TOPトーク専門家今井正司のココロが軽くなるラジオ#78 神経発達症はどこまで障害なのか21:00 2024年4月1日 536再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次発達障害、どこまでが障害なのか?発達障害の診断基準とは?周囲の理解とサポートの重要性定型発達とのコミュニケーションの違い正しい知識と柔軟な対応の必要性AI文字起こし(β版) # オープニング こんにちは。心が軽くなるラジオパーソナリティの今井昭治です。 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。 今日は4月1日、月曜日です。 いよいよ新年度始まったという感じですよね。 この放送、お昼に聴いていただいている方、または夜に聴いていただいている方もたくさんいらっしゃると思います。 もし、夜に聴いていただいている方だったら、お疲れ様でしたという感じですよね。 お昼に聴いていただいている方、まだまだこれから仕事、活動、いろいろあると思いますが、 もう焦ってもしょうがないですから、ゆったりと残りの作業、活動を行っていきましょう。 それでは早速始めていきたいと思います。 # タイトルコール この放送は、リスナーの皆様の心が軽くなるような情報を、 毎日お昼12時からお届けする、心が軽くなるラジオです。 心理学者の私、今井翔治が、カウンセリングや教育支援、 企業などへのアドバイザーの経験をもとに、 今日も皆様の心を軽くするお手伝いをしていきます。 # 障害名でもなくても伝えられること それでは早速本編の方入っていきたいと思います。 今日もVoicyさんのトークテーマに沿ってお話しできればと思います。 Voicyさんのトークテーマの一つに発達障害を語ろうというテーマがありましたので、 このハッシュタグをもとにお話ししたいと思います。 私のトークタイトルは、「神経発達症はどこまで障害なのか?」というタイトルでお話ししたいなというふうに思っております。 発達神経症というのは、障害というふうにはだんだん言わなくなってきているのですが、一つの症状として捉えるということですよね。 もう一つ、発達障害というのが今までは発達障害か発達障害じゃないかというふうに捉えられていたのが、発達障害の度合いという感じで捉えるんですね。 だから発達障害の度合いが診断はつかないけど弱い人もいるわけです。 だからそのスペクトラムというんですけど、つながっている状態なんですよね。その症状が強いか弱いか。 だから本当に心理学の勉強をしていると、みんな思うんですよね。 私は発達神経症なのかな?ADHDの基準に結構当てはまっているんだけどとか、いろいろ思うところがあるのは、 やっぱりそれぞれみんな、脳が工場で生産されているわけじゃないですし、 それぞれのお父さんお母さんからの遺伝をもらってできている臓器ですから、特徴があるわけですよね。 だから得意なところもあるし、苦手なところもある。そういった得意不得意があまりにも凸凹な感じだと、 やっぱり生活しにくいなってなってくるわけです。 その時に診断をされて、発達障害、神経発達症のADHDとか診断されることはあると思います。 ここでポイントなのは、どこまでが障害なのかというところと関わってくるんですけど、 例えば、 私の知り合いで、日本でADHDというふうに実際に診断された方がいて、 落ち着きがないとかね、そう言われて、ご本人も結構悩んでましたけど、 海外に行ったら、むしろ大丈夫って、固まってないっていうぐらい落ち着いたっていうのもあるんでしょうけどね。 文化によっては、落ち着きの無さっていうのが目立たなくて、全然ADHDなんて信じてもらえなかったよっていう方もいました。 だから、この障害かどうかっていうのは、実は自分一人の問題じゃないんですよね。特に発達障害の場合は。 日常生活に困り感が出た時に、障害っていう風になるから、日常生活が困らなければいいわけですよ。 そうすると、周りの人が理解してサポートしたり支援したりできれば、別に困らないですよね。 そういう世界を目指していきたいっていうのが、やっぱり支援者の願いだと思うんですが、 じゃあどうしたらいいのかというと、私は正確な発達障害の知識っていうのが、やっぱり今後もっと必要になるんじゃないかなというふうに思います。 私が学生だった頃は、もう何十年も前ですけど、発達障害っていう言葉はあまり広がっていませんでした。 だけど、発達障害という言葉、今はみんな知っているし、ADHDとか、自閉スペクトラム症とか、そういう具体的な症状名もわかるように、皆さんなっています。 だけど、これ正確な知識だったり、理解じゃないんですよね。 例えば、忘れ物をよくしちゃうとか、時間が守れない、だからADHDだねとか、空気読めない、だから自閉スペクトラム症だね。 こんな感じで発達障害を語るから、やっぱり発達症の人は苦しいんですよ。 だし、誤解を受けてしまうことも多いです。 その原因は何かって言ったら、やっぱり正しい知識を理解しようとしない。 私たち大人のせいでもあるし、もう一つは、これは自戒の念を込めてじゃないですけどね、 私がこういう研究職もやっているので、正しい知識をいろんな人に伝えていない現状があると思います。 