TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#630 心をどこに向けるか?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(42)「世情と本分の工夫」13:40 8月26日 193再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「世常の迷い」と「本分の工夫」夢窓国師の問い:世俗と悟りの道「一気に本性へ」:国師が語る要諦「道心深切」:エゴを超えた真心「北へ向かう航海」で示す悟りの道AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。山梨県の公衆誌、武田信玄公の母大誌、園児の留職を務めております。古川周券と申します。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 世情と本分の工夫 今日は、「心をどこに向けるか?」ということで、昨日に引き続き、もとこくし、夢中問答集を読む。 今日は次の章、第42話目の章、「世常と本文の工夫」と、編集者によってタイトルが作られている部分を拝読いたします。 さて、この、「世常と本文の工夫」というタイトル。 世常というのは、私たちが日常生活の中で、怒ったり、笑ったり、泣いたり、感情に足をすくわれて、気分に流されて、泣いたり、笑ったりしながら、迷いの中で、わちゃわちゃ、生きている。 それを、背徳の塵の中で生きると言いますが、世常、世の中の常ですね。 そういったものに振り回されて、生きている生き方です。 シャバの中に、どっぷり使ってしまっている。 その時、私たちを導いているものは何かというと、世常なんですね。 これは、迷いの原因です。 それに対して、本文の工夫というのは、その世常の迷いの最中で、わちゃわちゃ、生きている生き方を改めて、まっすぐ悟りへ向かって仏像の道を歩もうと思う。 本文というのは、自分自身、本当の自分である。本来の自分。本文。 その本文のところを、自分で掴むために工夫する。 油断することなく、自分の本文とは何か。自分の本文とは何か。自分の使命とは何か。 本当の自分とは何者なのか。自分は誰なのか。何を成すべきか。 そこから、目を離さないように、気を逸らさないように、ひたすらまっすぐ、世常、世俗の波に流されないように、一筋道をまっすぐ行く。 それを、本文の工夫というわけですね。 ですから、この今日のところ、世俗と、それから修行の道に邁進する生き方と、この二つの生き方を対比しているんですね。 もう対談の相手として、対話の相手として想定されている足利忠義の質問は、なかなか仏道修行というのは、まっすぐやることができない。 仏教の教えを聞いて、素晴らしいなと思っても、日常生活、お腹が空いたり、腹が立ったり、悲しかったりと、そういうものの方が強烈に私たちに迫ってくるものですから、 なかなか仏道修行というのは、大事だと頭では分かっていても、そうじゃないものに、目の前の、もっと強烈なものに、心が振り回されてしまう。 で、どうしたらいいか。 そういうわけで、数回の仏道文道集の内容の説明というのは、そのために、まず最初、いきなりは仏道修行というわけにいかないだろうから、 まず最初に、この世常、世俗のことで心が動くことを和らげなさい。そして、本文の工夫ができるところまで、世俗の気持ちを和らげなさい。 ということで、前回までお話しした、利乳と業乳という区別を持ち込んで解説するわけですね。 まあ、以前にもお話ししましたように、この利乳と業乳という用語、利乳はダルマ太子の使っている用語でいうと、 つまり、何かの縁があって、これが大事なことだと分かって、一気に仏道修行に邁進できるような人のことです。 ある意味では、利乳ができれば、改新が起こるんですね。改新が起きて、突然人が変わったように、生き方が変わって、主要な人生を送ることができる。 それから、そんなふうに一発で心が変わらない人、その人のために、少しずつ入り口を準備するために、業乳というのがある。 業乳というのは、4つありました。逆境の中でも、気持ちが腐ってしまったりしないように、逆境をどう受け止めていくかという奉恩業。 それから、順境の時に、いい気になって舞い上がってしまわないように、傲慢になって道が反ることに気が付かなくなっちゃって、 ちょっといいことをした時に、それに誇ってしまって、より向上しようという思いをしなくなってしまう。それを随縁業という。 つまり、いい縁に従って、どう従っていくかということですよね。 それから3番目に、その2つは、順境と逆境、順風と逆風に振り回される気持ちの在り方であるから、なぜ順風、逆風に振り回されるかというと、要するに根本のところで求める心が強いからだ。 