは本当に仏の心、良い心と言えるかというと、多分そうではない。 では、どうすればいいのかということですよね。 昨日はまた、白雲禅師のお話をしました。 白雲禅師は、地獄は怖いということで仏道に志した。 そういう意味では、この世俗のことでいい加減に過ごすんじゃない。 本当に死んだらどうなるんだろう。人間の生きる価値ってどこにあるんだろうって、真剣に悩んだから、真っ当に生きようと思って、 それで仏道の修行に、仏教の修行に入ったって。 ところが、その中で迷っていくんですよね。 地獄の恐怖に打ち勝つために精一杯な修行をして、悟りを開くんだって、地獄の恐怖を打ち負かしたんだって、なるんだけど、 でもある時、自分の心の奥底に、しっかりした良心があったんですね。 良心の呼び声があったものだから、自分は母大心ということが本当は分かっていないんじゃないかという恐怖が、白雲禅師を襲うんですよね。 24歳の時に、大きな悟りを経験して、自分は悟っていたって、理由を知っているんだけど、 その写跡集というテキストを読んで、母大心、泣き者は魔道に落ちという言葉を見て、恐れを呪われてしまって、そして苦しんで、 で、13、14年かかって、40の時に初めて、母大心ということが分かったって。 じゃあ、母大心とは何か。そんな話なんです。 さあ、そこで母大心を発する、母大心を起こすとはどういうことかって。 で、息子くしは、仏法の既婚を論ずるといって、上中下って、仏法に凍らず凍らしにもいろいろあるんだよって説明して、 その中で、母大心と呼べるものは一番上の方のもので、なかなか難しいってことを言っておられるんですよね。 上の方のを言っても、出家かどうかとか身分とか関係ないんです。 これ、要するに、在家であろうと出家であろうと、お坊さんであろうとなかろうと、優れた資生があろうとなかろうと関係ないんですよ。 主上のために仏道を求むるを菩薩と申すなり、って。 自分のためではなくて、主上のために、ってことです。 ですから、主丹で言うならば、主丹の心、孟子の主丹の説で言うならば、側院の情って、やっぱり近いんですよ。 他の人に対する慈しみ、思いやり、苦しんでいる人に対する思いやり、って。 慈悲の心って、他人のために、自分の救いだけじゃなくて、他人のために、まず第一に苦しんでいる人を助けたい。 自分は差し控えてもいいから、救いたいって。 そういうものが、本当の母大心。 だから、出家しよう、修行しようと思い出すことは母大心なんですよ。 だけれども、まず最初に、他の人を助けようと思うこと。 主上のために、迷っている、他の人の苦しみのために、修行しようと思えた瞬間、本当の母大心になる、ってことになるんですね。 さあ、これは、白井伝授の伝記とぴったり一致するんです。 息子くんは、母大心にも情緒気があると。 そもそも、広く母大心を取れば、出家しようとか、修行しようとか、いい人になろうって、自分を顧みて、ちゃんとしようって思う。 前向きに向かって進む心があれば、それは母大心と呼ぶことができるであろうと。 しかし、そこにも二種があると。 大きく、要を取って、大きく言うならば、二種があると。 先近の道心、浅くて近い道心と、真実の道心、誠の道心があるって、こういうふうに説明しているんですよね。 # 真実の菩提心とは? 生者必滅、常者必衰。生きているものは必ず終わりがある。生命ある者は必ず滅びる。常者、盛んな者は必ず衰える。 要するに、無常ということが胸に迫って、無常の恐ろしさがわかる。それで無常がわかれば、世間の名利、世俗の喜びや価値が虚しいということがわかって、 手摺りの道、出家の道を求めて修行しようと思うことは、どれほど深く心の奥底に当たって、心を揺さぶろうとも、 それは、千金の道心、道心そのものは、まだまだ、まだまだである、と言うんですよね。 まあ、難がらずな、流氏の言葉を引いて、世間において無常を見る、無常だということがわかることを、しばらく菩提心と名づく、しばらくなんですよね。 それでも、修行に志すから、浅いところから深いところに入っていけるから、まだいい。 だから入口のこの部分を、まだまだ菩提心としては十分ではないけれども、菩提心と呼んでもいいんじゃないか、と。 