ちょっと話はそれるかもしれないですけど、私がずっと違和感があるのは、大学の先生とか研究者が 発達障害の診断がついていないのに、 講演会とか本で、発達障害の自分には特徴があるからとか、 講演会で、私はADHDだからとか言ってる人を見ると、ものすごく 私なんかは悲しい気持ちになるし、違和感満載ですね。 なんでそれを楽しそうに話してるんだろうっていうのも、ちょっと引っかかる部分もあるし、 診断絶対受けてないんですよね。 なんとか稽古って言ってるけど、でも私は長年、お子さんや成人の方の ADHDの方の支援とかしてきて、本当にご苦労されていて、困ってて、悩んでて、苦しんでるのに、 大学の先生とかね、全然そんな苦しみとかね、そういったものとは無縁のところで、 生きようようと生活していて、ものすごく著名な発達障害の先生も自分のことをLDだとかね、 おっしゃってて、なんかその苦しさって本当に 先生たち理解してるのかな、そんなことを言っちゃっていいのかなって、すごく悲しい気持ちになります。 本当にその障害の診断を受けてるんだったらまだしも、 明らかにあなたはLDではないでしょっていう人がね、なんでそんな自分のことをLDに従ってるんだろうって、 なんか意味がわからない。だからこういうところから、僕は誤解が始まるんじゃないかなと思うんです。 実際にね、発達障害の人からしたら、いやいやいやって、やっぱみんななーってます。実際そういうことも聞きますしね。 だから、研究者の私たちは特にそうですけどね、 大人が気やすくね、そういうふうに、私はADHDだからとかって 使うのは、僕個人としてはちょっとね、考えた方がいいんじゃないかなというふうにいつも思っています。 私自身もね、SNSフォローしていただいている方はよくわかっていると思うんですけど、 本当にもうね、物を無くしたりとか、買ったばっかりのiPodを、なんかイヤホンですか、 iPodsをゴミ箱に捨てたりとか、もう本当にね、結構オッチョコチョイでやらかすんですよ。 だけど、ADHDだってことは自分では言ったことはないですね。不注意とかオッチョコチョイとかね、 いうふうに言っています。それは何かというと、具体的な行動はこれ変えられるからです。 こういうふうにね、ゴミ箱に買ったばっかりのスマホを捨てちゃったとかね、そういうエピソード。 そうなんだ、大学の先生でもそんなことあるんだってね、思う人もいるかもしれないですが、実際あります。 ありますけど、それは何かいろいろ対策を見つけて、こうやって改善すれば何とかなりますもんね。 何とかなっていけば、別に障害って言わなくていいわけですし、 あえて自分を障害の名前を使って説明しなくてもいいかなっていう思いがそこにはあります。 じゃあちょっとね、次のチャプターでは別の観点からこの発達症についてちょっと考えてみたいと思います。 # 定型発達障害? はい、このチャプターでは先ほどのね、神経発達症っていうね、障害名をあえて診断を受けてないのに使うことって、自分のことをね、ADHDだとかいうことはあまり良くないことかもしれないっていう話をしました。 まあこれはね、本当に良いか悪いかっていうのは分かりません。私個人は良くないなぁって思うっていう話です。 ただね、今回はちょっと観点を変えて、先ほどそうですね、発達障害の方が、発達障害の診断も受けてないのに、自分はLDだとかADHDだっていう人に対してね、あまり良い思いを抱いてないってことをね、聞きましたっていう話しましたけど。 海外ではね、もう少しちょっと違った観点でね、発達障害ではない人のことを語っているインターネットの掲示板っていうのがあるんですね。 それは何かっていうと、発達障害じゃない人のことを定型発達って言うんですよね。 決まった通りの発達をしているっていう意味で、定型発達。 その定型発達の人たちってさぁ、みたいなね、雑談っていうかがあるわけですよ。 これは本当にね、なるほどって思うことが書かれているわけです。 例えば、発達障害の人はね、嘘をつくのが苦手とか、よく言われるんですよ。 嫌味が通じないとか、冗談がわからないとかね、言われちゃうんだけど。 要は、辞儀通りそのままね、受け取るとかね、言われて、コミュニケーションがね、難しいっていう風にされちゃうんだけど、逆だっていうわけですね。 それは何かっていうと、定型発達の人たちは、いつも嘘とかね、何か分かりにくい嫌味を言ったりとかしてるけど、なんで正直にコミュニケーションをしないんだろうね。 あんな嫌味とか、冗談とか皮肉とか言ったってしょうがないのに、っていうわけなんです。 ああ、なるほどって思いましたね。 そして会議とかでも、定型発達の人って、自分の意見があるのにその場では言わないで、会議が終わった後に陰口を言ったりとかするよね。 僕たちはそんなことを思わない、陰でやらないで、会議の時には言いたいことを言ってるよね。 なるほどって思うわけですね。 こういうことをいろいろ読んでいくと、どっちがコミュニケーションとして成り立ってるんだろうって思うわけですよ。 