TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#631 禅の物語~風が動くのか? 幡が動くのか? 動くものは何か? 六祖慧能大師(其の四)11:51 8月27日 188再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「無学無文」から禅の祖へ人生を導く「道心」の力風動旗動:禅問答の真相「心が動く」慧能大師の指摘自己を見つめ直す禅の教えAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。山梨県の公衆誌、武田信玄公の母大誌、エレンジの留職を務めております、古川修憲と申します。今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 人生の出会いを考える 今日は、風が動くのか、旗が動くのか、動くものは何かということで、禅の物語、久しぶりになりますが、禅の物語、六相縁の大志、その四のお話をしたいと思います。 六相縁の大志というのは、六相、六番目の祖師というのは、ダルマ太子から数えて、六番目に奉仕された方になります。 以前にもお話しましたけれども、今の禅のあり方、禅のスタイルというのは、この六相縁の大志から固まってくると言われるほどの立派な語りですよね。 無額文房で、罪を受けて父親が島流しみたいになって、南のほうの貧しい地区になって流されてしまって、それでお金もない中で薪を拾いながら母親を養っていた。 だけども、その無額文房で、何の目立つところもないような、背も小さくて、何か特別な才能がないような薪を拾っていたような貧しい一人の男が、 その卓発をしながら、お経を唱えるお坊さんたちの今後行の一節、大無所属、日生は御身というその言葉を聞いて、笹尾を開いてしまった。 本当に不思議な物語ですよね。何かすごいことがある人ではない。 当たり前の人が、歴史に呼び出されてしまって、人生が変わり、そして全習史を変えて、宗教史を変えてしまったような人になってしまう。 人生というのは、何かに呼び寄されて、不穏ながら何かをさせられることがあります。 それは苦しい道筋ということもあるけれども、実は大きな仕事をするために苦しみもあることがある。 順境、逆境という話を最近しましたけれども、何が順境で何が逆境なのか。 自分の思い通りになることが順境、思い通りにいかないことが逆境であるならば、こんな風に呼び出されてきて、あれをあれという間に重大な任務を背負わされて、命まで狙われて。 大きな仕事をする人は、影響力も大きいですから、敵対者にも睨まれます。命を狙われるということも、ざらにあるんですね。 それに対し、素晴らしい仕事を成し遂げた方々に、これは順風だったのか逆風だったのか、どういうことだったのか。 昨日お話したことにもありますよね。本当に一筋の道、本分の道というものが分かっている。 切実に自分に思うものがあるならば、まっすぐ歩こうとする。そうすると逆境にさらされるほど、曲げてたまるか、まっすぐ進む。 順境でいい思いをすればするほど、こんなことでいい気になってはいけない。まっすぐ進む。 本当に心の中にまっすぐ進む気持ちというもの、道心、深いところにある道心、菩提心というものが本当にあるならば、 その日が灯っているならば、順風であろうと逆風であろうと、順境であろうと逆風であろうと、まっすぐ進む。ますますまっすぐ進む。 実はその人の気づいているものが本物かどうかというのは、逆風で分かるとよく言われますが違うんですね。順風でも逆風でも分かる。 いやいや、自分が目指しているものが、まだ幼くて未熟で、あるいはまだよく分からなくて、もやもやしている。それでも、何が何でも気飽きじゃない。 だらだらだらだらしとれない。気飽きじゃない。分からなくても分からなくても、そのままでは折れない。気飽きじゃない。 何かに駆られたように、まっすぐ進もうと思う。そういうものが皆さんにはあるか?ありますか?ってことなんですね。 そんなのつらいだから、なるべくそういうのを寝かせておこうと思う。寝かせて寝てしまったら終わりですね。 それを起こして、揺り起こして、つらくてもいいから、まっすぐ道を行くって、その中からしか本物に出会うってことはないんですね。 つらい道を行くこと、唯一いいことがあるのは、本物に出会う。同じように道を行く人と出会うことができる。それしかない。 それが指定関係であるのが、前であったりする。あるいは同友であったりするわけですけども、そんなことがあるんですね。 # 「動くもの」は何か? さて、今日のところの物語。これは、秘風、秘晩、風邪でもない、肌でもない、風邪にあらず、肌にあらずという形で、無門漢という禅門の中でも取り上げられている有名な物語なんですね。 まあ、前にもお話ししましたように、六尊王という方は、まだお坊さんになるような、資格もないような身分の癒やしさがあって、身元、人的にもないから、一心満々の出家者として修行ができなかったんですね。 それで、暗者と言って、修行する坊さんたちの下働きをする。だけども、坊さんたちよりも先に撮影をやられてしまった。 だから、まあ、そんな身分違いの人が身分を乗り越えることをすると、封建時代の厳しい社会の中で命を狙われるから、だから、しばらく隠れておれって言われて、師匠からそう言われて、六尊王に対し、ずっと隠れて、黙々と自分の心を養っていたんですね。 今日のこの物語は、隠れていた六尊王に対しの名前が世に出てしまって、正体が割れてしまって、前週のから、だるまさんから語られて、六番目の祖師として、歴史舞台に登場するきっかけとなった物語なんですね。 どんな物語かって。 法輪寺というところで、二人のお坊さんが議論をしている。風にはためいている旗を見て、片方は、これは風が動いているんだって言う。もう一人は、あっち風じゃない。いや、旗が動いているんだって。 ああなことは言って、議論がやむことがないんですね。 