だから、求める心を断ち切らないと、この奉恩業と随縁業を磨いていっても、完全に根を断つことはできない。 だから、無職業、求めるという思いそのものを、ちゃんと自分で見つめて断ち切る努力をしよう。 そして最後に、求めるという気持ちを断ち切った時に、じゃあどう行動すべきか。 求める気持ちというのは、実は思い通りにしようと思う心がいけないわけですから、求める心の中にある思い通りにしようという思いを断ち切って、次の行動が出てくる。 それを、消防業というふうに言っていたわけですね。 この二乳修行ということを、ダルマさんを通じて、禅の世界は持っているんだけども、じゃあまず最初に、離乳ができないんだったら、 乳のこの四つを収めて、世俗への思いがなくなってから、初めて悟りに向かって修行するということなんでしょうか、という質問に対して、国師は違うと仰っているんです。 最初から、やっぱりなかなかわからないうちは、どういうものが離乳かわからない。どういうものが没頭修行かわからない。 どういうものが母大師になるかわからないうちは、仕方がない。 だけども、これだというものが、実行できるかどうかは別にして、少しずつ少しずつ、ぼんやりでもいいから、わかってきたならば、やっぱりまっすぐ進めって。 まだまだ遠大だから、まず最初に基礎を固めて、そんなのじゃないんです。 まず最初に、一番自分が大事と思うもので、ぴったりと心を向けろって。 最初に入門からだというのとは違うって。 学問は、積み上げですから、最初に基礎計算をしてから、いろんなことを学んでいきますよね。 一歩一歩、連が積みをして、階段を上がっていかないと、上あがれないです。 だけども、これは技の方の行です。そうじゃなくて、行う方の修行。 これは、一気に本性と肉薄しなきゃならない。 なかなか肉薄くできないから、学ぶことは多いけれども、大事なことは、最初から何が大事かわかっているんだったら、そこから目を逸らすな、ということなんですね。 【質問に答えます】 【質問に答えます】 【質問に答えます】 【質問に答えます】 【質問に答えます】 # 「道心深切」ということ ここで大事なことは何かというと、 自分が何で主要に向かうか、かすかでもいいんですよ。 かすかでもいいから、何のために修行するのかって。 しかもその中に、ほとんどの場合は、辛いから楽を求めてとか、苦しいから何か 救いを求めてとかって、やっぱり自分中心から始まってるんだけど、 その中にやっぱり自分中心じゃない何かがあるはずなんです。 それを見つけることが修行の願望なんですが、なかなか最初のうちはやっぱり苦しいから仏像に向かわせたから、 最初はなかなかうまくいかないですね。 でも最初の心が大事です。 諸法真理、すなわち諸学を厳ずって言葉があるんですけど、最初に仏像に向かって頑張ろうと思った瞬間の その心の中にエゴに囲まれてますけど、そのエゴを取って取って取って取り去って削っていった時に、 最後に何か自分自身の可愛さ、我が美可愛さ、 自分都合じゃないものがあるはずだって、それが大事なんですよね。 それがあるからこそ本分の工夫ができる。 それがないと正常に流されちゃうんだけど、正常に流されてもその本当の真心のところで、 自分では何か言語化できないし、よくわからないんだけど、自分自身さえ可愛ければいいってじゃないものがあるはずなんですよ。 それがわかった瞬間に、それに向かって頑張れる。 だから本分の工夫がどんどんどんどん良くなるんだけど、わからないうちは曖昧だから、どう工夫していいかわからないんですよね。 そのあたりのところがこの章のポイントです。 で何が大事かというと、これ虫国子は道心深切と言ってます。 道を求める心、道の心、道心が深く切ないということなんですよ。 道心って、これは母大臣のことでもあるんだけれども、 自分さえ可愛ければいいから、すべてのものが自分さえ可愛ければいいからって、そうはならないって。 そうはならないって、そういう自分さえ可愛ければいいってもんじゃない証として、例えば 孟子様は四丹の説を唱えたじゃないですか。四つの心を唱えたじゃないですか。 だけど、その四つではなくて、何か違う、もっと根本のところで何か大切なものを求めるような真心が、ほとんどの心があるって。 仏心仏性というのはそういうものだ。一番奥深いところにあるものだ。これはモヤっとしてるし、かすかだし、なかなか捕まえることができない。 これが捕まったら大したもんなんです。それが難しい。白衣禅にですら母大臣がわからないって苦しんだわけですよね。 そこは難しいところです。じゃあどこでわかるか。例えばこの道心、道を求める心が切実であれば逆境に振る舞わされることはなくなるんですよ。 