そこから、深く深く道を求めて、最初は無常が恐ろしいからって、でもやっているうちにわかってくるだろう、と言うんですよね。 白印伝事がそうですね。白印伝事は、地獄が恐ろしいところから世俗を捨てて修行に励むんですけれども、 それはまだ先進、浅かったんですね。深く深く心に刺さったからこそ、深いところまで刺さったからこそ、白印伝事は修行に凍らせたんだけども、 この小腐らし、地獄が怖いからって、滅びることが怖いから、無常が胸に迫るからっていうのは、まだまだ十分ではない。 それが、先に前へ向かって、さらに進まなければならない。 そこで白印伝事は、次のステージへ行くために、十何年かかって、苦しんで苦しんで、なかなか進めなかったんですね。 むそこぐ氏は、例えば、世俗のことを聞いた瞬間に、汚れだと言って、川で耳を洗ったって。 虚優という人が耳を洗ったって。その虚優の父親は、耳を洗った耳で水が汚れだから、牛を飲ませると、水を飲ませちゃいけないって書いてあったって。 これはもう世俗を捨てた人だけど、普通それは深いと言うけど、これもまだ世俗のもなしさを知っているだけだから、まだ浅いんだって。 世俗で普通、皆言っているような、もなしになろう、清らかな心なんてのは、皆、世俗の無常を知るだけだ。この世の無常を知るだけだ。儚さを知るだけだって。 その自体は、世俗にどっぷり使えるより優れたことではあるけど、まだまだそれは浅いんだ。真実の心ではないんだって言ってですね。 だから、その無なしさに出会って、無常に出会って、宗教を転がして厳しい修行をする人間が、その修行の過程において、自分はまだまだ不十分であっても清らかなことをしているって。 清らかな暮らしをしているって。山の中で、本当に清らかな暮らしをして、自分は世俗に心を侵されていないっていう風に、そういう修行者としても、世俗は醜い。 自分をちゃんとしているなんて気持ちを持った瞬間に、もうそれは救われない。成仏なんかありえないって。そんなんじゃないんだって言うんですよね。 そうではなくて、最高の無常の菩提心はどういうものかというと、それは、修行のために修行しようと思うこと。 ですから、四愚誓願というのがありますよね。四つの誓い、願いがあるんじゃないですか。 修行無変誓願度って、全ての迷っているものを救い尽くすまでは修行をやめませんって。それが最初です。 続いて、煩悩を絶つとか仏道を修行するとか、最後まで修行をやり遂げるとかっていろいろあるんだけど、まず最初に、その迷っているものを最後の一人まで全員救い尽くすまでは修行をやめませんっていう、最初にこの修行無変誓願度っていう、そういう心ですね。 これは、慈悲の心から自ずと自然に湧き上がってくることが、最上最高の菩提心です。 だけど、この無中門道宗のこの菩提心という性のところの恐ろしさというのは、最初のところで修行のためにその心を起こす、発信するということが菩提心だと言うけど、そこでチラッと言った後、そのことは一切言わないんです。 その後、何を言っているかというと、自分は無情を感じているから、この背床なんかむなしいんだから、心をキョロキョロにしようと思って、その修行に励むという心が傲慢の心を起こしたら、それはもう菩提心にはならないって、それを繰り返し繰り返し言い始めているんですね。 そういう思い、その程度の深さであるならば、逆境の中で無三無四してしまったり、ぐらぐらすることがある。本当の菩提心がちゃんと湧き上がってきたんだったら、それは揺るぎなくあるはずだって。揺るぎなくあるものは、私にはそういうものがあるんだって心に確信するだけではないんです。 そういうふうに確信するだけだったら、気がついたら、俺はすごい修行しているって、傲慢になってしまうんですよね。そうじゃないんです。常に常に菩提心が湧き上がっていって、常に湧き上がって湧き上がって湧き上がって、もうずっとコンコンと湧き出るようになる。そういうふうになること。つまり、慈悲の心がそれぐらい絶えず溢れ出るようなところまで行って初めて、本当の菩提心になるって。でも、そんなことはなかなか難しいんですよね。 だから、どうしてもそこまで行かないと揺れ動いてしまう。