で、もう醜い争いをして、決着がつかないって、いじなってしまっているんですよね。 それを見ていた、六尊王の大師が、あなたたちの心が動くんだって。風が動くんでもない。旗が動くんでもない。あなたたちの心が動いているんじゃないかと言ったって。 この言葉を聞いて、議論がついた二人の僧侶は、何か気づくところがあったんでしょうね。 あっとして、六尊王の大師を礼拝したって。 まあ、この物語がお寺の住所に伝わって、それがきっかけで、六尊王の大師は正式に出家をすることができる。 愚足戒というのを受けて、出家することができて、世に名前が出るようになった。その物語なんですよね。 隠れていて、黙々と行を重ねていたのが、世にのきっかけなんです。 隠れて自分の行を養うことを、正体徴養って言うんですよね。 聖なる身体を長く長く養う。 赤ちゃんが、とつきとおかお腹の中で、親と生まれる時の力を養うように、自分のサゼルの修行を養って養って。 それを正体徴養と言うんですけども、六尊王の大師が正体徴養を破って、ぱっと世に出る瞬間を指すんですね。 この物語、実は元になる物語がどうもあるようなんですね。 古い禅の本によると、お釈迦様から数えて十七番目にあたる、僧侶南大という僧者、修行者と、 その次に後を継がれた、かやさた僧者の門道にあるようですね。 風で風鈴が鳴っているって、風が鳴るのか、風鈴が鳴るのか、なんて議論がある。 昔からこの議論って、どうもあったようですね。 いずれにしても、六尊王の大師はここで、議論をしている二人が理屈に落ちている。理論に落ちてしまっているんですね。 解説によっては、風が動くとも言える。旗が動くとも言えるって。 風と旗が相互に作用し合って動いているとも言えるって。 なんとでも言えるんですよ。理屈なんて、どこに視点を置くかによってなんとでも言えるって。 だけども、どんな決着をつけようと、そんなことは人生となんの関係もないんですよね。 人が生きると言う時、一番大事なことは何か。客観的な出来事の分析も大事だけれども、人が生きるってことは何かって、自分に立ち返るんですよ。 だから風が動くと主張する人は、一体どういう人間で、何があって、どういう人生を歩んで、どういう仕事をしているから、ここで風が動くと主張しているのか。 旗が動くと言う人間は、どんな人生を送ってきて、どんな仕事をしているから、旗が動くと言っているのか。 お互いに相入れない意見と意見がぶつかった瞬間に、どうですか。 自分自身に立ち返って、自分の心はこっち向かっているなってことに気づく。 自分と意見が違う人と、意見がぶつかった瞬間に気づく。 ここでハッと、指摘されなくても気づくべきだったんですけれども、枝葉に気を取られている。 だからロクソナ大使は、枝葉じゃなくて直に、ずばりと幹と根っこを指差して、自分の心が動いているんだって。 何をしようと、何を主張しようと、何を論じようと、大事なことは、それを見つめている自分の心だって。 と同時に、動いているのは心だと指摘して、お前たちは何をやっているんだって。 自分を見失っていると思って、心が動いているんじゃないかって言いながら、一番心が動いているのは、そんな風にして指摘をしたロクソエノ大使なんですよね。 ただ見ているだけじゃなくて、心が動いて教えたって。 その結果、正体がバレてしまったんですよね。 まあ、そんなことはあります。 こんな風にして、つい思わず言葉が出てしまったって。 まあ、ムモンカンという禅の五六の中では、ムモンイカイ伝授が、そんな風にして、ちゃんと立派なことを教えているようだけど、 自分自身が心が動いちゃって、正体をバラしちゃって、せっかく隠れて修行していたのに、自ら正体を暴いたって、恥ずかしいなって。 語るに落ちているぞって。 二人の層も恥ずかしいけど、お前も恥ずかしいぞって、褒めながらけなす。ムモンイカイ伝授は、そんな風にしていますね。 似た物語に、日本の大都国師の話がありますね。 大都国師、せっかく古事記に混じって姿を化していたのに、大都国師という人を探そうと思っている役人によって、正体がバレる。 大都国師、幕割りが好きだったらしいんですよね。 で、古事記の村に向かって幕割りあげるぞって、みんなが集まってくる。 だけど、手を出さずに受け取る人がいたら、幕割りをやろうって。 誰ももらう人がいなかったんですね。 すると、目つきの鋭い古事記の坊さんが一人出てきて、こう言ったって。 手を使わず出せって。 それで、正体がバレたって。 実は、六相山の大師もそんなんですよね。 ああ、まあ、ここではしかし、そんな風にして正体が迷われるんだけれども、迷って苦しんでいる二人の宗教僧たちに対して、道を指し示しなきゃならない。 つまり、ここで、人にちゃんと己を顧みず、ちゃんと教えなきゃならないというふうに思わず言葉が出た。 さあ、これは側院の心とも言えますね。 そんな風にして心が動くって、ちゃんときちっと方角を見ている。 何を成すべきかということを見ているからこそ、適切な瞬間に適切な行動ができ、適切な言葉が出る。 思わず知らずというところに、その人の人柄が出るということが、この物語の中に現れていますね。 大事なことは、自分自身の心に変えるということです。 あなたの心が動いているんだって、江納太子は言いましたが、実は違うんですよ。 私の心が動いているということを、誰もが思わなければならないって、禅門徒の願木はそこにあるんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #六祖慧能 #禅の物語 #非風非幡 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:151.初めのあいさつ04:182.人生の出会いを考える07:113.「動くもの」は何か?00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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