嫌味とか、冗談はあれですけどね、嫌味とか遠回しの批判とかね、そういったことってどうなんだろう、言えた方がいいのかなとかね、本気で思っちゃいます。 僕の問題なのは多分正直に言うと、それに対して傷ついたり喧嘩になるからってことなんですよね。 でもこれもですね、おそらく正直に言った時に、どこまでお互い建設的な意見が言い合えるかってことに落とし込めばいいような気がするんですよね。 だからその掲示板での主張っていうのは本当に悪しさに富むなと思ったのは、定型発達の人の方がコミュニケーションが複雑すぎやしないですかっていうことだと思うんですよね。 本当に僕はその一連の記述されているものを見た時に、なんか目から鱗が落ちるような気分でしたね。 だからどうなんだろう、やっぱり障害っていうのはその人が困った時、日常生活で困っている時に障害っていうものが自覚できるわけですよね。 だけどやっぱりそれぞれのコミュニケーションの仕方あると思うし、それをお互い受け入れて建設的に情報交換ができれば僕はいいんじゃないかなっていうふうにやっぱり思います。 だからASDの人のコミュニケーションを定型発達の人のコミュニケーションの仕方に無理やりスキルトレーニングをしていくっていうこともひょっとしたら会社勤めする時とかそういった時には大事かもしれないですが、 もう一つトレーニングするとすれば、定型発達の人もトレーニングしなきゃいけないと思うんですよね。 コミュニケーションしている時にこの人は発達障害の人だからこんなコミュニケーションをしようっていうことではなくて、 何かズドンと言われても、どういうことがこの人は伝えたいんだろうというふうに心に留めて、お互い情報のちゃんと交換ができるようなコミュニケーションを定型と言われている人たちもする必要があると思います。 でもそもそも発達障害はスペクトラムという概念ですよね。発達障害か障害ではないかではなくて、連続性というものがあるわけです。スペクトラムというものがあるわけですよね。 だから症状の軽い人、症状が強い人、なだらかにつながっているわけですからね。だから定型発達の人とのコミュニケーション、発達障害の人とのコミュニケーションって分けることも実はちょっと違いますよね。 ソーシャルスキルトレーニングって、やっぱり日本だってもちろん小学校とかでもやるんですけど、まあ人気がないんですよね。乗ってこない子供たちが。よくそういう相談されます。どうしたらいいんですかって。 おそらくですね、日常生活に即してないことをやっていることが多いんですよね。何かね、物を借りるときには、僕は消しゴムを忘れたので、よかったら消しゴムを貸してくれませんか? 言われた方は、あ、いいよってね、やりましょうってやるんだけど、こんなコミュニケーションってしないですもんね。日常生活でね。なんか普通に消しゴム貸して、はーいって。こういう方が普通ですよね。 だから教科書通りにこうやってやるってこともね、もちろん大事なんだけど、コミュニケーションってそこの地域だったり、もっと大きなこと言うと国が関係しますよね。日本っていう国で。 で、それはね、この地域の、ひょっとしたらそれはその年齢にあったとかね、ひょっとしたら性別も関係するかもしれませんが、その子たちの文化に合わせたコミュニケーションが大事なわけですよね。 だからそこもね、ひょっとしたら発達障害の有無とかスペクトラムの問題じゃなくて、その文化に合わなかったらコミュニケーション取りづらいだけですからね。 だからそう考えると、別に発達障があるからということじゃないかもしれないです。はい。 ちょっとね、冒頭から話してて、だんだん話がずれていったような気がしますが、一つはやっぱりね、発達障害に関する正しい知識っていうものをもとにね、私たちはサポートしたりサポートされたりするってことが必要だなっていうふうに思います。 だからね、間違った知識っていうものを広げないってことも一つだし、あとは発達障害かそうじゃないかってことじゃない視点もあるよ。 例えば、どっちのコミュニケーションが良いとか悪いとかね、そういうふうに言わなくても、その環境とか状況に合わせてコミュニケーションしていくことが大事だから、障害の有無っていうところにこだわって何かスキルトレーニングをやるっていうのもちょっと違うんじゃないかなっていうことになると思います。 はい、なんかね、いつも私は原稿を作らずにタイトルだけ決めて話しているので、たまにこういった話がグダグダになってしまうこともあると思うんですが、これもね、ちょっとリアルな感じだと受け取っていただければなっていうふうに思います。 はい、それでは今日はこれで放送終わりにしたいと思います。 今日も皆さんの心が軽くなることを願っております。 また明日お会いしましょう。 もっと見る #発達障害を語ろう 今井正司のココロが軽くなるラジオプレミアム放送配信中!00:561.オープニング00:242.タイトルコール09:423.障害名でもなくても伝えられること10:004.定型発達障害?コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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