だから、白雲禅師のように、本当に自分は菩提心になるんだろうかって不安になってしまったり、あるいは、自分はこんなにすごい修行しているんだから、俺はすごいんだって、やっぱり人を見下すような気持ちになってしまったり、見下すとは言わないにしても、自分は優れているなんて思い込んでしまったり。 だから、難しいですね。だから、怖いことを言っているんです。コンコンと泉のように菩提心が湧き出ている人は、自分のことを菩提心に行っているなんて言わないんですね。呼吸するように、当たり前のように菩提心に生きることができるまで行かないと、本当の菩提心とは言わない。無心の境地で菩提心を行う。呼吸するように菩提心を行うことができるって、なかなかこんなことはいかないですよね。 ですから、無双国師、この性をどう占めくくっているかと言いますと、菩提心なんてものを事すらに求めちゃうと、その中には、たぶんおそらく自分の可愛さが絶対に入っている。傲慢な心が入っている。だから、菩提心なんてものを求めたら、菩提心なんかないんだって。 で、もし自分は菩提心があるなんて言うならば、その瞬間、おそらく傲慢が起きて、菩提心から遠ざかっている。菩提心ってことを目指さないと主要にはならないけど、菩提心を求めているうちは菩提心にならない。菩提心を得たなんて思ったら、菩提心から遠ざかっているって。それぐらい当たり前のように菩提心を行うのかならない。 じゃあ、菩提心とか仏心ってことを思っちゃいけないかと言うと、そんなことないです。そういう思いがなければ、最初にお話ししましたように、浅くてもまだ菩提心と呼ぶのはなぜかと言うと、それがなければ、そもそも始まらないからですね。だから何が大事かと言うと、始まったら最後まで振り切れ。最後まで振り切って、最後まで歩み通すまでは、自分に菩提心があるかどうかなんて、尋ねるなって。 ひたすら前を向いて、前を向いて、前を向いて、よそ見をするなって。それしかないんですね。そういう意味で、菩提心の難しさ、仏心仏性の難しさというのがあるんですね。大乗仏教の仏心論、あるいは菩提心論って批判が多いんですけど、なぜ批判があるかと言うと、この話と関係性です。 つまり、立ち止まって仏心があるかとか、菩提心があるかって、立ち止まって議論した瞬間に立ち止まったら、菩提心ではないんですね。本当の菩提心、牟則国師が言う菩提心というのは、立ち止まることなんかできないんです。コンコンと湧き出るように、また次、また次というふうに自分を借り立てるもの、それが呼吸するように生きるもの、それが本当の菩提心なんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #夢窓国師 #菩提心 #夢中問答集 #夢中問答集を読む #菩提心を起こすとは 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:151.初めのあいさつ05:502.菩提心の深浅07:443.真実の菩提心とは?00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#659 人生を考える...「智慧」を会得すること 16分・10月15日・ 172再生AI目次私たちが普段認識する「知」の限界専門的・抽象的な「知」と日常経験のギャップ目的達成を追求するAIと「テクネ」の役割不明確な人生の目的と「テクネ」の限界「どう生きるか」を問う「智慧」の重要性
#658 修行に向かう人に:覚え書き 15分・10月14日・ 230再生AI目次修行の本質:損得を超えた覚悟とは「技の修業」と「人生の修行」の深い関係性修行現場の鉄則:明確な指示と沈黙の教え語られない「悟り」と個々の体験の価値本気の失敗が導く『自分に正直』な道
#657 本気で修行と向き合うために③~夢窓国師『夢中問答集』を読む(50)「無用心の用心」③ 16分・10月13日・ 202再生AI目次「無用心の用心」:意識を超えた心の深層意識に囚われぬ「無心」へのパラドックス無心に至る試行錯誤と覚悟の道のり「やってつき刀折れ」経験の重要性真の道へ:失敗リスクを恐れぬ本気の修行
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