なんで逆境に振る舞わされちゃうかというと、道心が見えないから。例えば皆さんが北に向かって行くってことがはっきりわかっていたら、 もう絶対北に向かうって、どんなことがあったのも北に向かうってことがわかっていたら、波で足先が曲がっちゃったり、風に巻き込まれて右も左も上も下もわからなかったりして 巻き込まれてしまった時、それでも北に向かって北に向かって北に向かってって、もう波が来たり風が来たり巻き込まれて向きがわからなくなればなるほど北へ向かって北へ向かってって、逆境になればなるほどますます北に向かうじゃないですか。 でも北に向かってっていうのが弱かったら、流された瞬間に右へ流されたら左、左へ流されたら右、上へ行ったら下、下へ行ったら上って実は北元の逆場になっちゃうんですよ。 だから上境に流されていくんです。北っていう思いが強くなかったら右なら左、左なら右って、西に流されたら東、東に流されたら西って、これって実は逆境に対応しているようで流されているだけなんですよ。 じゃあ今度は順風満帆でビョーンと、頬に風がかけてまっすぐまっすぐ進んでいくって、でも北っていう思いが強くなければなんとなく曖昧に方角をしていると気がつかないうちに東へ東へずれたり、西へ西へずれたり ぐるぐるぐるぐる回って気がついたら反対側のまみれに向かっているかもしれませんね。それは北へ、北へっていう思いが強くなかったら間違っても分からない。でも北へってことは分からない。普通は分かりませんよね。思いが強くても分からない。でも分からない時、もし思いが強かったら目を凝らして一生懸命夜空を見上げて北東地勢を探すじゃないですか。 北東地勢は分からない。分からないから仕方ない。って諦めちゃうのは動心が足りない。まっすぐまっすぐ求めるじゃないですか。そういう求める気持ちっていうものがあるってこと。その切実さですよね。切実さがあれば順境でも逆境でもやっぱり帰ってますます正しい道を求めるという気持ちが湧いてくる。これが動心心説。深く深く切実な道を求める心があるかどうか。 これがはっきり分かった瞬間に前回までお話ししていた、行入の4つのステージはさっと乗り越えることができるんです。もちろん人間は愚かですからまっすぐ進むことができません。だから迷うこともある。欲望に足を救われたら怒っちゃったり悲しんだりすることがある。それでもまっすぐ向かう方向が明確になってこれば、たとえ迷ったり狂ったり向きが変わったらおかしくなったりしても必ずまっすぐ行くことができる。 反対に4つの行、行入が4つできたとしても方角は狂わないというだけでまっすぐ進む心が弱いからいつも確かに船は方角は来た向いてるかもしれないけど前へ進まないんです。前へ進むから迷う。前へ進むから苦しむんです。でも行入というのは迷わない方を教えるだけなんですよね。 順境に対してどう向かうか。逆境に対してどう向かうか。自分の我がもの我が心可愛さに対してどう向かうか。それは教えるけどまっすぐ向かうという切実な動心は教えてくれないじゃないですか。実は利入も行入も心の底に燃え上がる。まっすぐ行く。まっすぐ行く。きら向かって行くという思いは教えてくれないですよね。 最初のうちは自分可愛さとまっすぐ行くという言葉がぐちゃぐちゃでごっちゃばちゃだからわからないんですよ。だから自分は嫌悪になりながらやりすぎちゃって苦しくなって脱落しながらそれでも気を取り直して歩きながら自分の心が求める方向、心が切実に求めるものの中にある自分勝手、自分都合というのを削って削って削って少しずつ削ってそれこそ本当に自分可愛さじゃない。 本当に仏道を求めようとするこの深く切なる人心、人心切なる動心というものを捕まえる。これが本文の工夫という本当の仏道修行の種になるんですね。それがこの章のポイントです。 それを菩提神と言う。方角を今の例だったら北を目指す、北を目指す、北を目指す。わからなくてもいいから北ってのがあるはずだって。それで北がどれだろう、北がどれだろう、わからないけど空を見つめて探し続ける。それを菩提神と言うんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #夢窓国師 #夢中問答集 #夢中問答集を読む #世情と本分の工夫 #心をどこに向けるか 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:151.初めのあいさつ06:162.世情と本分の工夫07:023.「道心深切」ということ00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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